2-6:彼の隠しごと

「え。何したんですか」


 ぎょっとしたのはノアだ。


「失礼ね。帽子をとって挨拶しただけよ。あと、いくつか質問されたことには答えたけど」

「どんな質問ですか……。というか、彼女はあなたにんですか?」

「ええ、明らかに反応してた」


 思った以上に冷たい声になってしまった。


「他には見せないことになっている婚約者の絵姿を、彼は恋人に見せていたみたい。それも、顔を見てすぐに気付けるほどにしっかりと」


 コラク公国とはまったく関係のない、第三者にほいほいと。

 なかなか会う機会を作れないから、代わりにと特別に作った小さな絵姿。セイレン島に持ち込む許可が出たのは離れた相手を想うためにであって、現地で作った恋人に見せる許可は出されていない。


「ヴィーク家には本当にがっかりさせられたわ」


 悔しい。帝国との窓口として、そして懸け橋として、たしかに信頼できる部分もあったのに。


「ジェニファーからは、なにを質問されたの」


 ハルが訊ねてくる。まあ、彼の立場としては気になるのは彼女のことだろう。

 彼が積極的に協力してくれる本当の理由は、そこにあると踏んでいる。

 私はちょっと得意げに答えた。


「セイレン精霊研究学校に知り合いはいるかと聞かれたから、素直に答えたわ。ロベルト・ヴィークとちょっとした繋がりがあるってね」

「強気でいくね」

「どうせ島で交わす会話を早めにしただけよ。ジェニファーは動揺してたわ。なんとか取り繕っていたけど、かなり混乱していたわね」


 無駄に嫌みだなと冷静な自分が思う。でも、ここで私や彼が望んでいるのは、であるはずだ。


 私がロベルトがジェニファーの関係を知っていることは、ハルには伝えてある。

 ハルに語ったセイレン島へ行く目的は、「亡命のために入学試練を受け、そのついでに裏切られた婚約者として彼らを揺さぶってやりたい」、だ。

 そしてロベルトとジェニファーに個人的な因縁のあるハルは、自分の仕返しも兼ねて私の計画に乗った。


 ……はずなのに、返ってきたのは思っていたのと違う反応だった。


「ふうん、揉めなかったの?」


 ハルに、特に面白そうな様子はない。

 おかしいなと思いつつ、私は彼らとの出来事を話す。


「彼女の友人から、ロベルトはジェニファーと大恋愛中だからって牽制されたわ。私がロベルトに恋心を抱いていると予想したんでしょう。お似合いカップルの邪魔をしないでってことね」


 聞いた途端、ハルは機嫌を悪くした。


「失礼な誤解だ。君が彼に恋だなんて」


 笑っているのに吐き捨てるような言い方で、なんならちょっと寒気がする。列車で初めて会ったときに、ロベルト・ヴィークの名前を出したときと同じやつだ。


 そうか、彼の機嫌を左右するのはロベルト・ヴィークのほうか。


「セイレン島についたら、ロベルトにどういう風に接触するか一緒に考える? 少しずつ姿を見せるだけで焦らしてもいいし、ずばりお茶に誘ってみるのもいいわ」


 乗ってくると思って振ったのに、彼はより機嫌を降下させたようだった。


「やけにロベルトを気にするね」

「それは当然じゃない……どうかしたの?」

「君は彼のことをどう思ってる?」

「どうって、丁寧な手紙をやりとりする婚約者がいるのに、特別な事情もなく別の相手と恋人になった馬鹿――最悪な人間」


 さすがに侯爵家の次男に馬鹿はよくないかと言い直してみたけど、たいして違いはなかった。そして、聞いたハルの機嫌も変わらない。むしろ私に対して怒っているように思えてきた。なぜ。

 ノアも「ハル様、なにか怒ってます?」と小声で呟く。


「好きの反対は無関心、っていうんだ」


 彼が笑うと、比喩でなく本当に周囲の空気がひんやりする。


「ちょ、ちょっと待ってよ。まさかあなた、私がロベルトに、その、いわゆる未練があるって言いたいの?」

「君は彼に対して、やけにご執心に見えるよ」

「やめてよ! そんなことあるわけないじゃない!」


 最悪だ。未練なんてそんなもの、絶対にない。


「彼のことを気にしているのはあなたも同じでしょ。だって恨みがあって……ともかく私達二人して彼を嫌ってる。できるなら仕返し、したいと思ってるでしょう?」


 その点で私達は利害が一致する。そういう根拠もあったから、セイレン島で彼の力を借りると最終的に決心できたのだ。

 毎日が窮屈だから面白いことに首を突っ込む、なんて曖昧な言葉だけで、さすがに協力は仰げない。


「仕返し? 君の話とごっちゃにしてない? たしかに『あいつは気に喰わないから君のやりたいことを後押しできる』とは言ったけどね」


 わざとらしく目を見開いた挙句、首を傾げられてむっとした。


「ちょっと違う。あなたは『後押しする』と言ったの」

「だって、君が彼にそこまでこだわる姿を見るなんて予想してなかったから」

「どういうこと?」

「僕は実際には、君ほどロベルトなんて気にしてない。強いていうならうざい羽虫程度。君が気にするから僕も気になるだけ」

「名前を出しただけであんなに機嫌を悪くしておいて、それを言う?」

「電車でのことを言ってる? それなら、君が彼を婚約者として慕って頼るみたいな言い方をしたからだよ」

「つまり、彼が誰かに慕われてることに苛立ったわけよね」


 ロベルトやジェニファーへの恨みをなぜか認めないハルに、私は核心を突きつけた。


「ロベルトは、あなたの婚約者であるジェニファー・エーブルを奪ったのよ。しかも大勢の前であなたを断罪し、彼女の代わりに婚約破棄の宣言までした。恨んで当然だわ」


 空気が凍った。今度は比喩的な意味で。

 しばらく固まったあと、ハルが低い声を出す。


「……ノア?」

「え、私が教えたんじゃありませんよ!? そんなタイミングなかったでしょうが。というかハル様、婚約破棄のこと話してなかったんですか!?」

「そこは話したよ。少し前までジェニファーと婚約してたけど、ロベルトに心変わりしたようだったから婚約は解消されたとね。でも大勢の前でどうこうなんて言ってない」

「なかなかマイルドな説明ですが、それでも結構酷い話ですよねえ」


 一人で頷くノアは無視して、ハルは私に訊いてくる。


「どうして知ってるの。言ってないことまで」

「そんなセンセーショナルな話題、研究学校の生徒達の近くにいれば嫌でも耳に入るわ。むしろなぜ隠してたの。ロベルトとジェニファーに関することは重要な情報よ」

「別に……深い意味はないけど」


 怒りは消え、拗ねたような態度になった。

 困惑した私とノアは自然と顔を見合わせる。


「君に聞かせるほどのことじゃないかなって思っただけだ。家同士が勝手に決めた話で、いずれは婚約解消する予定だったし」

「だとしても、舞踏会で婚約破棄を告げられるなんて酷い辱めだと思うし、言わないでおくには大きすぎる出来事でしょう」


 ハルは観念したように息を吐く。


「そんなかっこ悪いこと、君に詳しく説明したくないだろ」


 しばらく私とノアは無言だった。

 ハルはいじけたように、手元の新聞を小さく指先でとんとんと弾いている。


「変なとこで妙なピュアさを発揮しますね、ハル様……」


 棒読み気味でノアが言い、思い出したように私に「そういえばこのクッキー、チーズ味で甘くないですよ」と机におかれた皿を示す。さらに「トウカの街の店でハル様が自分で選んで買いました」と付け加える。

 メッセージに書かれていた、甘くない焼き菓子だ。


「もう他に、言っておくことはない?」


 クッキーに手を伸ばしながら、ハルに聞く。なんだかちょっと、子供を宥めるような声音になったのは仕方ない。


「君のほうこそ。言っておくことはないの」


 聞き返された。調子を取り戻すのが早い。


「ないわよ」


 ピュアな理由で隠しているようなことは、何もない。

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