2-5:特別個室で

「お待ちしておりました」


 カードに書かれていた部屋番号の扉をノックすれば、すぐに扉が開きノアが出迎えてくれた。


 特別個室は、狭いながらも居心地のよさそうな空間だった。一時間少々を静かに過ごすためだけのこの部屋は、きっと有力な家の者だとか名誉島民候補生だけが使えるのだろう。

 私にメッセージカードを寄越した男は、その両方に当てはまっている。


「やあ、いらっしゃい。よかった、来てくれて」

「急にお誘いなんて、どういうつもりかしら」


 高級そうなアンティークの丸テーブルとイスのセット。そこに優雅に座るハル。窓の向こうには青い空が広がっていて、急に違う空間にやってきた感覚に陥る。


 丸テーブルのもう一つの椅子をノアが引いてくれた。

 座ると、ハルと二人、まるで窓からの景色でも楽しんでいるかのようになる。「飲み物はいかがしますか」とノアに聞かれ、コーヒーを頼む。紅茶は、さっきのカフェで十分飲んだ。


「トウカの港を離れれば、この船内はセイレン島と同じ扱いだ。君は無事にティシュア帝国から出られたわけだ。だからもっと、くつろいでほしくてね」

「十分くつろいでたわ。それより、あなたが私の世話を焼くのは島についてからってことで、港で別れたわよね? どうして早々に呼び出してきてるの」

「それだけど、やっぱりこの船の中からすでに見せつけたい。ほら、僕が君の味方だってことをさ。このあと一緒に甲板に景色を見に行こう」


 まったく悪びれた様子はなく、そんなことを言う。

 そうやって純粋に期待に満ちた目で見られても……。


「見せつける気はないから、行かない」

「空に浮かぶ船なんて世界中でここでしか乗れないのに。陸地を空から見渡せるんだ。ちょっとずつ建物が小さくなっていくところ、見てみたくないかな」

「私は無事に島に辿り着ければいいの。ここへの誘いだって、乗らなくてもよかったんだけど――」

「でも来てくれた。気まぐれの理由は?」


 私は小さく息を吐いた。


「楽しいことがあって、いい気分だったからかな」

「へえ?」


 妙に意味ありげな相槌だった。


「何よ」

「その割に疲れた顔をしてるね」

「気のせいじゃない?」


 彼を軽く睨むけど、見透かしたような目で薄く笑っている。本当に食えない。


「それよりあなた、こんなに新聞を読んでるのね。それとも特別に確認したいニュースでもあったのかしら」


 話を変えて机の上に積まれていた紙の束に言及する。

 宿の部屋で出航までの時間を潰している間、ノアが用事を頼まれて席を外していた時間があった。これを買いに行っていたのだろう。


「どうせ察してるだろ?」

「コラク公国の王女失踪って記事はあった?」

「いや、まったくなかった。まだ隠せてるらしいな。少なくとも公にはなっていない。僕は、は政府相手にもまだ隠せていると予想するね」


 ヴィーク侯爵。

 私がセイレン島で頼ろうといているロベルト・ヴィークの父親だ。

 そして自分の元から逃げ出した王女を捕まえようと追手を放った人物。


「根拠は?」

「王女の特徴をやけに詳しく語ってる新聞があったんだ。載せているのは一紙だけで、大して部数も刷ってなさそうな小さな出版社のようだ。こんな地味なやり方を仕掛ける余裕があり、かつこんな地味なやり方しかできない、という点が判断材料だね」


 ハルが手にしたのは、政治の話なんて一面にならなそうな、いかにもなゴシップ紙だ。実際、トップを飾っているのはトウカで人気の歌姫が誰それと熱愛しているとかなんとか。


「ティシュアとの併合に関連して、第二王女がトウカへお忍びで遊びに来ているかもしれないって記事が載ってる。王女の背丈や、綺麗な長い紫の髪を持つことなんかにも触れているね」

「この髪色はわかりやすい特徴よね。コラクではそこそこ見かける色なんだけど、ティシュアには少ない」

「記事によれば、『第二王女は髪色を隠すような恰好をして、すでに住民に紛れて観光しているかもしれない。コラクでは彼女を見つけて声をかけることができると、精霊の加護が得られると言われていた』――だってさ」


 記事の意図を察して、はあと大きくため息をつく。


「聞いたことない。盛大な作り話だわ」

「トウカの住民に、王女探しを手伝わせようってことですか」


 目の前にクッキーの皿を並べていたノアが、私の推測を代弁してくれる。


「その記事を発端に噂が巡れば、住民達が王女を探し出す。見つければ騒ぎが起きる。そこで潜んでいた追手がすぐに確保する。そういうことですよね。本物の王女か判断できる者はいませんし、騒いだ住民達には人違いだと誤魔化す……」

「可能だと思うわ」

「なんたって第二王女は絵姿もほぼ出回っていない、公務にもあまり姿を見せない、政治にも興味のない、存在の薄いご令嬢。だものね?」


 ハルがからかうように確認してきた。


「一般的な認識はそうなってるわね」


 私は肩をすくめてみせる。いろいろと事情があるのだ。……いや、あったのだ。


「ハルの言う通り、この新聞だけじゃ規模がちょっと小さい。王女の失踪を政府が知ってこっそり連れ戻そうとしているとしたら、何紙か同時に話題にさせると思う。追ってきてるのはヴィーク候だけね」


 こちらも追手への対策はしてある。同時に使用人の何人かが別々の場所を目指して逃げ出し、攪乱した。私を追っている相手も、私が王女だと確信は持ちきれていないはずだ。


 それでも隙を見せれば、きっとすぐに気付かれる。

 王女の逃亡先として一番有力なのはコラク公国として、その次がセイレンだ。それなりの人手を送り込んでいるだろう。


 お茶の準備を終えたノアが首を傾げた。


「王女の出奔なんて大事件、政府関係者相手によく隠せてるなとも思っちゃいますけどね。コラク公国の王族については、扱いが正式に決まるまでヴィーク家が面倒を見るということでしたが……。ばれないくらい、完全に一任なんですか?」


「コラク公国と帝国の窓口役はヴィーク家だったから、その関係でね。貴族と平民による議会制をとる帝国に属しながら、特区扱いで国を名乗れたコラク公国は王制を続けてた。貴族であるヴィーク侯爵が窓口で、やりやすい面があったのは事実なのよ」


 第二王女とヴィーク家の次男の婚約話が出たのも、そういう関係があったからだ。

 彼が急に自分の領地に第二王女を招きたいと言いだしたのが、すんなり通ったのも。

 

 三週間ほど前、ヴィーク侯爵は自分の領地に第二王女を招いた。コラクがティシュアに完全に吸収されることが発表されたとき、公国内で何が起こるかわからないから念のためにだ。

 特に息子の婚約者には、無事でいてほしいからと。


 彼の真の目的に気付けたのは、残念ながら招かれた後だった。


「ロベルト様は、あなたが逃亡している原因とやらには関わってはいないんですか」

「彼は今回の帰省期間にヴィーク候の領地には戻ってこなかったわ。私達……コラク側とヴィーク候の間で問題が起きたとき、彼はその場にはいなかった。事情は知らされているかもしれないけど」


 一体どんな問題が起きたのか、具体的なことはハル達には言っていない。悪いけど、そこは簡単に明かせない。

 それで協力を断られたらそれまでだと思っていたけど、ハルは構わないと言ってくれた。下手に踏み込みすぎるのもまずいと察したのだと思う。


「休暇前、ロベルトは知り合いの男爵家の領地の視察をすると触れ回っていたな。ガラス工芸品の工房が多くあるらしくてね。精霊の加護で、ガラス加工時に彼が傍にいると完成度があがるんだ。面倒だけど懇願されて仕方なくって楽しそうに言ってたね」


 ロベルトはそんな風に周囲に言っていたのか。


 あのときはまだ、ロベルトとジェニファーのことは何も知らなかった。短い帰省期間だから仕方ないと諦めていたけど、酷い温度差だ。


「ヴィーク候にとって彼は、保険だったのかもしれないわ」

「保険?」

「万が一に王女と……私と関係が拗れても、事情を知らない恋する相手ロベルトがいれば、簡単にヴィーク家が見限られないと踏んだのよ。困って頼る先がロベルトになってくれれば、やりようがあると考えたんでしょう」

「実際、君は婚約者を頼ろうとセイレン島に向かっている。保険は成功だね」


 笑いながら悪戯っぽく続けるハルを横目で睨む。実際は頼るためではなく、逃亡ついでに個人的八つ当たりをするために向かっている。それを知った上の冗談だ。

 私は話を戻すように、新聞に目をやった。


「人の噂って侮れないわ。この新聞だけにしか載ってなくたって、もたもたしてたら船に乗れなかった可能性もあったかも」


 入学試練まではまだ数日ある。研究学校の臨時便以外を利用してセイレン島に向かっても、問題ない。

 状況次第でギリギリまでトウカに潜むことも考えていた。さっさと船に乗ったのは正解だった。


 特別列車に無事に乗れたことも大きい。

 あの列車は精霊の力を借りて動かされていて、普通の倍のスピードが出せる。もしあの列車に乗れなければ、トウカにつくのは明日か明後日あたりになっていた。


 あの列車は他よりも運賃が高く、十日に一回しか運行しない珍しい列車だ。しかも、精霊の気分次第では途中で力を貸してくれなくなることもあるという。

 でも列車は止まることなくトウカについてくれた。


 ――運も味方してくれた。


 精霊の力とは珍しい上に、安定して借り続けられると断言できないもの。

 たくさんの民が日常的に頼れる力にはなり得るのは、神秘の力ではなく蒸気機関を中心とした、人間の技術力だ。

 そういう考えが、コラク王が公国の終わりを決断する一因にもなった。帝国の技術力がもっと入ってきやすい形のほうが、長い目で見れば国民のためになるだろうと。


 だけど個人レベルの話なら、頼れるのならとてもありがたい力だ。


「あの列車に乗ってよかったわ」


 もちろん、頼れるのは精霊の力だけじゃない。


「改めて、ハルに匿ってもらえたのは助かった……ありがとう」

「ふふふふ、どういたしまして」

「どうしたの、その変な笑い方」

「嬉しいだけだけど?」


 得意げにするハルが掴めない。本気で嬉しがっているようにも見えるけど、何がそこまで嬉しがる要素なのか心当たりがないから、こちらは不安になる。


 ノアをちらりと見ると、やれやれと苦笑しているだけだ。

 落ち着かない私は、カフェでのことを報告することにした。


「そういえばカフェで遭遇したの。ジェニファー・エーブルに」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る