1-2:紫の長い髪の女

 そのうち、外の気配を窺っていた彼が扉から離れた。開いていた窓を閉めて、そちらにも鍵をかける。

 そうして完全な密室になって――たぶん外に音がほとんど聞こえない状態になってから、ようやく話しかけてきた。


「ここは防音もしっかりしてる。小声なら話しても大丈夫だ。あいつらは車両を移動したみたいだしね」


 部屋の明るさを最初と同じくらいに戻して、彼が近くに戻ってくる。

 寝台の向かいには物書き机と椅子がある。噂の一等客室は余裕のある立派な作りだ。彼は椅子を横向きにずらすと、背もたれに体の右側を預けるようにしてこちらを向いて座った。

 私も布団から出て、寝台に座って彼と向き合う。


「紫の、長い髪の女」


 私を見て、彼が男達の言っていた言葉を口にする。

 布団にくるまったときにつけていたスカーフがずれてしまい、アップにまとめた長い濃い紫色の髪が見えてしまっていた。


「たしかコラク公国の第二王女も、長くて綺麗な紫の髪が印象的なんだって一部ではよく知られてるね?」


 膝に置いた手に力が入る。彼はどこまで察しているのだろう。


「つい先日、特区だったコラク公国は完全に僕達の国――このティシュア帝国に併合されると発表された。ここのところ、新聞を賑わせている話題だ」


 険しい顔のまま、私は黙り込んで自分の手元を見つめていた。彼も話すのを止めて黙る。


 そのうちに汽笛の音と共に列車が動き出した。彼が立ち上がってカーテンの隙間から外を覗いてすぐに戻る。


「君を探してたやつらはホームにいたよ。この列車は違うと判断したんだろう。よかったね」

「ありがとう、助かったわ」


 私はようやくほっとして、体の力を抜く。これでなんとか目的地に向かえる。


「ねえ、君はトウカに行きたいんだよね?」

「え、ええ、そうだけど」


 妙に馴れ馴れしく楽しげな空気が私を警戒させた。


「ということは、この列車が目的地に着くまで君をこの部屋に匿えば僕の仕事は終わっちゃうな。簡単すぎて面白くない。君、他にしてほしいことはない?」

「急に何……」


 一体どういうつもりだ。

 怪訝な顔をしても、目の前の相手は気にしなかった。

 子供みたいなキラキラした目で、楽しみな旅行の話でもするように、私の逃亡先について聞いてくる。


「トウカに着いたあとはどうする予定なの? その後の予定にもぜひ僕を噛ませてほしいな」

「状況わかってる? あなたは脅されて私を匿ったのよ。それだけなの」

「ああ、そういうポーズが必要? なら脅されてることにしとくから安心して」

「いや、ポーズというか……」


 なんなのだろう、この人。まさか私の協力者になるよう誰かが手を回した?

 いやあり得ない。それならさすがに連絡がある。彼だって、私が誰なのかもっと確信を持って接してくるはずだ。


 急に乗り込んできてナイフを突きつけてきた相手に、どうして彼がこんな態度をとれるのか、私には理解不可能だった。


「聞こえていたかもしれないけど、僕はこれでも伯爵家の息子だ。いろいろと便宜を図ってあげられることも多いと思うけど」

「…………」

「見る限り、君の旅路はだいぶ前途多難そうだ。僕の協力が得られれば、だいぶ楽になるだろうね」


 整った顔で人懐っこそうに笑いかけられる。女性が照れて顔を赤らめてしまっても当然な容姿の彼。

 でもどこか油断ならない空気も漂っていて、それが綺麗な顔立ちと相まって、うっすら底知れぬ恐ろしさも感じさせた。


 たしかに彼に力を貸してもらえば私の目的は格段に達成しやすくなる。

 しかし、それでメリットがあるのは私ばかり。

 彼はむしろリスクを負うほうだろう。今の時点ですでに危ない橋を渡り始めていると、察せられないほど鈍感じゃないはず。


「なぜ私に協力したがるのかしら? 私は自分の事情も何もまだ話していないのよ。謝礼するとは言ったけど」


 睨むように見ると、ふざけた雰囲気を消して彼は答えた。


「窮屈な毎日なんだ」


 先ほどまでの楽しげな空気が嘘みたいに消える。薄っすら笑っているが、笑顔の種類が違う。


「だから面白そうなことには積極的に首を突っ込みたい。それでどう?」


 どう、と聞かれても。


「もう少し、あなたを信用できそうな理由がいい」

「真面目な理由なんだけどなあ。じゃあ君に一目ぼれしたって言ったら信じてくれる?」

「信じない」

「はは、だよね。……ならこういう理由は? さっき君を隠した時点で僕はもう共犯だ。彼らにとって僕は、君を攫う誘拐犯だともいえるだろう。つまり彼らの敵になってしまった。君のせいで」

「何が言いたいの」

「こうなった以上、僕としては君に存分に協力して十分な謝礼を貰うほうが得だ」


 小さくため息をつく。まさかこれ、脅し返されているのだろうか?

 私のせいで悪者になったから、責任持って最後まで付き合わせろと。


「考え方が悪党っぽくない?」


 真剣な話をしているはずなのに、そんな感想を述べてしまった。


「じゃあ君を悪人から守る正義の味方にさせてくれ」

「勝手に物語を作らないで。それに演じるとしたら、私は悪役よ」

「ちょうどいい。僕もどちらかといえば悪役のほうが性に合ってるんだよね」


 何を言っても無駄だ、この人。

 明日の昼前にこの列車はトウカに着く。それまでに、二回ほど駅で停車するタイミングがある。下手に彼の機嫌を損ねて、そのどちらかで私の旅が終わるなんて避けたい。もしくは到着駅で気が変わった彼が私をどこかに差し出す、という事態だってありえなくはない。


 ここは彼に乗っかっておこう。機嫌をとっておこう。

 謝礼を出すというのは嘘じゃない。うまくいけば案外、彼とはいい取引ができるかも。なんなら、全面的に味方として引き込むのもありだ。


 この部屋に乗るのがいいという占い結果……「予言」を私は受け取った。予言に関して、一番信用を置いている相手から。最初で最後の「私」に関する予言を。


 この部屋にいた彼に協力を仰ぐのは正解なのかもしれない。


「キタシラカワ伯爵家のご令息を、味方につけられるとは思っていなかったわ」


 にやりと笑ってやると、彼も心得たように笑い返してきた。


「改めて、ハル・キタシラカワだ」

「……ユリア」


 迷ったけど、結局その名を口にした。


「へえ。たしかコラク公国の第二王女が、そういう名前だったな」

「よく知っているのね」


 ティシュア帝国の一部、特区として自治の認められていた小さな国。あのティシュアに特例を認めさせていたこと以外、これといった特徴もない弱小国。

 特区だったのは、過去に戦争を避けて属国になることを話し合いで受け入れた際、当時の国王が相当にうまく立ち回ったからだ。


 他に特筆すべきことがあるとすれば、片側が切り立った険しい山脈と接していることくらい。一年中雪に覆われたその山の頂上には、力の強い精霊が棲むなんていわれていたりする。


 強大なティシュア帝国の上流階級からしたら、国王や跡継ぎの第一王女はまだしも、影の薄い第二王女の名前は知らなくて問題はない。


「これでも伯爵家の息子なんだ。政治についても多少の関心を持ってるよ」

「勉強熱心ね」


 私は胸元に隠していた大きな飾りのついたペンダントを取り出して、掲げてみせる。

 身を乗り出して顔を近づけた彼は「ツツジアザレアとウグイス。コラク王家の紋章だ」と呟き、体を戻した。


「僕は君をユリアと呼べばいいの?」

「呼ばないで。正体を隠して逃げているんだから」

「じゃあなんと呼べばいい?」


 少し躊躇う。でも、ここで変に誤魔化しても意味はないと判断した。セイレンにつけば知られることだ。


「イリナでいいわ。私のことは、イリナ・アドラーと呼んで」

「イリナ……イリナか。うん、こちらのほうが口に馴染むな」


 ……満足そうでなによりだ。


「あの国の王族は、我が国への併合後も貴族同等の扱いを受けることになっていたはずだね。詳細はこれからという話だったけど」

「ええ。貴族も王族も、財産をとられることもなく、領地に関してもできるだけ前と同じように扱ってもらえると」

「悪くない扱いだ。なのに君はどうして逃げてるんだい」

「人を殺すためよ。……って言ったらどうする?」

「僕に手伝えることはあるかな?」


 全然動じることなくそんな返事を寄越すので、私のほうが渋い顔になってしまった。


「君は一体誰を殺したい?」

「今のは嘘、冗談よ。仮に本気だったとしても、ここで言うわけないと思わない?」

「ふうん。そうだ、なら誰を殺したいか当てたら何か褒美をくれるってのはどう。君と僕とでのちょっとしたお遊びってことで」

「いやだから冗談だと――」


 途中で言葉を切り、小さなため息をつく。完全に面白がっている彼の様子に、適当に合わせておいたほうが喜びそうだと判断した。


「いいわ。もしも当てられたら、あなたの言うこと聞いてあげる……これでいい?」

「その言葉、忘れないよ」


 彼は嬉しそうだ。目的地に向かうための必要な茶番だと思えば安いものだろう。

 満足したのか彼が真面目になった。


「それで? 冗談ではないほうの逃げている理由は?」

「捕まってしまったら……飼い殺しの人生が待ってる。だから攫ってほしい。セイレン精霊研究学校まで」


 それは彼が通う特別な学校だった。

 入学資格を持つのは十五歳から二十一歳までの者。そして精霊に少しでも愛されている者だ。


「セイレン島に亡命したい、ということかな」

「その通り」

「わざわざ精霊研究学校を指定する理由は?」

「ままならない状況に対する、せめてもの八つ当たりかしら」


 意味が分からないというように小さく彼が目を見開いた。間違えた、今のは言わなくていいことだ。


「一番の理由は、あそこにはツテがあるからよ」

「ツテ?」

「婚約者がいるの。彼の元に辿り着けばきっと助けてくれる。ロベルト・ヴィーク。ヴィーク侯爵家の子息で――」


 言った瞬間に失言だったと気付いた。

 笑顔のまま目を細める彼に、なぜかとてつもない寒気を覚えたから。

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