第47話 成果

「おーい、こっちこっち。」講堂の後ろ側の扉から顔を出すと、吉邨と風間君、川崎氏までもが勢揃いして演壇の真正面最前列に陣取っているのが見えた。たまたま後ろを振り向いた吉邨が、こちらに気がついて手を振りながら立ち上がる。渋々寄っていくと、その道すがらあちこちからスマホのカメラを向けられて勝手に撮影され始める。国営放送の特別番組が放送されてからというもの、すっかり業界の有名人扱いされるようになり、わりと気の抜けない毎日を送っている。

『あ、ほらこないだのしんかい6500のパイロット』そもそもパイロットとは一言も言われていなかった筈。だが、うろ覚えというのは恐ろしいもので、あちこちでそういう囁きが漏れ聴こえる。

「……このあと午後一番で発表だから。」とりあえず発表予定時刻の変更点などはないというのだけ伝えて、うっとうしいざわめきからさっさと離脱する。廊下に出るとどうやら探しに来ていたらしい京極君が同じく勝手に向けられるスマホを振り切るように小走りで近付いて来る。京極君も最初の頃のボサボサ頭から思い返すと大分垢抜けて、田邊教授からはイケメン枠にカウントされるようになってきたらしい。二人で並んで歩いている所まで何やらスマホが追いかけてくる。

「……田邊教授が、スライドショーの画面に追加したい資料が上がってきたから確認してくれって言ってました。」

「…えぇ〰️?発表まであと二時間だよ?……追加って何?」今回の発表は、事前の国営放送番組と絡んでマスコミにまで注目されている。結局あのあとの追加調査では、すでに個体が移動してしまったのか、ほとんど成果は見られず、私達の確保したサンプルも完全体ではなかったために、田邊教授の目指した『新種発見』とまではいかなかった。それでも、かなり珍しい生態の生物群の存在を明らかにすることが出来たし、これまでの移動経路のデータや、更に追加された被害個体のデータなどの蓄積で、調査から約半年後のこの水産学会での発表に、なんとか漕ぎ着けたのだ。あの日のしんかい6500での調査の後、母船よこすかに記録されたカメラ画像を解析したり、サンプルの調査をしたりと、通常の院生初年度では有り得ないような密度の濃い毎日に鍛え上げられてか、頼りなかった京極君も、すっかり逞しくなってくれた。

「……なんか、高畠教授が設置してた相模湾の深海底カメラの画像を再解析したら見つかった画像らしいです。短時間の動画らしいので、付け足すのは僕達やりますから、はじめさんは、画像確認と、どこら辺に入れ込むか指示をお願いします。」相変わらず私はパソコンの画像処理関連が苦手なので、そういう面でも京極君の存在は非常に有難い。

「……相模湾か。2月頃かな。どうやって説明入れるか、考えよう。」早足で 移動しながらなんとか野次馬カメラを振り切り、関係者以外立ち入り禁止の三角コーンが置いてある所を越えて発表者控え室に向かう。

「あー。来た来た。昨日の夜に高畠教授から送られてきた画像なんだよ。前に見た画像の端の部分に、画像解析フィルターをかけたら、どうやら群れの『本体』が写っていたらしい。」田邊教授がパソコンの前で考えこみながら手招きしている。小走りで部屋に入り、パソコン画面を覗くと、確かに見覚えのある『白いホースのようなモノ』の右側後方に白いモップをまとめたような蠢く物体が映り込んでいる。貴重な画像なのでうっかり消去しないように、慎重な手つきで京極君が拡大する。江ノ島水族館はかなりいいカメラを設置しているらしく、画像解析フィルターの性能の限界まで頑張ってかなり拡大しても画像が荒くならないようだ。多少ピントが甘くなる部分を、解析プログラムによって補い、私達が母船よこすかで撮影に成功したシルエット画像とほぼ合致する画像がカラーで手に入った。

「………やはり、どうみても、アレに似ているという印象が浮かぶな。」田邊教授もしみじみとそう呟く。

「そうですね。やはり名称はぴったりだと思います…でも、本当に先生の名前入れなくていいんですか?」話題にしているのは、新種と思われる生物が発見されたときに、発見者が得る『命名権』の話だ。その生物の学術上の名前(ラテン語が多い)には、発見者の名前などが使われる事も多くある。いわば永久に自分の名前が残っていく訳だから、生物学界隈だけでなく研究者としての名誉でもあるのだ。図鑑等でも、名前のついた経緯などで必ずと言っていいほど発見者の事に触れられるのに、田邊教授が選んだ名前には、田邊のラテン語である“tanabeii”が含まれない。

「…うん。いいんだよ。…だって野暮ったいじゃない。“sipuncula medusaii”のほうが格好いいし。」田邊教授の美学に関してとやかくいう権利はないので、私はその話題を終わらせることにする。

「わかりました。……で、この画像は、どの辺りに入れ込みますか?」学会発表の時間まであと1時間程しかない。場所を決めたらその画像に呼応する箇所の発表原稿も変えなくてはならないのだ。

「順序としたら同時期の所だろうけど、画像の持つ効果を鑑みて、学術上の名前の発表前に入れ込んで命名の説得力を上げたいね。」

田邊教授のこういうセンスは外れない。画像のもたらす効果を熟知して、それを上手く利用して講義や講演会などをするので、どこでも『面白くて分かりやすくためになる』と評判だ。市民講座なんかはいつも大人気で毎回抽選になるほどなのだから。

「…なるほど、わかりました。では、結論の直前部分に入れ込みますね。…京極君。」

京極君も心得たもので、スムーズに前後の画像と違和感なく繋げてくれた。あとは私が原稿を変更して、田邊教授に見てもらい、何とか開始前に間に合わせる事が出来た。

「…失礼します。そろそろ発表順ですので、準備お願いいたします。」扉をノックして案内の学生さんが顔を出す。

「…さて。行きますか。」三人で連れだって、控え室を出て発表会場へ向かう。またしても道すがらスマホを向けられるなか、京極君が呟く。

「あの番組って、そんなに観る人多い人気番組じゃないですよね?」放送時間帯も夜10時からと、あまり視聴率の高い時間帯ではなかった筈だ。教育テレビの10時台など、マニア向けな企画番組枠だからと、はっきり言って高をくくっていたのだが。

「ネットでも話題になったらしいよ。」田邊教授のほうが詳しいようだ。

「……まさか、事前に関係者各位お知らせとか…してないですよね?田邊教授。」

「…いやぁ……そりゃお世話になった皆様なんかには多少ねぇ。」ここは水産学会、関係者各位ならばこの盛り上がりかたも心底納得だが。私は京極君と顔を見合わせた。

「……そんなこったろうと、おもいましたけどね。それでも家族が知ってる訳ないとおもいますけど。」京極君の口振りだと、どうやら実家のほうでもかなり騒ぎになったらしい。特に地方都市に行くほど国営放送に知人が出演するというのはビックニュースになるようだ。

「…うちの家族に、わざわざ録画して見せてあげた近所の人がいて、『何で先に知らせないの!』って叱られましたよ。」

「……あるねぇ。流石に私の両親はもう慣れたけど、最初は叱られたわ。『親戚中に自慢したのに!』とか言ってさ。それが嫌なんだっての。」京極君が苦笑いしながら頷く。そうこうしているうちに、発表会場に到着し、私達はそれぞれ演壇と、後ろの画像投影用機材に分かれて入室する。田邊教授は、質問に備えて私と同じ演壇側に待機してもらう。

「…それでは、T海大学海洋学部水産学科田邊研究室の発表を始めさせて頂きます。」

静まり返った講義室内で、まずはスライドを併用して、調査研究に至る経緯を説明していく。さすがに魚類水産を専門とする人間の集まりだ。被害個体のかなり傍目にグロテスクな画像でも、誰一人として動揺を見せずに集中してくる。

「……このような特徴的創傷痕と、被害報告の移動情報の分析により、JAMSTECのメンテナンス試験航海時に同行させて頂く機会を得ることか出来ました。」最前列に陣取ってるメンバーがニヤリとするのが目の端に入る。スライド画面の切り替えに会わせて、

「また、今回JAMSTECの研究員でもある、深海生物学にお詳しい高畠客員教授の御助言と、資料の提供を頂くことが出来ました。」そして例の江ノ島水族館の深海カメラでの個体のアップを写し出す。案の定生体の画像に会場全体がざわつく。そのまま畳み掛けるように、ハイパードルフィン採取のサンプルの拡大画像と、水野から提供された通常サイズのホシムシの画像をあげながらそれぞれの類似点について述べていく。

「…また、そのほかにも被害個体創傷内部から採取したサンプルの歯牙と、大きさは異なるものの、ホシムシのうち、サメハダホシムシ群の陥入吻内部の棘との構成物質の相同などからも、今回発見されたこちらの生物群がいわゆる『サメハダホシムシ』のなかの変異種であるという可能性が非常に濃厚となりました。」一息にそこまで述べて、テーブル上のグラスに注いだ水を飲む。会場内部は想定外の生物群の提案に、かなりざわついている。それは当然だと思う。通常のサメハダホシムシの仲間は、浅海性で、海底の砂を食べて、中に含まれるデトリタスを餌として生きる、非常に地味でおとなしく、小さな生物というイメージが固定されている。海底の岩の隙間などで、ほとんど自力で移動することもなく一生を終えていく生物群だ。先ほどの画像で、これでもかというくらいに外見的類似点を並べ立てていなければ、信じられないだろう。私達も実際に目撃しなければ、被害個体のなかでも体表の表皮が硬い鯨類やサメなどを食い破ってあっという間に喰らい尽くす獰猛な生物がホシムシの仲間だとは信じられない。これまでの生物群の特性とはかけ離れた性質に、なかなか納得がいかずにざわめく会場内。畳み掛けるようにして、しんかい6500で撮影したシュモクザメの襲撃映像を短く編集したものを流すと、ざわめきが静まり返る。さすがにこちらの画像では、幾人か耐性の低い学生さんが口元を押さえて廊下に転がり出ていく姿が散見された。

とりあえず先ほど追加で挿入された画像から学名の提案、簡単な生態や特徴の説明などを続けて、原稿を読み終わり質疑応答の時間をとることにする。会場内に虚脱したような空気が漂うなか、動画のインパクトに当てられてか、ろくに質問の手が、あがることもなく

「……質問等、ございませんか?……では、これでT海大学の発表を終了させて頂きます。」司会進行のアナウンスで、凍りついたような会場の空気がようやく動き始める。

「……ふぅ。」思わず小さくため息をつきながら私も演壇の上を片付け、廊下に出ると、既にそこには吉邨達JAMSTECのメンバーと、田邊教授、京極君が勢揃いして待っていた。

「………お疲れ。」全員からねぎらいの肩ぽんぽんをされて始めて、自分の肩が緊張のあまりにガチガチだった事に気がつく。

「あとは論文査読出して、チェック通したら橘君は博士号だな。」高畠教授にそう言われてからやっと実感が湧いてくる。

「……通りますかね。」そう呟くと、

「質問の余地もないほどのインパクトと説得力だったからな。大丈夫だろ。」と吉邨が返してくれる。

「これで博士号取ったら『メデューサの橘』って呼ばないとな。」という田邊教授の一言に、一同でひとしきり大笑いする。

「…変な通り名付けないで下さいよぉ。」

次の発表が始まるので、控え室へと移動しながらも、私は研究者としての一歩を踏み出したのを実感していた。

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