第46話 閑話休題 観測
「……こちらしんかい6500。まもなく目的深度到達します。」調査開始から約二時間ほどが経過し、無事に目的地点である石花海北堆付近水深約2000m地点到達の連絡が入る。
「…こちら母船よこすか。了解しました。」
後部甲板にあるモニタールーム内に、ほっとした空気が流れる。これまでの運用で未だに無事故で来てはいるものの、相手は何しろ未知の世界だ。実験調査航海は、毎回どんなアクシデントにも対応出来る想定で母船サイドもスタンバイしているのだ。特に今回は未知の生物に対する調査だ。大型魚類を食い散らかすほどの力のある生物だと思われるのだから、どんな事態も起こりうると想定したほうが良い。はじめさんは能天気に構えて、むしろしんかい6500に搭乗出来るのを楽しみにしていたふしがあるが、僕にしてみれば、ハナゴンドウクジラや、イタチザメなんかの大型個体が襲撃されるような凶悪な生物の調査潜航等、恐怖以外のナニモノでもない。暗黒の深海底に潜む肉食の凶悪な生物………まあ、確かに多少洋モノパニックホラーの影響は否めないが。しんかい6500の機体は、高い水圧に耐える凄まじい強度を誇る、日本の海洋航海技術の粋を集めたものだから、たとえ凶悪な肉食生物が相手でも、万に一つも破損の可能性は無いのだ。僕は昨夜からずっと自分にそう言い聞かせている。
「…了解、では10分後に誘引餌の放出開始。」着底の衝撃で舞い上げられた海底の微粒子が落ち着くのを待ってから実験開始のようだ。しんかい6500内部コックピットを映しているカメラのモニター画面には、忙しくあちこち記録をとっているはじめさん達三人が見えている。船外カメラには、舞い上げられた海底の微粒子が、粉雪のように照明に反射して煌めいているの越しに、先行して着底したケージが見えている。
「……ケージ内部カメラの動作確認します。」風間君が緒方カメラマンと相談しながらカメラの画角やピント等を調整する。
「…最近のカメラってのは、凄いもんだねぇ」先刻までモニタールームの隅で高畠教授と難しい話をしていた田邊教授が、いつの間にか背後からモニターを覗き込んでしきりに画像の鮮やかさに感心している。確かに昔の資料映像なんかと見比べると、画面の滑らかさが断然違う。解像度が上がっているせいか、細かな微粒子の巻き上げる渦なんかもはっきりくっきり見えるほどだ。
「…もう少し照度が欲しいですけどねぇ。」カメラマンが腕組みしながらそう応える。
「いやいや。あまり煌々と照らすと、生物によっては身の危険を感知して回避されてしまうこともあるからね。特に深海生物は光に対する感受性が高いから。」田邊教授の言葉に、カメラマンは首を傾げる。
「光が苦手なんですか?」
「…うーん。苦手というよりも、………そうだなぁ。トンネルから晴れた空に出た時みたいに、その………明暗のコントラストが大きな所を避ける……という感じかなぁ。」田邊教授も一般人にも解りやすく噛み砕いて説明に苦慮しているようだ。深海生物に発光体を持って光る生物が多いが、それは主にその『明暗のコントラスト』を利用して、海底から海面方向を見た時に、腹側を光らせて自分の体が、作り出す影を『打ち消す』ために光っているというのを授業でやった時に、光る=目立つだと思い込んでいた自分の固定観念がひっくり返ったのを思い出す。
「……な、なるほど?」わかったのかどうか微妙なニュアンスで返事をしてお茶を濁した緒方カメラマンは、何やらゴニョゴニョ口の中で呟きながら他の撮影スタッフの集まっている一角へと引っ込んで行った。撮影部隊は、実験開始の時にひとしきりこちらのモニタールームの緊迫した雰囲気を撮影して、そのあとは片隅に集まって何やら撮影の今後の段取りや予定時間等を相談しているらしい。
「…こちらしんかい6500、只今より誘引餌散布開始します。ソナーによる周辺検索を実行します。…そちらでもソナー画像は見られますか?」そうこうしているうちに微粒子が落ち着き、実験が開始された。
「こちら母船よこすか。了解しました。…ソナー画像、……はい。こちらのモニター画面でも、記録してます。」いくつか並んで設置されているモニターのうち、一つがソナー画像だろう。中央にしんかい6500の機体らしき発信点があり、そこから同心円を描いて発振毎に周辺の音波を反射する物体を映し出している。機体の隣にある四角は、囮のシュモクザメが入ったケージだろう。周辺には今のところ、ある程度の大きさの反射物は存在していないようだ。母船よこすかにも高性能ソナーは搭載されているはずだが、音波が干渉して、解析の精度が落ちる上に、探査対象の水域が深海底の水深2000mクラスとなると、そこまで到達するためにはかなり強くアクティブソナーを打たなくてはならなくなる。生物の中にはそれに反応して回避行動を取る種類もあるので、今回のような未知の生物の探査には、使えない。ひたすら30秒おきに発振するソナー画像を見つめながら、一体どれだけ経過しただろう。
「…あれ、何だコレ。…魚?ではないな。」
風間君が画面の何かに気付いた様子で、高畠教授を振り返っている。それにどうやらしんかい6500サイドも気付いた様子で、外部設置のライトの向きが操作されて、ケージ内が大分明るくなる。そのおかげで、こちらのケージ内カメラの画像も大分はっきりとシュモクザメを映し出している。
「…カメラ画像、記録しておきますね。」風間君がコンソールを操作して、画面右上に赤い丸印が出現した。ソナーの発信は、やはり生物にもある程度感知出来るのだろう。発信のタイミングで身動ぎするシュモクザメをしばらく眺める。
「……やはり何か近付いてきてるな。」僕には全く面白味がないソナー画面を腕組みしながら立ったまま眺めていた田邊教授が、パソコンを触っていた高畠教授を呼び寄せて、二人で雁首揃えてソナー画面の発振を待っている。モニタールームに一気に緊張感がみなぎるのを感じる。
「……そうだね。……これか。」ソナー発振と同時に映し出される光の点というよりも『もや』のようなものは、確かにケージの方向に近付いているように見える。当初しんかい6500の尾部サイドから接近していたのが、途中進路を変更して右舷から回り込んでケージに接近しているようだ。いつの間にか田邊教授が手元の紙に模式的に移動経路を記録していた。ただぼーっと画面を眺めていた自分に反省する。
「……動きの遅さも、光点の輝度も明らかに魚群ではないね。」高畠教授も眉間に皺をよせて難しい顔になっている。僕にしてみれば、どこら辺が魚群と違うのかすらわからない。そもそもソナー画面というのを見たことも、航海実習の時以来だ。思わず曖昧な返事をしてみたが、やはり田邊教授には勘付かれたようだ。おもむろに教授は自分のスマホを取り出して画面を開いて写真を見せてくれた。
「…これが、一般的な魚の群れをソナー発信で捉えた画像。この場合、魚はある程度大きさがあれば、音波を反射して、こういうはっきりした光点の集合体が映るんだよ。それと比較して、今回の画像をみてごらん。」
「………何だかぼやっとしてますね。光の点の集まりというよりも、白いモヤみたいな感じです。」実際に目の前で実例を見比べると、明らかに魚群の画像とは現れ方が違っているのがはっきり判る。こういうことは、やはり実体験がモノをいう。ゲーム風に言うならば、『京極は解析レベルが1上がった』という感じだろう。経験値がレベルアップだ。
「…ということは、例の謎生物は、『魚ではない』ということになりますか?」風間君が高畠教授の方を振り向いてそう口にする。
「……うん、まだはっきりしたわけじゃないけど、昨日のサンプルから推測するならば、もっと原始的な生命体の、可能性が高いだろうと思うね。」高畠教授がそう答え、再びソナーの発振音が鳴ったその瞬間だった。
「うわっっ!………何だコレは?」一瞬画面から皆の目線が外れた隙に、突如暴れ出したシュモクザメが激しくケージの鉄格子に体を打ち付ける。巻き上げた微粒子越しだが、シュモクザメの腹部から何かしら白っぽいホースのようなモノが『生えている』。それは、どうやらケージの鉄格子の向こう側へ伸びているようだ。驚きのあまり凍りついた風間君の隣から一足早く立ち直った田邊教授がカメラを操作してシュモクザメの腹部をズームする。
「………うわぁ……」我々の緊張感を感じて少し離れた背後からカメラ画面を覗き込んでいたらしいテレビクルーの思わずというような呟きが、全てを物語る。『生えている』とみえたのは錯覚で、実際には、鉄格子の向こう側から伸びてきた『何かしら』が、シュモクザメの腹部を食い破って内部に潜り込んでいく所だったのだ。鉄格子の向こう側のライトの届かない暗闇から、無数の白いホースのようなモノが伸びては喰い込み、離れてはまた別の触手が喰い込んでいく。『鮫肌』という言葉があるくらいだから、サメの表皮というのは比較的他の魚類に比べるとしっかりしているが、そんなことをモノともしない勢いで文字通りサメの腹側は瞬く間に中身を失っていく凄まじい様相を呈している。
「……ぅうっ……」堪えきれないという様な小さな呻き声を残してカメラクルーの女性陣二人が部屋を出ていく。残りのカメラマンやディレクターの男性陣も、青ざめた顔でかろうじてその場に踏みとどまっているだけという感じだ。まるでコマ送りのような速さで文字通り骨と皮だけにされていくのを、僕は全身総毛だったような気持ちでただ呆然と視ていた。
「……何故螺旋状の創傷面が形成されるのか、理由がわかったね。」田邊教授がポツリとそう呟く。やはり長年研究者として蓄積された経験値のおかげだろうか、田邊教授と高畠教授は顔色も変えずに冷静に画面を観察しているようだ。僕らにはさっぱり解らなかったが、何らかの特徴的な動きが見られたらしい。高畠教授も頷いている。
「…こちらしんかい6500。現在おそらく例の生物と接触中。ケージ内設置のカメラは録画されてますか?」どうやらしんかい6500側からは、微粒子の巻き上げで視界が悪化してシュモクザメが視認出来ないようだ。
「こちら母船よこすか。微粒子のせいで視界良好ではないが、ライト移動した時点から録画は開始しています。そちらのほうはどうですか?」風間君が応答する。そうしている間にも、謎生物の襲撃は終わりに近づき、ついに耐えきれなくなってか、テレビクルーの残ったメンバーもよろめきながらモニタールームから出ていく。かつてシュモクザメであったモノは、既にほとんど頭部と背骨周辺だけとなってケージの隅に横たわり、いつの間にか白いホースのようなモノも本数が徐々に減りながら離脱していくように見える。
「…目があるようには見えないがね。どこで感知しているんだろうか。」相変わらず田邊教授も高畠教授も非常に冷静この上もないコメントをしてくれる。微粒子越しにしんかい6500のマニュピレータが作動してケージの外側に沿って捕獲を試みているのが見えている。急速に移動を始めようとしている例の生物の一部だけでも、何とかサンプルを手にいれたい。祈るような気持ちで、マニュピレータの動きを見守る。
「…うん。良し……そこだ。行けっ…」風間君もどうやら同じ気持ちらしく、ぶつぶつとそう呟きながら手元がまるでラジコンを操作するような動きをしている。僕も知らず知らずのうちに、握りしめた手のひらにじんわりと汗をかいていた。
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