第45話 襲撃
ソナーの発振音が響き、画面上の光点が再び位置を変えてはっきりと写し出される。
「………やはりこちらを障害物と認識して、回避しているようだな。」手元の記録用紙に記入した光点の移動経路は、船体後方から右サイドを回り込むようにして接近しているのをはっきりと示している。
「…だんだん近くに来てるけど、外何か見えるか?」吉邨に促されて、ソナー画面から想定して右手奥の方をガラスに額をつけないようにしながら覗き込む。とはいえ深海底は、ライトのある場所以外は漆黒の闇に沈んでいる。私が首を傾げたのを見てとり、川崎氏がサーチライトの照らす方向を少しずつ遠くしながら移動させていく。先ほどまでは、ライトの端がケージにかかる程度で、シュモクザメはぼんやりシルエットになって見えていたのが、はっきりと写し出される。
「………うーん……特に何も見えないけどね。今のところ。」ライトに照らされて、ケージも、その片隅にセットされた耐圧カプセル入りの水中カメラもはっきり見える。 ライトの端と、暗黒の海中との境目が滲んだようにざわめいた気がして、もう一度目を凝らして見ようとすると、再びソナーの発振音が鳴り響く。ソナー画面を見るために振り向いた視界の隅で一瞬、白っぽい色が見えたような気がする。
「おい!やっぱり来たぞ!」吉邨の焦った声に窓の外が気になった事を忘れてソナー画面を見つめる。ソナーの画面に映し出されたケージの輪郭に重なるようにして光点の集合が移動してきているのを目視して、窓の外を視ようと再び振り向く。
「………うわっ?何だ?」巻き上げられた海底の微粒子のせいで視界が非常に悪化してしまっている。わかるのはケージの内部で何らかの出来事が発生して、シュモクザメが暴れているらしいというシルエットだけ。
「吉邨、とりあえず目測でいいからケージの外壁にそってマニュピレータ差し入れて動かしてみて。」昨日のソコボウズの一件は、記憶に新しい。吉邨も頷いて操作盤に向かい、外部のマニュピレータを動かして、砂煙が舞い上がり視界ゼロのなかで、レーダー画面を見ながらも、何とか原因を探ろうとしている。レーダー画像からすれば明らかに例の生物が現れたという可能性が高い。
「…くそっ!……視界が悪すぎる!余り無茶するとマニュピレータがケージと接触する。……」吉邨の悪戦苦闘に、川崎氏が操作盤に手を伸ばして外部フレームに設置された姿勢制御用の小型スクリューを作動させる。
「……こちらしんかい6500。現在おそらく例の生物と接触中。ケージ内設置のカメラは録画されてますか?」母船よこすかとの通信は、かなりざわめき交じりの状態で、おそらく母船サイドでのモニター画像には、何らかの映像が映し出されているのだろう。
「……こちら母船よこすか。微粒子のせいで視界良好ではないが、ライト移動した時点から録画は開始しています。そちらのほうは、どうですか?」若干興奮気味の口調ではあるものの、風間君からの通信で、とりあえずカメラ設置の目的は果たしたらしいというのはわかった。こちらも窓の外を目を凝らして観察する。外部スクリューの生み出す水流が、少しずつだが視界を改善方向に持っていく。だんだんケージの輪郭がはっきりしてきたので、吉邨が再びマニュピレータを伸ばしてケージにそって移動させる。
「……?何だか今手応えが………よし。確保したぞ。」操縦悍越しに、そんなのが判るのだろうか。疑問には思いながらも、少しほっとしながら再び晴れてきた視界に目を凝らす。
「………うわ。……やっぱりこうなるのか。」ケージの中の状態が、ようやく目視で観察出来る程度になった時、吉邨と川崎氏が同時に呟いた。まるで何かを堪えるような表情で見やるケージ内には、やはり転がって単なる物体と成り果てたシュモクザメの残骸が遺されていた。特徴的な頭部と、背びれに繋がる部分のみが、食い散らかされて無造作に転がっているのを目にしながら、私は更に回復していく視野の端へと目を凝らす。薄闇の境目に、何かが視えるような気がする。
「……………あれは。………」海底を何かが蠢いているのが視えた。靄のように海底に舞い上げられた微粒子のカーテンの向こう側に、輪郭のはっきりしない、不定形にうねる生物らしきシルエットが見えたような。
まるで遠目には絡み合った蛇のような生き物の集合体にも見える。
『…………メデューサ………』シルエットや見た目の大きさはまるで伝説の魔女メデューサの頭部のように見えた。しんかい6500のライトの照らす範囲から、『それ』はうねり、のたうちながらじわじわと遠ざかって行く。まるで意思を持って集団で移動するようにも見える。
「……それにしても、気持ち悪い動きだったな。ゴンズイ玉ともまたなんだか違う集団行動みたいな感じだ。」吉邨が悪寒を覚えて鳥肌の立った腕をさすりながらそう呟く。ゴンズイ玉というのは、ゴンズイという浅瀬に棲む魚類の幼魚が、外敵から身を守るために一ヶ所に集まって群れを作って移動するモノを言う。観察していると判るが、ゴンズイ玉は移動しながらも外側の幼魚が中に入って行くという独特の動きかたをしているのがわかる。つまり、進行方向へ移動しつつ外敵に狙われやすい外側を同じ個体が占めないように内側の個体と交代していくという複雑怪奇な動きで有名だ。それを傍目に視ると進みながらまるで黒いモヤのように回転運動をしているので違和感から『キモチワルイ』という感想を抱かれる。
「……確かにアレとはまた違う動きかたに見えるね。……何に例えたら良いんだろう。」さすがに生物学的に的確な言い表しかたを考えなくては、まさか神話の生き物を例える訳にはいかないだろうと、私はこれまで見てきた生物群集の例を脳内検索する。
「………メデューサ………」背後からその呟きが聞こえて、私は思わず振り返った。
「……いや、実際には見たことなんかないがね、その、ふと思いついて………」さすがに少し口ごもりながら川崎氏が言い訳をする。
「…確かにイメージとしては、『メデューサの首』が自力で移動するならあんな感じだとは思いましたけどね。」吉邨も苦笑いしながらも肯定する。三人とも同様な印象を持ったようだ。既に窓の外には、例の生物の気配はない。ソナー画面の発信にも、反応する光点群は見当たらない。
「……思ったより移動スピード速いんですね。」ソナーは30秒おきの発振だから、現在範囲外に出ている事で移動スピードの計算が可能だ。多分、深海では餌を食べている臭いが拡散して他生物が便乗しにやってくるのが当たり前だから、それらの『掃除屋』に襲撃されないためにもその場からの素早い離脱能力が必要なのだろう。母船に帰還してから計算して、南下する速度とのすり合わせをしなくては。おそらく餌を採取する時の接近、離脱速度と、南下していくスピードは不一致になるだろうと予想はつくが。
「……さて、マニピュレータ回収します。」気を取り直して吉邨が再び操縦捍を握る。窓の外で、マニピュレータが何やらしっかりとつかんでいるモノがあるのを目視する。
「……やっぱりサンプル採取成功してたね。さすが吉邨、やってくれるじゃん。」慎重な手つきで、マニピュレータを操作し、何とかしんかい6500の資料格納ケース内に物体を収納することに成功した。あくまでも目測だが、明らかに前回よりも大きなサンプルに見えた。
「……こちらしんかい6500。サンプル採取成功しました。帰投時刻が近付きましたので、先行してゲージ回収ワイヤーの投下願います。そちらの引き揚げが完了次第こちら帰投開始致します。」川崎氏が母船よこすかにゲージ回収ワイヤーの海中投入を依頼する。ワイヤーにゲージの金具を掛けるのは、しんかい6500のマニピュレータを使用しなくてはならないので、順序は厳守だ。海底に粗大ゴミを放置するのは決して許されない。
「…こちら母船よこすか。ワイヤー投下開始しました。5分後にそちらの現在位置まで到着予定です。目標視認後に連絡お願い致します。」風間君の声で投下アナウンスがあり、川崎氏が照明の向きを操作してケージ上方の金具を照らす方向にする。
「……早いな。」もうワイヤーが到着したのかと思って窓から見渡していると、吉邨が指差したのは、ケージの中に転がったシュモクザメだった残骸だ。どこから嗅ぎ付けたのか、いつのまにやら残骸の周りにはグソクムシや、クモガニの仲間が集まって来ている。比較的小さめな個体がケージをすり抜けて内部に入り込み、既に残骸の掃除を始めているのだ。餌の少ない深海底では、一瞬でも早く餌にありつかないと、次のチャンスはいつになるかも予想できない。ケージ上方に向けているライトに影がよぎるのは、ソコボウズ等が嗅ぎ付けて来たのだろう。
「…よし、時間通りだ。ワイヤー来るぞ。」時計とにらめっこしていた川崎氏が、窓の外を見やって言った。その言葉通り、ケージの上すれすれに影が現れる。
「こちらしんかい6500。ワイヤー停止。ただいまより連結作業開始する。」すかさず吉邨が手慣れた仕草でマニピュレータを操作して、上隅の四ヶ所にある金具にワイヤーを通して行く。5分後には、ワイヤーすべてをケージ上方の金具に通して固定が完了する。
「…こちらしんかい6500、ケージ固定完了しました。引き揚げよろしくお願いします。」川崎氏がすかさず母船に連絡を入れる。
「こちら母船よこすか。了解しました。ウィンチによる引き揚げを開始します。衝突防止のため、機体移動願います。」ワイヤーはウィンチによって機械的に引き上げられるため、反動で振り子運動を起こす可能性がある。海流等の影響が予測不能のため、事前にしんかい6500を移動してからの引き上げ開始となるのだ。
「……しんかい6500半径5m外周に移動完了。引き揚げ開始願います。」ケージがゆっくりと海面に向かって上昇を始めると、ケージ内部に入り込んでいたグソクムシ達が慌てたようにケージから脱出を始める。あまり食い散らかされると、肝心の『アレ』の食害痕が消えてしまうから、少しでも早く引き揚げを済ませて貰いたいのだ。
「……さて、ケージが海面到達の連絡が来たら、こちらも帰投開始しようか。」母船よこすかのA型クレーンは一基しかないため、海面から母船甲板への、回収作業は一つずつだ。幸い予測した以上に例の『生物』との接触が速いタイミングで起きたので、搭載している酸素量にもまだ余裕がある。せっかく移動したので、川崎氏に頼んで海底にライトを向けてもらい、広い範囲で海底面の撮影をしておくことにした。後で解析すれば、ひょっとしたら移動の痕跡などが判明するかもしれない。どんな些細なヒントも逃したく無いのだ。
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