第42話 閑話休題 [甲板にて。]
会議後の食事を終えて、それぞれ一度部屋に戻り、重要なサンプルやデータの保管をしてから、再び何となく甲板に集まってくる。
「……そういえば、餌……どうするんですかね。」船の舷側に頬杖をつきながら、京極君がボソッと呟く。それに関しては、私も気になっていた。今回はたまたまソコボウズが誘因されていたおかげで囮となって観測が出来たが、『奴』は多分きっと、死んだ餌には感心を示さないだろうと思う。何の根拠もないが、何となく『勘』のようなものだ。
「………うーん……釣りでもするか。」
かくしてこのようなことになった訳だ。
「……こんな釣りかた初めて見ましたよ。」甲板に座り込みながら船縁に釣糸を垂らして、その手元は段ボールに巻き付けたテグスと釣り針と簡単な浮きだけの仕掛けで釣りを始めた私達を、覗きに来たディレクターがしみじみ呟く。釣り針には疑似餌を付けてあるだけで、釣りを始める前にオキアミを少々撒き餌して、あとはぼーっと待つのみ。もちろん待ち時間を無駄にしないために、手元には資料を持って、読みながらひたすらアタリを待つ。
「……こんなんで魚釣れるんですか?」カメラマンの緒方氏も、手持ち無沙汰なのか覗きこんでくる。
「……あー。…魚じゃないんですよ。この仕掛けで釣るのはイカです。」京極君が親切に説明している。
「え?でも、イカなんて小さくて例の生き物には使えないんじゃないですか?」更に質問する緒方氏に対して、京極君が助けを求めるようにこちらを向く。
「…まずはイカを釣って、それを餌にするんですよ。ちゃんとした仕掛けが無くても、私達は航海中よくやりますよ。」テグスと針と、それを巻き付ける段ボールがあればあとは滑り止めの軍手だけで十分なのだ。
「あ、きた。」京極君のテグスに当たりが来たらしい。素早く引き上げるとやはりスルメイカがついてきた。甲板でプラスチックの下敷きの上で捌いて短冊状にしていると、イカにはやはりつきものの透き通った“紐状の奴ら”が。胸ポケットからピンセットを出して、更にポケットから出した標本瓶につまんでは放り込んでいく。コレはこれで研究している教授がいるので、おろそかにはできないのだ。
「………え、何してるんですか?」背後からこわごわ覗きこんだのは滑川ちゃんのようだ。ちょうどなかなか大物な一匹をピンセットでつまみ出しているところを見たらしく、顔をひきつらせて私の手先を凝視している。
「…あ、これは、寄生虫の仲間で、アニキサスっていう………」説明を始めると、何故か手のひらをこちらに向けてそれを遮るようにする。まだ釣れたばかりで新鮮なせいでピンセットの間でくねくね暴れているのを、何とか標本瓶の蓋を明けて放り込む。更に蓋をしたものを見せながら説明しようとすると、腕を京極君が掴んで居るのに気がついた。そちらをみると京極君が首を左右に振っている。
「……?」不思議に思って滑川ちゃんを見ると、手のひらで完全に両目を隠してしまっている。京極君も、それを見て私に向かって目配せで何やら伝えているようだ。
「………あ、もしかして寄生虫苦手ですか。」普段周りにいる人にそういうタイプが存在しないため、世間には『虫ダメ』系の人がいるのを失念していた。とりあえず標本瓶をポケットにしまってから、切ったスルメイカをイカ釣りよりも大きめの釣り針に通していく。テグスも太めのものを使って、シイラ位のサイズを狙うことにする。指の隙間から恐々覗いていた滑川ちゃんが、やっと顔面から手のひらを外してこちらに近付いてきた。
「どんな魚がコレで釣れるんですか?」
「シイラとかを狙ってますね。」名前だけでは分からないだろうから、スマホに画像を呼び出して見せておく。オデコでギョロ目のわりと凶悪な顔つきの魚だが、食べると以外と美味しいのだ。ハワイなんかでは『マヒマヒ』と呼ばれている種類だ。とりあえず生き餌として1、2匹は確保したいので、京極君と手分けしてそれぞれ二本ずつ、テグスを担当して釣り針を海中に放り込む。
しばらく資料を眺めながら待っていると、片手に握ったテグスに手応えを感じる。
「……あ、来た。」段ボール片にテグスを手早く巻き付けながら、軍手で海中からテグスを引き上げて行く。
「……あれ。……」想定している以上の手応えが、軍手越しの手のひらに伝わってくるのに気がついて、私は京極君に水槽と、タモの準備をするように頼んだ。頷いて準備に立ち上がる京極君の分のテグスを左手に合わせて持ちながらも、右手の一本を少しずつ手繰り寄せていく。シイラならば定期的にテグスが、緩むタイミングがあるはずだが、獲物は間断なく強い引きを維持して抵抗している。
『………そういえばここは石花海だなぁ』この季節の駿河湾内には、繁殖時期を終えてある程度成長したとある種類の魚類の群れが回遊する。生き餌としても、丁度良いサイズだ。
「はじめさん、用意出来ました。」京極君が、大きめのたらいを設置して、海水を汲み入れてスタンバイしてくれる。ついでに野次馬的に集まってきた吉邨と風間君にもタモを持って手伝ってもらうことにする。
「あ、やっぱりね。…吉邨、そっちでタモ差し込んで。」引きがかなり強いのを苦戦しながら引き上げ続けると、海面に魚体が透かし見える所まで近付いて来ている。
「……え?何ですかコレ!!変な形してますけど?」覗きこんだ滑川ちゃんが驚きの声をあげ、それを聞きつけてカメラを抱えて緒方氏がやって来る。私は暴れる魚体を何とか吉邨の持つタモに合わせようと必死で、滑川ちゃんの疑問に答える余裕はない。苦戦しているのを察して風間君も反対側からタモで追い込むようにしてサポートしてくれて、ようやく獲物は釣り上げられて甲板のたらいに生け捕りにすることが出来た。
「………ふぃー。……結果オーライ。」同種の中では小さなほうだが、それでも全長で1mはある。本来成長すれば2m以上にもなるのだから、テグスが切れなかったのは幸運という他ない。甲板のたらいの中で体を横たえているのは、特徴的な頭部を持った鮫の仲間、アカシュモクザメの幼魚だ。この時期、繁殖して何匹かの小さな群れを作って駿河湾内や、相模湾を回遊しているのだ。
「………面白い形の魚ですね〰️……サメ?なんですか?」滑川ちゃんがカメラで撮影しながら尋ねるのに、京極君が答える。
「はい。アカシュモクザメの幼魚です。繁殖時期は沿岸を少数の群れを作って回遊しますから、最も良く見られるシュモクザメの仲間ですね。」水族館で場数を踏んだお陰で、こうした時にも臆せずにきちんと話すことが出来るようになった。最初の頃は、お客様からの質問が苦手で逃げ回っていたのが幻のような成長ぶりだ。ひとしきり必要な映像を押さえたのか、滑川ちゃんがカメラを下ろす。私も生き餌の確保という目的は果たしたので、全ての釣り針を回収して、道具を片付けながら京極君と滑川ちゃんが雑談しているのを眺める。…と、こちらに気付いたか何故か京極君があわててこっちにやって来る。
「……違いますよ?取材受けてただけですからね!」特に何も言っていないのに、なんだかまるで浮気現場を見られたかのように動揺している。
「……うん。お似合いだし、いいんじゃない?」社会人一年か二年目ならば、歳も私よりも近いだろう。そう言ってあげたのに、何故かその場でガックリと膝を付く京極君。やはり何を考えてるのか、色々リアクションが予想外だ。とりあえず田邊教授と生き餌の運搬方法についての打ち合わせをしなくてはならないので、甲板に突っ伏している京極君は置いておいて先に会議室へと戻ることにする。何故か吉邨が京極君を慰めているが、気にしないでおくことにする。
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