第41話 議論
「………何だか、気持ち悪い。」はからずも古川ちゃんが呟いた一言は、私達の感想を代弁したものだった。私達が普段研究しているフィールドは海。海のなかには、まだまだ、人類の叡智とやらが及びもつかないような謎に満ちている。奇想天外な生物を、数限りなく観てきた筈の私達にも、その生物の蠢く様は、どことなく不安感と、不快感を与えるモノだった。
「何ですかね。………ゴンズイ玉とも違う気持ち悪さですよね。」京極君の言葉にそれぞれが頷く。視界の悪い状態でうっすら向こう側に透けて見えるだけなのだが、それでも既知のものと異なるというのは何と無しに解るものらしい。
「……とりあえず画像越しでも、サイズ感は計測可能だと思われます。」風間君が画面上の操作でに定点間距離を計測して、数値を割り出す。
「……概算ですが、約63.2cm径の範囲内での動作を観測しました。」画面クリックして直径を計測した画像を保存して、元々の動画を終了させる。
「…大人で一抱えくらいのサイズ感ですねぇ。傷口から推測していたよりも少々大きいような気がするねぇ。」田邊教授が腕を前に抱えるようにして拡げて、実際の大きさをイメージしている。
「……それでは次にハイパードルフィンによる調査採集物質の観測及び検査結果の報告に移りたいと思います。橘君、京極君、お願いします。」吉邨が気を取り直して司会を進める。席を移動して、私はファイルの資料を、京極君はパソコンで打ち込んだデータ一覧表をスクリーンに投影する。
「はい。まずは、こちらの資料をご覧下さい。」とりあえず採集出来たサンプルはソコボウズの切れ端と、マニュピレーターに絡み付いていた謎の物体だ。まずはソコボウズの切れ端のいわゆる傷口周辺の部位を顕微鏡で拡大した画像を映し出す。
「こちらは対象生物による食害をうけたソコボウズの腹部表皮の拡大です。」よく分かるように角度も考えてアングルを工夫した画像を二分割画面の片方に写しだして、もう半分には、当館で撮影したカグラザメの傷口を拡大したものを並べる。
「こちらは比較のために以前の受傷個体、カグラザメのものです。とくに表皮付近の断面部分をご覧下さい。」判りやすいモノをえらんであるので、傷口の方向がほぼ相似しているのがはっきりと確認できる。
「……これは、凄いなー。」しばしの沈黙のあとに、高畠教授が呟く声が響いた。
「……ホントに特徴的な断面ですよね。これは明らかにハイパードルフィンの観測したモノがこのような補食行動を行っているという証明になりうるかと思うんですよ。」田邊教授が補足してくれる。
「…次にハイパードルフィンのマニュピレーターに絡み付いていた謎の断片についての検査結果を説明しますので、まずはこちらをご覧下さい。」私の発言に合わせて京極君が画像を切り替える。画面いっぱいに写しだしたのは、先ほどの白い断片の切断された断面部分だ。拡大してやはりはっきりするのは、先ほど写しだしていたソコボウズとの組織断面的な違いだ。食害されて筋組織が少ないとはいえ、魚類であるソコボウズには明確に表皮と筋肉の違いが認められるのに対し、こちらはのっぺりとした単一の組織が外側と内側の区別なく筒状に連続している。違いを敢えて述べるならばつるんとしてシワの少ない外側に対して、内側は動物の小腸のようにひだがあるというくらいだろう。おそらく強い力がかかって千切れたとおぼしい不整合な切断面にも、特に体液などが付着した印象もなく、そのせいか生物らしさを余り感じない。
「……なんだかシリコンチューブとか、マカロニみたいな質感。」ぽつりと呟いたのは、ADちゃん。素人の単純な感想だが、言い得て妙だ。拡大しているのに、かえってその生物らしさは薄く感じる。通常の生物なら見られる組織断面らしさがないせいだろう。沈黙しながら画面を見ていると、テーブルに置いていた私の携帯が振動して着信を知らせる。周囲の視線を受けながらも、その連絡を待っていたので、画面を操作して京極君のパソコンに今届いた画像データを送る。
「…お待たせしました。今から表示する画像は、私の同期でとある生物を専門にしている人物から送ってもらった画像です。」京極君が手早く画面を左右二分割にして届いた画像を並べて表示する。わざわざ見た目の倍率まで合わせて並べたのは、さすがとしか言いようがないセンスだ。
「………ほう。………これは凄いな。質感がそっくりだ。非常に似ているね。」高畠教授が机から身を乗り出して画面を凝視して呟く。私の急なリクエストに、ぶつぶついいながらも協力してくれた水野に感謝しなくては。『刃物を使わずに引きちぎった断面』の写真なんて、あの生物の仲間の本来のサイズからすればかなり面倒だっただろうに。
「……はい。あくまでも私も予想していただけで、実際に実物を見るのは初めてなので、こんなにそっくりだというのには正直かなり驚いています。」食用として利用されている同属の別個体は包丁で切って並べた感じがマカロニみたいにみえるので、ひょっとしたら同じような状況なら似るかもしれないと思っただけだが、これは本当にそっくりになった。私は京極君に合図して、送付された画像を元のサイズに戻して表示してもらう。
「……そして、こちらが、その『生物』の本来のサイズでの表示になります。」室内が軽くざわめく。それはそうなるだろうと予測していた。急がせたにも関わらず、水野は丁寧な仕事をきちんとこなしてくれた。サイズが分かりやすいように、きちんと画面にスケールが表示されている。実寸大で直径約1.5cm、全体の長さも千切れた残りは3cm程度だろう。隣の画面で表示したものも、京極君の機転で原寸サイズでの表示にもどしてある。拡大したときは二つの相似に驚いたが、原寸で見比べると同種とはとても思えない。直径のサイズにして約4倍程の開きがあるのだ。
「小さなものに関しては、国内だけでなく、世界中の海中に、分布が確認されている、いわゆる『ユムシ』などの仲間で知られる星口動物の、仲間です。通常泥の中や、岩石の隙間などに生息し、主にデトリタスをとりこんで有機物を食べる事が、知られています。」
肉食で、大型の生物を食害する性質があると思われる謎生物とは、生態の面では非常に開きがあるのは判っているものの、外見的な相似点を否定することは不可能だろう。
さらに傷口内部で、発見された謎生物の一部と思われる『部品』の拡大画像と、水野が譲ってくれたサンプルの拡大画像も並べて表示する。こちらは大きさの違いが判るように実物大での写真もそれぞれ併記しておく。
「そして、こちらは先日の会議でもお見せしたかと思いますが、謎生物のおそらく『歯』にあたるパーツと、ユムシの口にあるパーツの比較です。」会議室内が明らかな二つのパーツの相似点を認めてざわめく。
続けてガスクロマトグラフィーの検査結果も、まずは今回の結果表示をしてから、下段に並べて当館のカグラザメの計測データ、葛西臨海水族園のイタチザメの計測データをそれぞれ並べてみる。
「次に表示しているのは、こちらの謎生物に関係した人物の共通認識である、独特の『異臭』に関する調査報告です。」通常海水中で生息している生物に検出されたことのほとんどない、硫化水素および微量金属元素、そして、こちらのアリルプロピルサルファイドという物質が三件ともに検出されて、画像のなかでもそれぞれが非常に似通ったピークを描きだしているのがはっきりみて判る。
「こちらにあるように、必ずこの3種類の物質が検出されています。」
しばらく会議室内がざわざわしていたが、やがてその中の一人が挙手して発言を求める。
「……あの、すみません。そのいわゆる『異臭』という観測結果から、ガスクロマトグラフィーの検査をされたと、おもうんですが、
この、必ず観測されている、アリルプロピルサルファイドというのは、一般的には僕の記憶違いでなければ、確かニンニクの匂い成分
として代表される筈なんですが。」
「……ニンニクですか。確かにそうした印象に近い匂いがしてましたね。」どうして陸の植物に含まれる匂い成分が深海の生物から検出されるのか、謎は謎のままだが、今回も本体の一部とおぼしき断片から同じ成分が出たことでこれがその一部であるということは確定したと言ってもいいだろう。
「あとは、今回のサンプルに関してだけになるのですが、一定濃度の、アンモニアが検出されています。コレに関しても、星口動物の専門家の同期からは、体内からの排泄がアンモニアとして排出されるというアドバイスをもらっております。」田邊教授が頷いているのが目に入った。アンモニアは分解スピードが速いため、海水中で拡散すると検出が難しい成分のひとつだ。今回はハイパードルフィンのサンプル回収ケースが密閉性の高いモノだったのが幸いしたのだろう。
「……以上の事から、私達としての謎生物の種別の予測としては、恐らく未発見の、深海性の大型化した星口動物の一種が、群体を作って移動して補食しているものではないかと考えております。」あくまでも仮定で、推論の域を出ないが、現時点での結論を述べてから、私は京極君と自分の席に戻る。
「では明日のしんかい6500の運用の詳細について決定事項をお知らせ致します。」吉邨が、再びマイクを取って、司会を続行する。
「投下予定海域ですが、北緯34度47.1分、東経138度29.99分、通称『石花海〈せのうみ〉』北堆周辺にて、午前9時より投下開始予定となります。乗務員は、私、吉邨と橘、京極で予定しています。」ひとまず必要な伝達事項を終えて、各自休憩としてそれぞれ食事を取りながら各部門ごとに集まってのミーティングとなる。私はやはり鼻腔の奥にまだほのかだが異臭が残っている気がして、思わず掻き消すようなつもりでカレーを食べる。ふとみると、隣の京極君も含めて全般に、今日はカレー率が高いようだ。ちなみにダイバー達も皆様カレーだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます