第40話 推測

ハイパードルフィンの機体洗浄が後部甲板で始まるのと同時に、私達は操縦室の下部にある試料分析室に入る。この部屋は、通称『ウェットラボ』と呼ばれ、海底掘削コア試料などの水分を含んだ試料でも問題なく解析出来るように、床に排水用の溝が設けてあり、魚類等の生体試料の解剖などにも対応している。壁際に寄せて各種検査機器も設置されているので、まずは密閉袋内の空気をシリンジで採取して、匂いの成分をガスクロマトグラフィーにかけておくことにする。

「……うわぁ~。船の上とはとても思えませんね。秘密基地みたいです。」背後から覗いた滑川ちゃんが、面白い感想をもらす。確かに窓などがなく、謎の機械が壁面を埋めている様子や、部屋の中央のステンレス製の解剖台など、若干悪の秘密結社の感じがあるかもしれない。昔みた特撮の戦隊もので、主人公が改造されてたシーンがよく似合う。

「……はいはい。改造人間はいないからね。」どう相槌をうったらいいかわからないでいると、横から古川ちゃんが軽く突っ込みを入れてくれた。

「試料の解析はどうしますか?」田邊教授に方針の確認をする。

「……うん。そうだね。とりあえず臭気は分析が、出来上がるまで時間がかかるから、まずはチャンバーで寒天培地使って細菌検査と、細片採取してプレパラート作成、全体の写真撮影と計測だね。その位済ませたらミーティングしようか。」顎の下に手をあてながら田邊教授がすらすら述べた事柄を、あわててメモ帳に記入しておく。

「吉邨、シャーレと培地、あとプレパラート一式どこ?」振り向きながら吉邨を探すと、さすがに吉邨も田邊ゼミOBだ。早くもチャンバーの中にガラスシャーレと顕微鏡をセットしている。

「………凄い連携プレーですねぇ。」感心したように呟く古川ちゃん達。水族館のように、生体を研究対象とする研究施設では、一分一秒を争う観察などが多く、連携しながら阿吽の呼吸で準備から記録までを行うのが、当たり前なスキルなのだ。深海魚やプランクトンなど、採取された時点で既にダメージを負った個体などを記録観察するときなど、本当に一刻一秒を争うこともしばしばある。

生き物というのは不思議なもので、特に魚類をはじめとする海の生き物は、生命活動が停止したその瞬間から、体表面等の変化が始まるので、状態記録に気を抜く事が出来ない。という訳で一刻を争って京極君と吉邨と手分けしながらそれぞれの作業を進めていく。

「こちらのウェットラボラトリーには、…」

背後でおそらく風間君が、テレビクルーに向けて番組のための収録としてカメラに向かって機材や設備の説明をしてくれている。ぼーっと私達の動きを見守っているよりも、数倍有効な時間の使い方だろう。

「今日この後から一旦会議して、今回のデータを基に、しんかい6500の投下海域の確定と、調査方針を最終決定するからな。…とりあえずこれであとは結果待ちだ。」吉邨が作業に一段落しながらそう言って、おそらく会議の準備のためにラボを出ていく。

「……それにしても、このサンプル、見た目にもあまり見たことない質感だし、臭いもなんですけど、さっき細片採取した感じも『魚』じゃない感触でしたね。……一体どんな生き物なんだろう。」京極君が、ゴム手袋を外しながら呟く。それに関しては私も同じ感想を抱いていた。手袋越しではあるが、手触りはやはり、うなぎや穴子などの細長い魚類とも違い、いわゆる『表皮』と『筋肉部分』という区分けの存在しない感じがあったのだ。通常の魚類ならば、外的刺激から筋肉組織や内臓を保護するために存在する鱗や表皮の存在感がなく、いうなればより『原始的』な生物の気配。

「……これはほんとに水野が言ってた奴が正体なのかもね。」作業を完了して私も手袋を外しながら呟く。

「…そうですね。ナマコとか、イソギンチャクとかに近い感触ですもんね。」京極君の言葉に、感じていた違和感がはっきりと焦点を結んだ感覚があった。もどかしげに手袋をゴミ箱に捨てて、急いで手を洗い、携帯を取り出して検索する。

「……どうしたんですか?」京極君もつられてあわてて手を洗いながらこちらを伺う。

「うん。……ちょっとそういえば曖昧だったなぁ、と思って確認。」いくつかの語群を打ち込んで検索してみる。ヒットして上がってきた画像を何度か拡大したりしながら、必要な情報が判りやすくまとめてあるものを探してみる。

「…あ、これだ。」見つけた画像はすかさずスクリーンショットして保管し、必要な部分を拡大して京極君にも見せておく。

「…前に水野が言ってたサンプルの合致する生物群、ホシムシって、進化系統樹的にどの辺りに位置づけがなされてるのかと思って。さっきイソギンチャクとかナマコって言ってたから。」この後全体で会議をする際に、うろ覚えな知識でいい加減な発言をするわけにはいかない。身内だけの会議ならば自分が恥をかくだけで済まされるが、カメラも入った外部機関との合同会議では、田邊教授にも恥をかかせてしまいかねない。

「……進化系統樹的な分類でいうと、いわゆる原生動物から海綿が分岐、その後にイソギンチャクなんかの刺胞動物が別れて成立、そこからさらに分岐して、線形動物サイドと、ウニナマコなんかの棘皮動物サイドに別れて行く訳。ホシムシは星口動物で、環形動物門つまりゴカイなんかの仲間として分類されてるから、イソギンチャクはまだしもナマコはまとめないほうが発言としては無難かな。」

進化の系統樹というのは、生物の教科書なんかでお目にかかるかもしれないが、動物植物をそれぞれ成立の年代などや構造によって分類して、仲間分けしたもので、それに乗っとると、先ほどの京極君の発言の生き物のまとめ方が『ちゃんと専門教育を受けたのかね』と言われてしまいかねない危なっかしさであるというのがわかって貰えるだろうか?

判りやすく例えるならば、同じ哺乳類でも、ネズミと人間を一つくくりにして共通項を挙げてしまうような感覚になる。細かいと思われるかもしれないが、こうした感覚は、間違って覚えてしまう前にきちんと確認することで良い研究者として成長の機会を得ることができるのだ。

「……あ、ホントですね。これはちゃんと覚えてなかったです。ありがとうございます。」私の携帯の検索画面を肩越しに覗き込んでいるせいか、思ってるよりも近い耳元で京極君の声がして、思わず挙動不審になる。

「…どうしました?」不思議そうにする京極君の顔がやっぱり近いので、若干身体を後ろに引きながら携帯の画面を切り替え、ついでに頭の中も研究者モードに切り替える。背後で風間君がニヤついていたような気もするが、気にしないことにしよう。顕微鏡写真や計測データをパソコンのデータとして入力し、ついでに水野から貰った一般的なホシムシのデータと対照出来るように一覧表にしてからプリントアウトすると、ちょうどよいタイミングでガスクロマトグラフィーの計測が終了した合図の音が聞こえた。

「あ、プリントアウトしますね。」最新型機器は勝手がわからないため、私達がまごついいると、風間君が寄ってきて操作してくれる。機械から吐き出されたロール紙のデータから、読み取れるのはやはり以前と同じように通常検出されることのない金属イオンと硫化水素、そしてアリルプロピルサルファイド。それに加えて今回初めてアンモニアの検出が確認された。急いでデータをパソコンに取り込み、以前の検体からの数値と並べて一覧表にしておく。

「……やっぱりこれが、謎生物の一部であることは多分、間違いないみたいですね。」データ対照一覧表をプリントアウトしながら京極君が呟く。全ての検査が終了したので、資料をまとめてクリアファイルに入れ、ラボラトリーを施錠して全員で会議室兼食堂へと移動を開始する。

「では皆様揃いましたので、ハイパードルフィンでの調査報告及び明日のしんかい6500運用に関する打ち合わせを行います。」食堂にはすでに会議の準備が整えられており、吉邨の他に高島教授と川崎氏も揃って何やら話込んでいた。全員着席すると吉邨が立ち上がってマイクに向かって話しはじめる。カメラが慌てたように両サイドに移動して、撮影を開始するのを横目に、私達も手元の資料を見ながら必要な検討事例などの提案をどうプレゼンするのか、頭のなかで、イメージトレーニングしておこう。

「……それでは、まずは操縦担当者の風間君から、ハイパードルフィンの操作および、投下海域における実験実施の経過報告をお願いいたします。」吉邨の司会進行で、まずは風間君が立ち上がってマイクに向かって話しながらスクリーンに投影された画像の説明を行っていく。

「……えー、今回のハイパードルフィンによる調査は、しんかい6500投入前の事前調査という位置付けで実施したもので……」まずは周知の事実から述べて、搭載した各機材や、誘引用に使用した餌の内容などの説明から、投下してからの時系列に沿って各現象を映像を交えて説明していく。

「ちょ、ちょっと待って。これは!……止めて、……そう。ゆっくり画像戻して下さい。…ここでストップ。」高畠教授は先刻の操縦室には同席していなかったためか、やや興奮状態になって画像に釘付けで立ち上がっている。画面上には、やや不明瞭ながらもうっすらとソコボウズのシルエットが浮かび上がった状態の海中が映し出されている。

「…ここの、この辺りだけ、ちょっと拡大出来る?」高畠教授が手元のレーザーポイントで囲んだ部分を、風間君がパソコン画面上で拾って拡大する。画面が切り替わり、画面上部にソコボウズの腹部とおぼしきシルエット、中心部付近に、うっすらとだが、周囲の海底とは異なる色味の塊が浮かび上がってくる。全体的には巻き上げられた砂の灰色がかった中に、うすらぼんやりとした輪郭が透かし見えるように思えて、全員が画面に目を凝らす。

「…………確かに。『何かしら』があるような感じがしますね。」田邊教授もぽつりと呟く。灰色のもやの中心部に、不定形な輪郭を伴って白っぽい『何か』があるように見える。風間君がコマ送りのようにして、その前後の画像をいくつかピックアップして、8分割画面に並べて表示すると、やはり『そこ』にいる『何かしら』が蠢いているのがはっきり認識出来る。輪郭が不定形なのは、それが『蠢いて』いるからだというのがはっきりとその場の全員に認識出来た。

「……なんか、気持ち悪いですねー。」静まり返った会議室に、思いの外はっきりと古川ちゃんの呟く声が響く。小声で呟かれたにも関わらず思いの外はっきりと聴こえてしまったのに気付いて、古川ちゃんが首をすくめて小さくなる。私も生物学を研究している身で普段から様々な生き物を取り扱う為、大抵の生き物は触れることが出来るし、気持ち悪いなんていう感想を抱くこともなかったが、今回の『これ』に関して抱いた感情は、まさしく古川ちゃんの呟きが代弁したものだった。

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