第38話 探索

「まもなく水深1900m付近到着です。」真っ暗なモニター画面の並ぶなかを、ハイパードルフィンのサーチライトが切り裂く。30分程前から画面にはマリンスノーと呼ばれる白い漂流物がちらほら横切るようになっている。機体が海底に接近するときの警告音が鳴り、カメラの画像の中にも海底らしき砂地が映し出される。

「……海底到着しました。」風間君の声にも、緊張感が滲む。機体周辺に迫る暗黒のなかのどこかに、『謎の生物』が息を潜めているのだ。

「誘引餌追加投入開始しました。」静まり返った操縦室内に、風間君の操縦悍を操作する音だけがカチャカチャと響く。サーチライトの範囲ギリギリまで伸ばしたマニュピレーターが、誘引餌のチューブを破って中身を振り撒いているのが映っている。

「………とりあえず何か深海魚くらいは撮影したいですよね。」沈黙に耐えかねたのか、少しおどけたように古川ちゃんが口を開いたその時だ。

「……!!出ました。………多分ソコボウズですね。」サーチライトの境界線ぎりぎりの所からぬぅっと近づいてきたのは、ソコボウズという深海性の魚類で、頭でっかちに糸状の胸鰭という特徴的な外見を持つ大型種だ。

「こちらにももう一匹出てきました。」元来腐食性の彼らは、やはり餌の匂いには敏感で、大抵真っ先に接近してくる。

「……ケースから餌投入します。」風間君の声に画面を見つめると、画面下部すれすれからプラスチックケースに入ったサバが投下されるのが見えた。二匹のソコボウズのうち、ハイパードルフィンに近い個体が反応してサバを食いちぎる。

「……うわぁー………迫力ですねー。」頭でっかちなだけでなく、口の大きさもかなりなタイプの魚なのと、食べかすが鰓蓋から吐き出される『汚い』食べ方のせいで、ソコボウズの摂食シーンはド迫力だ。全身を使って餌を食いちぎるせいもあり、砂も巻き上げて一瞬視界がゼロになる。

「もう一匹も来たみたいですね。………ちょっと視界回復のためにファン回します。」巻き上げた砂で悪化した視界改善用にカメラの周囲に設置したスクリューで水流を発生させて砂を減少させる。回復した画像に映る餌のサバはもうケースに括り付けた頭しか残っていない。ソコボウズ二匹はまだ餌の残りを巡ってのたりのたりとくんずほぐれつを繰り返している。あまり俊敏な動きの出来る魚ではないので、まるでじゃれているようで、何となく微笑ましい。操縦室内にも何となくほっこりした空気が流れる。

「……え?」画面を眺めていると、突然二匹のソコボウズのうち一匹の動きに異常が生じた。いきなり激しく全身を痙攣させてのたうち回り始めたのと同時に、もう一匹がハイパードルフィンの機体に突進してきたのだ。

「…う、うわっ。ヤバい!」2mはあるような大型種の突進が機体にダメージを与えない訳がない。スポットライトの向きがあさっての方へ移動し、カメラにも当たったらしく、ノイズ画面が走る。

「…ちょ、ちょっと待って。………」風間君が必死にマニュピレーターを操作したりしながら機体を建て直している間に、機体に突進したソコボウズはどこかへ姿を消してしまった。突進の衝撃で、機体も傾いてしまったらしく、画面もかなり傾いでいる。映し出されるのはただ一面の舞い上がる砂煙。風間君は必死に機体の立て直しを計ろうと、様々な姿勢制御装置を試している。

「……急に何が起きたんですかね?」何とかして機体を建て直して視界回復のためのファンを稼働させながらモニター画面をくまなくチェックする。何とかダメージを受けずに残っていたサブのカメラが、回復しはじめた海中の画像を捉えて自動切り替えでフォーカスする。

「………え?」思わず二度見した画面の中には、海底に横たわる『かつてソコボウズだったと思われる残骸』が映っている。背中側の一部分と、頭しか残っていない状態まで食い散らかされ、砂地に無造作に転がっている。

「な、………何がこんなに?」呆然としている風間君を促して、画像を出来るだけズームしてもらう。砂地に無惨に転がっているソコボウズの首から下を観察すると、明らかに見覚えのあるような円形の傷痕の集合が見て取れる。海岸に打ち上げられたモノとは段違いに大量の噛み跡によって、このソコボウズは一瞬と言っても過言ではない短時間で食い散らかされて背骨だけの状態にまでされたのだ。これで、対象の生物が単体ではないということがはっきりした。

「………うわっ。………」小さく抑えた声で古川ちゃんが口元を押さえて蒼ざめた顔をして画面から目をそらす。頭部と背中側の表皮だけがぼろ切れのように脊椎にまとわりついてまるで死神のマントのようだ。

「……ねぇ、風間君、『これ』回収出来ないかな。出来れば調べたいんだけど。」

「……いや、申し訳ないんですけど、サンプル採取ボックスにはちょっと入らないので、全部は難しいです。」ソコボウズ自体が大型の部類に入るため、採取用のホースには入らない。せいぜい直径10cm程度の余り動作の早くないものしか採取ホースでは捕獲できないのだ。

「…マニュピレーターで、切れ端をちぎりとるくらいならできますよ。」風間君かそう言いながらマニュピレーターを伸ばした時、異常に気がついた。

「……え?待って待って。何か付いてる!?」画面のはしから伸びてきたマニュピレーターの先端金具付近に、何か白っぽいモノが千切れて絡み付いているのが目に入る。舞い上げられたソコボウズの内臓かもしれないが、とりあえずそれとソコボウズの残骸の切れ端をサンプルとして回収してもらい、機材のメンテナンスも必要な状態であるという判断で、探索時間の切り上げと帰投の指示が出る。時間にして一時間に満たない程度の運用だが、サンプルの分析によっては、非常に効果的な運用になるだろう。

「…………やはりここに、“いる”んですね。」田邊教授が考え込みながら呟く。これはほぼ確実だろう。ただ、少し予想外だったのは、襲撃のスピード感だ。画像は総て自動的に録画されているので、ハイパードルフィンが海面に向かって上昇をしている間に再生して確認すると、ソコボウズが痙攣しはじめた所から画像が乱れて視覚不良を経て回復するまでの時間は正味4分から4分40秒程度。画像のピントが合うまでで画面隅のカウンターで計測した時間がそれだけということは、実際にはそれより短い時間であれだけ『喰らい尽くされた』ということになるだろう。これまでに海岸で観測された受傷個体の状態と、今回のソコボウズを比較するまでもなく襲撃から逃亡出来た個体はかなり幸運に恵まれたほうなのだというのがわかる。

「……でも、解せませんね。」京極君も不思議そうに呟く。その言葉に田邊教授と私は頷き、古川ちゃんと風間君は首を傾げた。

「……なにかおかしな事でもありますか?」風間君が京極君を振り向いて尋ねる。

「…いや、これだけの速さでここまで喰い散らかすのに、移動するスピードはかなり遅いんですよね。最初の浅虫水族館の例から次の例までに1ヶ月ほど、その後も、南下してくる速度は驚くほどゆっくりに見えます。」

たったの4分程度の時間でカメラのライトが届く範囲内から離脱出来るほどの移動能力があるのならば、もっと南下してくる時間も短時間に、なっていたのに違いないのだ。

「……もしかして、自律的に目的があって移動しているのではない?」私の呟きに、田邊教授も頷く。

「…そうかもしれないね。採餌に関しては、自主的に移動するけど、どこかに向かっている訳ではないから、流されるままに移動しているのかも。」それを聞きながら京極君が操縦室のパソコンで海流の流れを表示する。

「これ、ひょっとしたらこの海流に載って移動しているかもしれません。」画面を覗き込むと、京極君が表示しているのは、いわれる上空からの視点で描かれた海表面の海流図ではなく、さすがにJAMSTECというべきか、海面を垂直に切り取った、断面図というべき海底地形込みの海流図だった。通常は必要とされることは無いため、海底探索が主な業務となる『よこすか』だからこそすぐに表示が出来る、非常に珍しい角度の海流図だ。

「…つまり、こちらの図と、こちらの図をそれぞれ関連つけて比較してみると解りやすいんですが、この、『親潮底流』がちょうど速さや向きに被害地点との噛み合わせがあるように思うんですが。」パソコンに強い京極君ならではの手法で、いつの間に取り込んだのか私が作成した被害個体の打ち上げ箇所の地図と、上空からの通常の海流図、それに先ほどの断面図から割り出した『親潮底流』の向きを矢印で重ねて表示する。

「………たしかに、多少のズレは、各被害個体の傷口の度合いや遊泳能力の違いを考慮すれば誤差範囲内で関連しているように見えるね。」田邊教授が顎に手をあてながら呟くと、他の職員もそれぞれ画面を覗きにくる。

「…でも、親潮底流はせいぜい東京湾沖までですよ。その先南下してるのは解せないですね。」海底探索のプロフェッショナルらしい意見が職員の間から上がる。

「……確かに。そこから先の南下の理由が解りませんね。」皆が考え込んで、場を沈黙が支配する。

「……あの、素人がつまらない質問してると思って頂いて構わないんですが、……駿河湾に入るときみた『黒潮』には、その、『底流』みたいのは無いんですか?」おそるおそる挙手までしながら、発言したのは古川ちゃんだ。余計なことをというような表情でディレクターに睨まれて、小さくなっている。

「…………あっ。」しばらく考え込んでいた京極君が、不意に田邊教授を振り返って、教授が頷くのを確認してから再びパソコンで何やら検索を始める。

「……………ありましたよ!そうですね。黒潮には、『黒潮反流』があるんですよ!」嬉しそうに教授を振り返って確認する京極君。子犬のような笑顔で周りを見渡している。尻尾があったら多分目一杯振っているだろう。

不覚にもちょっとカワイイと思ってしまった。同じようにどうやら古川ちゃんも思ったらしい。ニコニコしながらまた、手元のノートに何やら書き込みしている。

「……その、黒潮反流というので説明がつくんですか。」JAMSTECの職員は皆『黒潮反流』で納得する空気になったが、素人のディレクター達は解せない表情だ。京極君が再び検索結果をパソコンの地図上で重ね合わせて表示する。

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