第30話 調査 1

「はじめさん、そろそろ起きて下さいよ。静岡着きますよ」何だかデジャブのような気がするが、到着するのは、東京駅ではなく、静岡駅だ。のぞみや、ひかりでは、静岡駅にはほとんど停車しないので、帰りはこだまで帰って来ることになったので、30分程余分に時間がかかっている。あの後食事を済ませてから、パソコンの画面の資料を見ながら、例のサンプルの原因生物の検索についてひとしきり熱くしゃべりまくって、すっかりくたびれてしまい、どうやら熟睡してしまったらしい。京極君は頑張って寝ずの番をしてくれたようだ。

「……ん、ありがと。以外と東京って近いよね」思っていた以上に熟睡してしまったので、照れ隠しにそう言ってみる。

「行きも帰りも昏睡してましたからね。」あっさりそう返されて照れ笑いしているうちに新幹線は静岡駅に停車する。問答無用で荷物をさっさと持って歩き始める京極君に、成長を感じながら私も自分の身の回りを確認して、ホームへ降り立つ。結局サンプルは増えたものの、謎の生物が一体どんな生き物なのか、はっきりとした予測は出来ずに終わった。大沢の専門は軟骨魚類、つまり鮫やエイの仲間なので、はっきりしたのは、このサンプルの持ち主は『鮫』の仲間ではない。ということだけだ。私は軟体動物と、硬骨魚類の担当なので、その二種類ではないというのとあわせて、多少検索の幅が狭く取れるようになっただけだ。硬骨魚類とはいっても、私の専門は浅海性魚類で、マグロや外洋性の大型回遊魚や、深海魚類にかんしては、あくまでも推定の域をでない。それぞれの研究者には各自専門分野というものがあり、無数にある海洋生物の中から任意の種類を専門として選び出して、継続的に研究を続けていくのだ。当然、専門外に関しては、素人に毛が生えたていどの知識しかないこともある。

「サンプルは、紛失防止で研究室の冷蔵庫に保管したほうがいいですかね。」京極君が改札を出て振り返りながらそう言う。

「…うーん。一旦研究室に寄ろうか。私のパソコンも持って帰りたいし。」そのほかにも、少々目論んでいることがあるので、久しぶりに自宅に自分のパソコンを持ち帰ることにする。静岡駅から最寄りの清水駅まで電車で移動して、そこからは既にバスの最終が終わっていたのでタクシーで直接水族館まで行く。警備員さんに鍵を開けてもらって、京極君と一緒に研究室に入り、冷蔵庫にサンプルをしまってパソコンと、資料の入った鞄を持って外に出る。

「……何だか盛り沢山で、長い1日でしたね。」現在時刻はほぼ11時を回っている。海岸沿いの遊歩道を二人で歩きながら、すぐ真横の波打ち際から拡がる深海を思う。人類は、月面に到達してみたり、太陽系の遥か彼方を探査してみたりと、『上のほう』を探索するのに忙しい。まるで地球上にはもう、知らない場所や秘境など、存在しないかのようだ。こんなに身近に、神秘と謎に包まれた領域が広がっているというのに。『海の底』には、人智のはるかに及ばない、謎に満ちた世界がまだ、広がったままなのだ。新種発見も、コンスタントに報告され続けているのが

海洋生物学の世界の奥深さを物語っているだろう。しみじみしながら京極君に頷いて、波打ち際を眺めながら自宅アパート前に着く。

「んじゃ、おやすみなさい。また明日。」

そういえば夕食は済んでいるのだから、別にこちらの道をわざわざ自転車を曳いて一緒に歩かなくても良い筈だ。それに気付いたのは、京極君がおもむろに自転車の前かごから私のパソコンの入った鞄を取り出して渡してくれた時だったのだが。

「……あ、おやすみ。……鞄ありがと。」思わずお礼を言うと、京極君はわざとらしく驚いた顔をして、ニヤニヤと笑う。

「わぁ。どうしたんすか。……明日雨になるんですかね。」なんとなく気恥ずかしくて目を反らしてから、さっさと部屋に入ることにする。ドアを閉めて何となくベランダから見ると、京極君は自転車に乗って去っていく所だった。

『最近京極君にイニシアティブをとられることが多いなぁ。……』成長を頼もしくも思っているが、やはり先輩として、私ももう少ししっかりしなくては。そういえば今日会った大沢も、学生時代は間違ってもジャケットなんて羽織るタイプには見えなかったが、社会人としての経験値の蓄積が、ああいう小洒落た格好をするように成長させたということなんだろう。『馬子にも衣装』、学生時代より男前に見える、かもしれない。

『いや、むしろ完全にオッサンの域に片足踏み込んでたな。』都の直轄の水族館だからこそ、様々な軋轢があるだろう。同級生にしては、まぁ、昔から落ち着きのあるように見えるタイプではあったから、老けこんでみえるのも、ある程度は仕方ないのかもしれない。

そんな事を考えながら、パソコンのセッティングを完了し、テーブルの上には缶チューハイと乾きもの。そう、最近流行りのオンライン飲み会を計画していたのだ。

「……もしもーし?そろそろいいかな?」

携帯の着信をタップすると、嶋野の相変わらずな間延びした声が聴こえてきた。あわててパソコンの会議ソフトを立ち上げて、正面に座ると、分割画面上には既にスタンバイした女子会メンバーが揃っている。

「…あ、ゴメン遅くなって。東京までサンプル貰いに行ったもんだから。」缶チューハイを開けてグラスに注ぎながらそう言うと、

「そおなんだ。お疲れ様だねぇ。」すでにビールの空き缶が画面の手前に何本か並んでいる大崎が、楽しそうに笑う。相変わらずの酒豪ぶりを発揮しているようだ。大崎は確か四国水族館で頑張っているはずだ。専門は海洋プランクトン。ちなみに嶋野は青森の浅虫水族館で、専門は海生哺乳類。

「アレ。もうそんなにビール開けてるじゃん!はっやぁー。」おしゃれにワイングラスとチーズや生ハムなんぞをつまんでいるのは、大阪海遊館の宮田だ。先日の水産学会は欠席だったので、今回は久しぶりに顔を会わせた。専門はヒトデやナマコなどの腔腸動物全般だ。

「そういう宮田ちゃんこそ、なんかめっちゃおしゃれなつまみ食べてるじゃん。ずるーい。美味しそう。」頬を膨らませてリスのような顔で片手に缶チューハイを持っているのは伊豆下田海中水族館の水野だ。エイヒレをつまみにもぐもぐしながら楽しそうにしている。専門はかなりマニアックで、ゴカイなどの環形動物や、星口動物という余り一般に知られてない生物群を主に研究している。

「…いやぁ、久しぶりだよねぇ。こんな便利な方法があったんだねぇ。」嶋野がしみじみと呟く。確かに同級生の中でも、うちの学部は女子が非常に少数派で、200人いる学部生のうち、女性は15人、更に同じ学芸員として仕事に就いたのがこの五人。全国各地に散らばっているので、なかなか一同に会する機会が取れなかったのも当然だ。パソコンの世界の技術革新がなければ、こんなに簡単に集まっておしゃべりするチャンスも生まれなかっただろう。先日たまたま、JAMSTECとの調査航海のための会議でパソコン上でのオンライン会議をやってなければ、発想する事もなかったかもしれない。

「……んじゃぁ、まぁ、とりあえずお久しぶりってぇ事でぇ。…かんぱーい」嶋野の音頭で、五人でグラスやら缶やらを持ち上げて乾杯のポーズをとる。

「…ホントに久しぶりだよねぇ。あ、嶋野と橘ちゃんとは水産学会で会ったけど。」エイヒレの新しい袋を開けながら、水野がしゃべっている。

「…そうそう。こないだはちょっと人の都合がつかなくて。うち少数精鋭だからさ。」ついさっき乾杯で新しいビール飲んでいた筈なのに、今また新しい缶ビールのプルタブを開けながら大崎が言う。

「まだそっちは人数増えないの。あれだけ水槽の数があるのに、専門職員三人って、おかしいでしょ。学芸員舐めてんじゃないの?」学生時代からモノ言うオンナで鳴らしていた宮田が、ワイングラスを揺らしながら文句を言う。

「…あはは。確かにねぇ。……学芸員っていうよりも“雑芸員”になってるよね。こないだなんて、受付嬢さんが、餌やりして、解説して、入場チケット売ってたから。ちなみに私だってチケット販売までやるし。」万年人手不足なのに何故か採用枠を増やすという選択肢が出てこないのが、この業界の七不思議の一つだ。大学に行って、所定の講義の単位取得と、必要日数の実習を受けるだけで取得出来る学芸員という資格の保持者は、毎年星の数ほどいるというのに、現場がどれほど人手不足を叫んでも、その二つが繋がることは奇跡に近い。かくして一握りの学芸員達が多忙極まりない日々を送る羽目になるという訳だ。ストレスが大崎の場合、酒量に比例するのだろう。学生時代よりも、はるかにピッチが早い。

「うわぁ。チケットまでやるの。学芸員が?」水野が驚いた顔で尋ねると、

「仕方ないんだよね。人手が足りない上に、受付嬢が産休に入ってたからさ。」心配になるくらいのペースでまたビールが空になる。

そんな感じでだらだらと近況報告を兼ねてダベっているうちに、それぞれの今進めているテーマの話題になる。

「あ、そういえば今日?あもう昨日か。東京までサンプル取りにって、何貰いに行ったの?」水野が三本目の缶チューハイに手を出しながら尋ねてくる。つまみは相変わらずエイヒレ一択らしい。

「うん。こないだみんなに送った『謎の傷』の受傷個体が、漁協から提供されて、解剖調査の時に傷口から発見された正体不明のパーツがあって、それがどうも葛西臨海水族園に搬入されたイタチザメからも発見されたっていう報告があったんだよね。」ごく簡単にまとめたつもりだが、やはりアルコールのせいで若干だらけた説明になってしまった。

「………んん?また新しい個体が上がったの?」嶋野と水野はどちらも受傷個体の実物を見ているので、なんとなく理解しているようだが、宮田ちゃんと大崎の所には、最初の問い合わせの回答だけで、いまいちピンときていないようだ。せっかくなので、携帯の画面上にちょうど大沢に送った画像が残っていたので、みんなに一斉送信で送ってみてもらうことにする。それぞれみんな専門分野が違っているのも、好都合だ。

「…………」しばらく皆それぞれに送付した画像に注目しているせいで、沈黙が続く。

「……なるほどね。確かにこれは、形状としても謎だわ。しかも、魚だけじゃ、ないんだよね?表皮の薄い魚類ならまだしも、ハナゴンドウにサメ、ラブカまでなんて、相当顎に力か必要だよね。」宮田ちゃんはさすがに鋭い指摘をしてくれる。

「……でも、そのわりにさぁ、もしこのパーツが歯に該当するならさぁ、華奢すぎだよねー。」大崎も飲むのをやめて、画像をじっと見いっている。それに関しては実は大沢からも同じ指摘を受けていた。葛西臨海水族園の個体はイタチザメで、仮に不意討ちだとしても、鮫肌といわれる強度のある表皮を『食い破る』攻撃力の高さに比べて、“歯”ならば構造が華奢過ぎる。その指摘に頷いたときに、画面の中で携帯の画面をいつになく真剣な表情で凝視する水野の異変に気がついた。

「水野?どしたの?」嶋野もやはり気がついたようだ。見たこともないような真剣な表情で、携帯の画面をタップして、拡大と縮小を何度も繰り返している。マイクが拾えないような小さな声で、何やらぶつぶつ言っているようだ。

「みーずーのーみーさーきーさーん。もしもーし?どしたの?」嶋野がもう一度大きな声で呼ぶ。その声に初めて気付いたように、ビクッと跳び跳ねて、水野はカメラの存在を思い出したようだ。

「あっ。……ゴメン!っていうか、橘ちゃん、コレが、謎の傷から出てきたの?」ほんわかニコニコが売りの水野の、いつになく真剣な表情に内心驚きながらも、私が頷くと、

「悪いけどさぁ、明日、そっちに行っていいかな。私、コレ実物が見たいわ。」確かに水野は同じ静岡県内の伊豆下田在住だから、来れない距離ではない。

「…え、うん。構わないと思うよ。心当たりでもあるの?」そう聞くと、水野は真剣な表情で頷いて

「…ゴメン、ちょっと調べる事が出来たから、私コレで抜けるね。……おやすみ~」有無をいわせないスピードで即刻ログアウトしてしまった。残された四人で、何となく酔いも覚めてしまったので、仕方なく今後の予定を話して、次回の約束を取り付けてから、解散お開きという流れになってしまった。

『ちょっと飲み足りないなぁ』内心不完全燃焼だったが、明日水野が何時に来るのかがわからない以上、これ以上夜更かししても仕方ない。明日に備えて身支度してさっさと寝ることにする。

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