第29話 再会
新幹線が、東京駅に近づいて、車内アナウンスと共に減速する。
「……はじめさん。もうすぐ着きますよ。」
今朝出勤してくるとすぐに、かなり興奮した顔つきで、僕をひっぱるようにしながら教授室の扉をノックしたはじめさんは、開口一番
「教授っ!葛西臨海水族園のイタチザメから、うちのと見た目そっくりなサンプルが二本採れたそうです!……今日、終業後に、新幹線で東京行って来ます!」と、一息にしゃべりたおした。どうやら先週各水族館に出した依頼のうち、唯一返答がなかった葛西臨海水族園に、直接問い合わせしたらしい。他の館が軒並み全滅だったせいで、正直諦めていた矢先の事で、それはやはり興奮もするだろう。報告を受けた田邊教授も、驚きを露にして、振り返ったくらいだ。僕だって正直ドキドキしている。合計で三本になれば、あわよくば成分分析に出すことだって、不可能じゃない。教授の許可がでたので、新幹線代は後日だが、研究費から出してもらえることになった。1日のルーティンをこなしながらも、気持ちはすでに発見されたというサンプルに飛んでいるのが、今日のはじめさんを見ていたらわかる。僕も同行することに何故か勝手に決まっていたので、タブレットのほうに、事前にこちらでわかっている限りのデータを入れて、その場でも、真贋判定のようなことを出来るようにしておく。そのほかに、ついでにいくつか昨日スキャンしておいた比較のための資料もタブレットにとりこんでおくことにする。ひとしきり作業をして振り返ると、はじめさんが大あくびをしているのが見えた。
「はじめさん、……もしかして、昨日あまり寝てないんじゃ?」朝からのすごいハイテンションは、いわゆる深夜テンションのようなものだったのかもしれない。
「……うーん……ちょっとワクワクしすぎて、余り寝られてないかなぁ……」あくびをしたあとの、ちょっとうるうるした眼でこっちを上目遣いにみるのは、反則だとおもいながらも、
「……遠足の前の小学生ですか。」わざとちょっとぶっきらぼうに言う。そうこうしている間に閉館作業の時間が過ぎ、教授が手配してくれたタクシーで静岡駅から新幹線に乗り込んで約一時間で、最初の状態というわけだ。案の定はじめさんは、新幹線に乗り込んで座席に座ると、すぐに眠ってしまい、調べ物をしていた僕がはじめさんを起こさなくてはならなくなった。というわけだ。
「……うーん……。着いた?……っしゃ。頑張ろう」車内が空いているのを良いことに、勢いよく立ち上がって伸びをするはじめさん。タイミングの悪いことに、車体が減速を始めて、よろめいたはじめさんを、僕が支える羽目になってしまった。
『うわっ……細っ』腕に当たる身体の華奢さに、内心ぎょっとしながらも、なんとか素知らぬ顔を装う。
「よし、行こう!」いつもよりもハイテンションな感じで、パソコンの入った鞄を僕に預けてすたすたとホームを歩くはじめさん。
最初からサンプルを受け取ってとんぼ返りの予定だから、手荷物も必要最低限で、身軽に改札に向かっていく。僕も忘れ物がないかだけ、軽く確認してから少し遅れて後をついていく。
「あ、いたいた。おーい、大沢!」いつにない満面の笑顔で、改札の向こうの人物に向かって手を挙げて、はじめさんが早足に近付いていく。相手方は、はじめさんの同級生だと聞いている。きちんとジャケットを着た、仕事上がりの同業者とは思えない男性が、ちょっと恥じらうようにして、小さく手を挙げてそれに応えている。
『あ、もしかして“同病相憐れむ”…なんじゃないかな。』以前吉邨さんから聞いた、“鈍過ぎて撃沈”した同級生というのが、脳裏をよぎる。それと同時に、ひょっとしたら二人きりで会えると思っての“ジャケット姿”ではないかと、ライバルの勘が働く。
「いやぁ、久しぶりだねぇ。……元気そうじゃん。」ニコニコしながら話している二人に近付いていくと、やはり大沢氏の視線が泳ぐ。ちょっと不審そうに、はじめさんの隣に並んだ僕を何度か見ているのに、はじめさんはようやく気付いたらしい。
「…あ、これ、うちの院生。鞄持ち兼今回のこの研究に関する共同研究者ね。」データベース作成と、画像照会しか役に立ってないが、いつの間にかそういう立場になったらしい。
「…あ、はじめまして。京極です。本日は、サンプルのご提供、ありがとうございます」
はじめさんの同級生とはいえ、貴重なサンプルの提供者でもあるので、ここは、きちんと社会人的スキルを発揮して、挨拶をしておくことにしよう。
「あ、どうも。はじめまして。大沢と申します。わざわざ取りにきて頂いて、ありがとうごさいます。」少しだが、がっかりしているのが、なんとなくわかる声色で、大沢氏は僕に握手を求めてきた。これに気付かないなんて、ホントにはじめさんは、鈍い。なんとなく励ましたくなって、僕も気持ちを握手に込めてみた。
「…早速だけど、サンプルはどこに入ってるの。」こちらの気持ちにはやっぱり全く無頓着に、はじめさんは早くサンプルが見たいようだ。
「…じゃあちょっと落ち着けるレストランが近くにあるから……」大沢氏が携帯のマップを開いてくれる。多分これも、二人で行くつもりでリサーチしていたんだろう。ちらっと登録済みのマークが見えてしまって、そんな事を思う。
「?あ、いいよ、そこのロータリーの向こうに、ファミレスあるじゃん。そこにしよ。」
全く男ゴコロを理解しないはじめさんが、勝手に決めて、すたすたと歩き始めてしまったので、僕らも諦めて渋々後に続く羽目になる。せっかく調べて下準備したのが、すべて水泡に帰すのを目の当たりにして、僕は大沢氏に大いに同情してしまった。見た目はがっしり体型で、日焼けもしてるし、外見からはチャラさの欠片も感じられない。きっと学生時代から真面目だったがために、『鈍い』女性への、アプローチや、駆け引きなんてものとは、無縁でそのままはじめさんにスルーされて来たんだろう。僕も言えた立場じゃないが、まだ姉が二人いて、女性の扱いに多少慣れているだけマシだろうか。
「いらっしゃいませ。何名様ですか?」ファミレスはこの時間帯にしては空いていて、僕らは他の目の気にならないような隅っこの座席に座る事が出来た。この混み具合なら、しばらくパソコンなんかを拡げても、苦情は言われずに済みそうだ。
「…あぁ、お腹空いた!まずは注文しようか。」さっさと窓際に陣取ってはじめさんはタブレットでメニューを開き始める。四人掛けのソファー席だから、この場合どう考えてもはじめさんの隣は僕だろう。それはわかっているものの、大沢氏はちょっと羨ましそうな顔をした。
「?何してんの、早く座って。なに食べる?昨日は豚カツだったから、他のにするでしょ?」確かに最近すっかり一緒の晩御飯が定着して、お互い何を食べたか位把握しているのは事実だが、若干“おかん”か、“姉ちゃん”みたいな関係に陥っている。
「……そっすね。……んじゃたまにはパスタにします。」そう応じながら隣に座ってタブレットを覗く。はじめさんのパーソナルスペースはそもそもかなり近いので、最近は僕もすっかり毒されて頭が当たる位の距離でも以前ほど動揺しなくなった。が、それを知らない大沢氏にとっては、僕らの距離感は刺激が強すぎたらしい。向かい側に座りながらも、赤面しているのがわかる。
『……純情か。』内心同情混じりに突っ込んで、こちらの注文を済ませてタブレットを大沢氏に渡す。大沢氏の注文も済んで、僕が三人分の水をセルフサービスで用意しに行っている間に、大沢氏は何やらはじめさんに聞いている。笑いながら顔の前で手を振っているところをみると、多分、彼氏かどうかを聞いているんだろうなぁ、と予想する。
「…とりあえず、料理が来る前に、まずは
サンプルの確認だけ、させてもらっていいかな。」やはり待ちきれないらしく、はじめさんは僕が席に戻ると同時にそう告げた。
「…そうだな。まずはじゃあこれを、確認してもらおうか。」大沢氏は鞄の中からチャック袋に入れて、ペーパータオルで包んだシャーレを取り出した。慎重な手つきでシャーレを取り出して、中身を見せてくれる。
「……あ、わざわざ寒天培地に封入してくれたんだ。」シャーレの中にはうっすらと寒天培地が、敷き詰めてあり、中央に少し埋め込むようにして見覚えのあるモノが確かに二本、入っている。
「ちょうど培地が、余ってたから紛失防止にいいと思ってな。」何故か赤面しながらそう呟く大沢氏。こんなに分かりやすくても、玉砕したということか。僕は本題とは全く関係ない事を考えていた。
「何しろ私も最初見間違いかと思った位なサンプルだからね。助かるな、ありがと。」
全方向からサンプルを見ながら、はじめさんは嬉しそうにニコニコしている。シャーレ見てのこの笑顔は、傍目からもやはり疑問を抱かれているらしく、通路挟んだ向かいの席のサラリーマンが変な顔をしている。僕はあわててパソコンを取り出して、画面を立ち上げ、こちらの採取サンプルの写真を上げて大沢氏の方に向けて、
「……ちなみにこちらの画像が、当館のサンプルの画像です。一応見てもらっていいでしょうか?」と、『変な人達』ではなく、仕事ですよアピールを試みる。ニコニコしていたはじめさんも我にかえって、緩んだ顔面をキリッと引き締めて判りやすいように画像と並べて見せてくれた。はじめさんのニコニコ笑顔にすっかり毒気を抜かれた状態だった大沢氏も、はじめさんのキリッとに釣られるように『仕事モード』に切り替わる。パソコンに取り込んだ画像は、実寸大になるようにしたものと、拡大したものとを一画面で比較できるようにしたものなので、シャーレの現物との、『大きさ』が比較しやすい。大沢氏は、鞄の中からおもむろにノギスを取り出して、
シャーレ越しに自分の所のサンプルを計測し始める。…普通の一般人は、鞄に『ノギス』入って無いんだろうなぁ、なんて事を、向かいのサラリーマンのリアクションをみて改めて思う。
「………うーん……。確かに見た目だけでなく、大きさもほとんど一致する。」小声で呟きながら、大沢氏は今度はジャケットの内ポケットから、折り畳み式のルーペを引っ張り出して、拡大画面と自分のサンプルを見比べ始めた。内心『いやいや、ルーペも普通持ってないよな。』と突っ込みながらも、なんのリアクションもないはじめさんをみて、コレがこの大沢氏の普段の姿なんだろうと思う事にする。ひとしきり画像と見比べて検討して、納得したのか大沢氏が折り畳みルーペをポケットにしまうと同時に注文した料理が来たので、僕もパソコンをスリープにして片付ける。食事をしながら結局傷痕の検索の話で二人盛り上がっていたので、僕は向かいのサラリーマンが少々げっそりして、そそくさ退散するのを見ながら内心でひっそりお詫びしておく。そりゃ小声ではあるけど、『肋骨が…』とか、『損傷部位が…』とか、『肝臓に穴が開く…』とか漏れる単語が完全に医療関係者と遜色ないものだから、食欲も減退するんだろう。やはり『理系』の人間は、そうした情緒に多少の欠落があるものなのかもしれない。もちろんそういう僕も、食事をしながら魚類解剖図鑑を見ていて、姉達にどやされたクチなので、人のことは言えないが。
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