第24話 閑話休題 誉

今日は以前約束したとおり、大学院試験合格のご褒美と、何故かセットになってしまった焼津港の漁師さんへの聞き取り調査だ。僕としては、はじめさんにまたワンピース姿でお願いしたかったが、自分でうっかり『イケメン』路線なんてことを口走ってしまったのだから仕方ない。午前9時に水族館の公用車駐車場で待ち合わせして、車体横に水族館のシンボルマークの入ったセダンで出発する。今日も少し蒸し暑いので、二人ともスーツとはいえ、シャツにネクタイと夏用ベストの状態で揃えてみた。そういう格好をさせると、本当にはじめさんは似合う。まるで少女マンガに出てくるイケメン執事みたいだ。僕も精々頑張って、なんとかイケメン寄りに髪型も作ってみた。隣で車を運転する姿も絵になる。

『えー。あの人超イケメン‼️』対向車が信号待ちの時にも、そういう声が聴こえて来るほどだ。理想的なデートでは、決してないのだが、自分の好きな人がカッコいいと誉められると、何だかうれしいものだ。

「そろそろ着きますね。………あ、そこの信号左折です。」ただ座っているのでは申し訳ないので、ナビの真似事くらいはさせてもらう。イケメンが運転すると、ロゴマークの入った野暮ったい白いセダンがスーパーカーに見えてくるらしい。交差点で写真まで撮られている。はじめさんは全く気付かない様子で、無造作に港の駐車場に車を乗り入れ、書類のカバンとパソコンのケースを持って、車から颯爽と降り立つ。今日の聞き取り調査は、漁師さんの自宅ではなく、漁港にある漁協の事務所で行うことになっている。多分建物が他になさそうなので、駐車場の隣にあるコンクリートの建物がそれだろう。二人でそっちに向かうと、どうやら入り口のガラス扉から僕らが来るのが見えていたらしい。どういう訳か出迎えに出て来てくれたのは、漁協なのに女性ばっかり。漁師=男性のイメージを塗り替えるべきかと思ったが、後から続けて男性陣が出てきたのをみて、認識をかえた。どうやら女性達は皆、いわゆる“漁師のかみさん”つまり奥さんということらしい。半分ノリで言ってはみたが、まさか本当に『噂のイケメン学芸員さん』に会うために奥様大集合が実現するとは思っていなかった。

「本日はお忙しいなか、お時間をとらせて頂きまして有り難うございます。」はじめさんが漁師弟に挨拶をするのにあわせて僕もできるだけカッコいいつもりで一礼する。漁師の奥様達は、まるで芸能人を見たときみたいな反応で、キャワキャワしながら事務所の中に引っ込んでいく。

「……すみませんねぇ、いつもはこんなに人いないんですけどね。」室内の応接スペースのソファーを案内されて、僕達は着席を促される。向かい側のソファーの中央に由比の漁師弟さんが座り、周りを囲むように遠巻きにではあるが、いかにも『海の男』な見た目のガタイのおっさんが立ち並ぶ。正直僕はものすごい威圧感を感じているのだが、やはりはじめさんは慣れているのか全く動揺している様子もない。当たり前のようにテーブルにパソコンを置き、書類の支度をして、涼しげな表情でいる。

「…お茶どうぞー。助手さんもどうぞー。」さっきから給湯室付近でじゃんけんの掛け声が聴こえていたが、どうやら誰がお茶出しをするのかを決めていたらしい。給湯室から鈴なりになって奥様達がこちらを見ている。

「……すみませんね、ちょっと浮わついてまして。まぁ、気にしないでください。」苦笑いしながら漁師弟さんがついでに置かれた自分達のお茶を口にする。

「…はぁ、大丈夫です。歓迎していただいて有難いです。……早速ですが、お話を聞かせて頂きます。」テーブルの上に聞き取りのためにまとめたらしきレポート用紙をひろげて、調査が始まる。

「……という経緯がありまして、当館が調査を開始することになったんです。」まずは、どうしてこの件で調査が必要なのかを説明する。その後、パソコンの画像で定置網の『例の画像』を見てもらう。さすがに自分たちも同じ定置網をやる漁師らしく、網の全体像が映っていないにもかかわらず、網目の向きだけでどちら側に網の入り口があるのかわかっているようだった。せっかくなので、海底の地形図のコピーを一枚もらってそこに、推定でその画像のときの網の向きを書き入れてもらうことにする。

「……そうだな。魚が溜まる場所もいつもは大体この辺りになるだろうから、………」漁師達で額を寄せあって経験則から“謎の生物”が侵入したポイントがはっきりしてきたようだ。

「……ふぅん。なるほど。やっぱり網と一番水深が深い所との接地点が侵入ポイントになりそうですね。」網の向きがはっきりしたことで、結果として調査する海域のスタート地点の目処がたった。これだけでも十分な収穫だと思っていると、背後の扉を開けて発泡スチロールの箱を持った人物が入って来た。

「お待たせしてすまんね。…持ってきたよ。」漁師の仲間らしいその人物が持ってきた箱の中身は、凍ってはいるが、どうやら例の傷口がある魚のようだ。実物を目にするとやはり特徴的な傷口ははっきりわかる。

「…ひょっとしたら残った所が食べられるかと思って冷凍してたもんだ。よかったら持って帰ってくれ。」漁師さんが言う。それをきっかけにして、他にも何人かが写真を撮影していたものをそれぞれ見せてくれる。

「ありがとうございます。こちらのアドレスに写真データを送付お願いしてもよろしいですか?」はじめさんがお願いすると、めいめいの奥様らしき女性達が給湯室から出て来て厳しい指導のもときちんと画像がパソコンに送られる。その合間にちゃっかりとさっきとは別の女性が湯飲みを下げ、また他の奥様が新しいお茶を持ってくる。とりあえず飲み干さないといけないような気がして湯飲みを空け、それぞれの写真データに撮影地点と日時を確認すると、やはりまだ最近も被害は続いているようだ。それを確認して、ひとまず必要な聞き取りは完了する。

「…ご協力ありがとうございました。皆様のおかげで、調査航海の大幅な効率化が計れそうです。…では、これで失礼致します。」パソコンを終了し、書類を片付け終えて事務所を出ると、なんとそこには銘々カメラやスマホを抱えた奥様達が。さすがに断るのも難しくてそれぞれみんなとはじめさんとのツーショットを、僕は延々撮らされるはめになった。そして最後には漁師さんも皆様加わって三脚まで持ち出して全員で記念撮影する。

「………では、失礼致します。」開放されて車に乗り込んだのは、結局昼過ぎとなってしまった。

「……ランチタイムまだ間に合うかなぁ。」地図でみたとおり、港から左折して、“けやき通り”をフライドチキンのチェーン店で左折、しばらくいくと看板が見えてくる。時間帯がずれたおかげで、駐車場に空きがあり、店内もちょうど入れ替わった所のようで、待たずに座ることができた。しかしここでも、従業員から小声で“テレビ”、“テレビでしょ”という声がする。それでもとりあえずは特に妨害もなく料理注文を済ませてほっとしていると、背後からシャッター音が。撮影されているのは、もちろん僕の正面のイケメン《はじめさん》だ。気にしているのは僕だけで、はじめさんは全く気にしていないようだ。知らん顔で手元の聞き取り資料を読み返している。

「……はじめさん、写真撮られてますよ?」思わずそう声をかけるが、資料に集中していて、完全に生返事だ。口元に親指を軽く当てて、物憂げな表情がイケメンに拍車をかけている。

「お待たせ致しました。ハンバーグ&ステーキセットです。」料理がきたのでようやくはじめさんも資料を鞄にしまっている。

「……じゃぁ、とりあえず乾杯!」乾杯といってもまだこの後研究室に戻って作業も残っているので、お冷やのグラスで乾杯する。

「京極君合格おめでとうー!」あまり大きな声で言わないで欲しい。さっき隠し撮りしていたテーブルの女性陣が、小さな声で『萌える!』とか『ヤバい』とか言いながら写真を取りまくっている。恥ずかしくて口ごもっていると、何を勘違いしたのか手を伸ばして僕の頭を撫で始めるので、慌てて避ける。赤面している自覚はある。恥ずかしさを誤魔化すためにわざと大きな声で『いただきます!』と言って、冷めてしまう前にさっさと食べ始める。相変わらず店内あちこちからシャッター音がするような気がするが、せっかくのご褒美を味わって食べなくては勿体ない。集中しよう。

「喜んでもらえたみたいでよかったよ。ハンバーグ好き?」ニコニコしながらはじめさんがこちらを見ている。ふいにお約束な感じではじめさんの指先が伸びて、僕の口元を撫でようとするので、思わず身構える。さっきよりもシャッター音が響き渡る。

「……口元に米粒って、ど定番なことしてるよ。京極君。」僕が身構えたのに気付いたか、はじめさんもさすがに口元の米粒を取ってあげるのは変だと思ったのか、クスリと笑いながら伸ばした指先を引っ込める。内心では、全力で指先をひきとめたい気持ちだったが、周囲から聴こえるシャッター音が、理性を引き戻す。

『………くっそー。むしろ僕がその写真送って欲しいわ!』どうやら通路はさんだ真横のテーブルの女性が、はじめさんが僕の口元に指先を伸ばした瞬間を捉えたらしく、興奮しながら小さな声で『ベストショット!!』と叫んでいるのが聞こえてくる。はじめさんは少し猫舌気味のようで、ハンバーグをようやく完食して、ステーキにとりかかっている所だ。僕も何とか集中して皿の上を片付けることにする。

『……こんどは、もっと人目の少ない所で………頑張ろう。』何かしらリアクションを起こそうにも、これだけ注目を浴びたら何も出来るはずもない。しかも、完全に男同士のカップルに見られてるのだ。悔しいながら、何とか食事を終えて、はじめさんが会計を済ませていると、レジ係のお姉さんが、何故か奥から店長を呼び出した。

「すみません、少々お待ち下さい。」何故かそのまま待たされる。

「……あの、先日テレビ番組拝見しました。“はじめさん”ですよね?是非ともうちの店長がご挨拶したいそうで。」レジのお姉さんがニコニコしながらそう説明する。用があるのははじめさんだけだと思って僕が出ていこうとすると、はじめさんの腕が僕の腕に絡み付いて離れない。

『………???』多分取り残されるのが嫌なんだろう。はじめさんが目で訴えている。

「お待たせしました。当店の店長の浅田と申します。……お会い出来て嬉しいです!あの、写真よろしいでしょうか?」ゴツいデジカメを構えたスタッフの指示で、僕とはじめさんの間に店長を挟んで写真を撮る羽目になってしまった。そしてトドメの一撃、

「…こちらの色紙に、サインして下さい!」

完全に芸能人扱いになっている。マジックと色紙を持って困惑しているはじめさん。そりゃあ普通色紙にサインするなんてことないだろうし。

『……漢字で、フルネーム大きく描いたらそれっぽく見えますよきっと。』僕が耳元でアドバイスする。それもちゃっかり写メするお客さん。結局色紙中央に大きく“橘朔”と描いて、右上に“さわやか焼津店様”、左下に今日の日付を入れて、はじめさんの人生初サイン色紙は完成した。

「ありがとうございましたー。」店長さんに店の外までお見送りされて、僕らは何とか帰途についた。

「…………はぁ。疲れた。ホントにテレビって怖いわー。」はじめさんの心からの呟きに、僕も心底同情してしまった。

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