第23話 報告

「只今戻りました。」サクラエビを無事に試験飼育水槽に移し終えて、教授室に顔を出す。田邊教授は電話中のようで、米原さんが了解の印に頭のうえでOKマークを作っている。何だかんだで閉館間際の時間帯になってしまったので、急いで京極君と一緒に閉館作業を始める。何とか時間内ですべての作業を完了して教授室に戻ると、休憩スペースでは、パソコンをセットしてウェブ会議の支度が整えられていた。画面の向こうはどうやらJAMSTECの会議室らしい。すっかり顔馴染みになった吉邨と、川崎氏、それともう一人、前回の会議で見覚えのある、若めの男性が、何やら相談しながらパソコン周りをいじっている。私達が戻るのを待っていたようで、田邊教授が吉邨に合図すると、画面の向こうで吉邨がスクリーンを起動する。私達も田邊教授の隣に着席して、今後の情報収集に関してや、資料の作成方針、テレビ局の番組としての方向性等、電話で話すだけでは伝えきれない細かい諸々などを話し合う。

「そういえば、今日水族館のほうの用事で、由比漁港まで行ったんですが、そちらの漁師さんの弟さんが偶然焼津港で底曳き網と、定置網をしていらっしゃるそうで。」案の定川崎氏が身を乗り出す。

「焼津港というと、調査予定海域の最寄りの漁港ですね。」しっかり頭の中に予定海域の地図が入っているようだ。

「はい。せっかくのチャンスですので、漁師さんの連絡先をお聞きしてあります。近日中に、お話を伺う予定です。」

「それは大変有難いですね。現地の最新情報をお願いいたします。」これまでに収集した各地の打ち上げ個体の位置と日数から想定すると、謎の生物の移動するスピードは、かなりゆっくりだと思われる。がしかし、実際に現地で調査が実施されるには、まだ最低でも1ヶ月はかかる。それまでに『例の傷口の被害』が移動する兆しがあるのかどうか、聞き取り調査するのが第一目的だ。漁師をしているタイプの人種は、学会などから配布するアンケートなどに対して回答率が非常に低い傾向がある。回答しない理由の一つにあげられるのが、『記入する(質問文を読む)のが面倒だ』というものだ。書面での情報収集が困難であるならば、直接交渉して話してもらう他はない。状況は流動的だし、漁師さんのご機嫌次第ということもある。なんとかきちんと話してもらわなくては。そんな話を雑談混じりにしていると、京極君がふと思い出したように呟いた。

「そういえばはじめさん、由比の漁師さん達完全に僕ら二人指差して“イケメン”呼ばわりしてましたよ。漁師さんって基本かあちゃんに弱いから、女性受け狙ってイケメン路線で行きましょうよ!」それはあえて臥せておいたのに。画面の向こうで吉邨が盛大に吹き出す。こちらでも、田邊教授が静かに爆笑している。どこまでこのネタ引っ張るつもりなのだろう。もう一度確認するが、私の遺伝的な性別は、あくまでも女性だ。出る所は出……てはいないけれど。

「……では、その作戦でしっかりお話を聞いてきて下さい。」じつは全くリアクションしていないようでいて、画面から外れた所で大ウケしていたらしい川崎氏が、涙を拭いながらこちらに向かって話す。笑ってないふうを装うなら、きっちり真顔になってからフレームインしてくれたらいいのに。いささか不本意だが、私もさすがに慣れているし、利用出来るものはとことん利用するたちなので、方針が決まった以上はやることはやらせてもらう。

「……わかりました。……善処いたします。」必要な打ち合わせ事項は完了しているので、次回の日程等を決めてカメラを切り、パソコンをシャットダウンする。

「……さて、京極君。まずは、散髪に行こうか。」“イケメン路線”というからには、ボサボサ頭を何とかしなくては。半分腹いせの八つ当たりだが、いいアイデアな気がする。

「えぇー。……わかりました。はじめさんも切るんですか?」さすがに自分のふった話題で私がこれだけ笑われたのに若干反省していたらしく、京極君が素直に応じる。

「…うーん。……切ってもいいんだけど。」

「いや、はじめさんは切らないで、“長髪イケメン路線”で行きましょうよ。…ね?」間髪いれずに京極君が断言する。確かにこの外見で、髪まで短くすると、完全に性別を間違えられる。女子トイレに入りにくいことになるのは、少し困るので。そんなことを考えていると、何故か京極君が、後ろに束ねた私の髪をもてあそんでいる。楽しいのだろうか。

「じゃあ僕これから散髪いってきますんで。今日は、晩御飯はお弁当でお願いしゃっす。…漁師さんに、連絡もお願いです。」さんざん髪を触ってから、京極君は帰って行った。『…もしかして京極君もロン毛目指してたのかなぁ…』名残惜しげに触っていたような気もする。研究室で、漁師さんの連絡先に電話をかけると、元気な声の女性が出て、日程に関してはいつでもいいと言ってくれたので、今度の休みの日を当てることにした。ついでに京極君のご褒美の『さわやか』も一緒にすれば、水族館の公用車が使えて、レンタカー代が浮く。そこまで皮算用をして、田邊教授に聞き取り調査の日程を伝えて、水族館の公用車を押さえてもらう。

帰り道にコンビニで久しぶりにお弁当を買って、自宅で食べながら、なんとなく静か過ぎて物足りないので、テレビを点けてみた。

『そういえば最近、一人でご飯してなかったなぁ。』今さらながら、後輩の出来た嬉しさを噛み締める。先輩として、きちんと指導していかなければ。

ふと思い立って手元の鞄から、レポート用紙を引っ張りだして漁師さんの聞き取り調査のための必要項目をピックアップして箇条書きにしていく。それが一段落したので、ついでに焼津港までのルート検索をしていると、地図上に“さわやか焼津店”の表示が飛び込んできた。

『おぉ。焼津にもあるんだ。これこそ一石二鳥。』ほくほくしながらマップ上で両方マークする。レンタカー代が浮いた分、京極君の好きなものを心置きなく頼んでもらうことにする。それから、ふと思い立って、水産学会の時に同期の皆からもらった情報をもう一度読み返す。ついでに先日JAMSTECの会議室に行ったときにもらった、吉邨がまとめてマッピングした地図上に、もう一度重ねてデータを検証してみる。一番最初は北海道の小樽水族館に搬入されたマダラだ。いわゆる深海魚というイメージはないが、マダラも底曳き網で獲ることがある。そこそこ大きな魚類だから、海岸に打ち上げられたら目立つし、知らない人は驚くだろう。それで、水族館にわざわざ搬入されたらしい。それだけ『傷口』に関するインパクトが強かったのだろう。ご丁寧に、新聞記事までコピーして付けてくれてある。内容をざっくりまとめると、やはり『内臓がはみ出た状態で、凄い勢いで砂浜まで自ら進んできて、息絶えた』というのが一番のポイントだったようだ。その次の嶋野の浅虫水族館の事案は、搬入ではなく、通報、引き取りというパターンになっていた。立地からして湾内にある浅虫水族館の周辺ではなく、打ち上げられたのはやはり太平洋岸の『尾駮漁港』という港のようで、そこの漁師から浅虫水族館に通報が入ったため、回収に向かったということのようだ。打ち上げられたのはハナゴンドウクジラの子供で、やはり同じように衰弱して海岸に漂着したところを通報されたらしい。傷口に関しても写真の解像度が十分ではないものの、同じように見える。これも、地域のローカルニュースとして地方版の新聞記事が添付してある。その次に続くのは、茨城の大洗水族館で、ドチザメという、比較的おとなしい底生の鮫が、狂乱状態で、海岸に乗り上げてきて、これは、何故か観光客が警察に通報して、パトカーと水族館のトラックが現場に急行するというちょっとした騒ぎになったらしい。資料に動画のURLが貼ってあるのを確認したが、撮影者のコメントがまんま怪獣映画のようでちょっと笑ってしまった。勿論新聞のコピーも添付してある。それぞれが、約1ヶ月程度の間隔で発生しているというのは、かなり明確になってきた。そして、やはり翌月には千葉の鴨川シーワールドで、同じような底生の鮫ネムリブカの報告、その次の月には、東京湾内の葛西臨海公園で、朝の散歩の近隣住民が、恐怖のあまり絶叫してやはり警察沙汰になった。この時の個体は、狂暴なので有名なイタチザメで、やはり狂乱状態だったらしいので、さぞかし怖かっただろう。しかも年末で、海岸には、結構な人数がいたらしく、これはさすがに全国規模でテレビが取り上げたのを覚えている。ただ、やはりお茶の間に配慮して、『例の傷口』には、モザイク処理したり、画像編集したりで触れている局は全くなかった。歳が明けて新年に神奈川の八景島シーパラダイスでは、大型のハタが同じような傷口で漂着、翌月には新江ノ島水族館に通報で、茅ヶ崎海岸にアカシュモクザメの損傷個体の打ち上げが報告されている。どちらも正月の報道のインパクトを受けてあまりマスコミは取り上げなかったようだ。関係者用の報告書の形になっている。その後は、以前カメラマンさんから教えてもらったラブカが、結局遠水研ではなく、水野のいる伊豆下田海中水族館に搬入されたのと、私の関わったオンデンザメとカグラザメが記録としてはっきりしている総てだ。ここまでを地図上にマークしていくと、ますますはっきりと黒潮に逆行して“南下”しているのがわかる。確かに強い海流には、必ず相反する向きで周辺に流れが発生するものだし、仮に謎生物が海底付近を移動するのであれば、黒潮の下で深海をゆっくり南下する潮流があることもわかっているので、それに沿って移動していると仮定しても決しておかしくはないだろう。黒潮反流ならば、駿河湾内の由比付近まで湾内に入り込んでいることはわかっているので、観測結果とも矛盾しない。深海の海流は伊豆半島側から駿河湾内にはいり、由比沖でUターンして清水港からうちの水族館のある三保半島沖を通って焼津港沖、つまり石花海周辺をぬけて外洋へ流れていく筈だ。なんとなく謎の生物の移動の理由が見えてきた。マッピングした地図の片隅に、走り書きして忘れないようにしなくては。こういう勘は外れないのだ。

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