第25話 習熟

「…えーっと、この向きでレバーを引くと、……こっちに動く。……反対にすると…?」さっきからぶつぶつと独り言らしき声が、使っていないはずの会議室から聞こえてくる。休憩時間に飲料自販機のスペースまで行って帰り道、ふと気になって会議室の扉を開けて覗いてみる。

「………うーん……もう一度やり直しか。」

会議室のプロジェクターには、海底の画像が映されている。それを眺めながらゴーグルを外して肩凝りをほぐすように両肩をうごかしているのは、同期の吉邨だ。どうやらVRゴーグルでしんかい6500のマニュピレーターの操作を訓練していたらしい。開発部の白川も同期なので、多分奴が開発中の新型訓練システムの試験運用だろう。試作品らしくかなりゴツいゴーグルと、肘までの関節を覆うようなややこしい形のコードが沢山絡み付いたパッドの集合体を装着している様子は、まるで昔見ていたロボットアニメのコックピットのようにも見える。悔しいがちょっと格好よさげだ。

「…ナニそれ。試作品?自分だけじゃなくて、オレにも貸してよ。」思わず吉邨に近寄ってそう声をかける。今度の練習航海兼調査は、俺達にとっても『訓練航海』でもあるのだ。現在しんかい6500は、解体メンテナンスの真っ最中だ。毎回航海のたびに、外れる部品はすべてはずして、それぞれに関して“綿密な”チェックを受けることになっている。ネジ一本でも、水圧がかかっていることに代わりはないので、微細なダメージを蓄積していないかどうかを細かくチェックするのが鉄則だ。しんかい6500が稼働する深海底では、それこそネジ一本が命取りになる。一度の潜水航海のたびに必ずこうした徹底的なメンテナンスをすることが、これまでの航海の無事故を保証してくれるのだから、手は抜けない。そして、そのメンテナンスの期間には、当然乗務員のスキルアップや、新人クルーの育成などの取り組みがなされることになっている。今年は順番的に同期の吉邨と、俺風間のうちどちらかがしんかい6500のオペレーターを務めることになる筈だ。

「…えぇー。……仕方ないなぁ。俺疲れたから交代な。……仕様と、操作法ここにあるから。……ちょっとコーヒー飲んでくるわ。」VRゴーグルを外して、腕に貼り付いたコード付きパッドをベリベリはがしながら吉邨が伸びをして立ち上がる。なかなか装着にも面倒な手順が必要そうだ。よほど肩が凝ったらしく、吉邨はまるでバタフライでもするような動きで部屋を出ていく。

『……やるか。』コピーしたものらしく、紙質の悪いマニュアルをめくりながら一度目をとおし、一通りの操作法を頭に叩き込む。自慢じゃないが、記憶力はかなりいいほうだ。子供のころからテストと名のつくものは総てこのやり方で乗り切ってきた。この記憶力をフルに生かして国内理系最高峰の東京大学を選び、案の定『バーンアウト』症候群で海岸をふらふらしているときに、今の上司である川崎道隆氏が資料採集としてビーチコーミングをしているのに知り合い、復活したのだから、運命としか思えない。川崎氏が在籍しているからこのJAMSTECを就職先に選んだのだ。何とかして、役に立ちたい。

『……へぇ。良く出来てるな。………成る程。そういう感じか。』装置の装着がかなり手間だが、なんとかVRゴーグルまでを装着して、画面を起動する。テーブルの上にあったマニュピレーターの操作装置を模したスティックは、ゴーグルとも腕のパッドとも連動しているわけではなく、腕から指先まで繋がる手袋状のセンサーが動きを拾い上げるための補助であるらしい。実際の航海で必要になりそうな一連の動作を、幾通りかのシチュエーションで繰り返すプログラムになっている。しんかい6500の機体前方には、ゲージ状の実験用ボックスが設置されることが多く、それらを開閉するためには、マニュピレーターの操作がスムーズに行えなくてはならないのだ。当然『ゲージの扉を明け閉めする』という動作は項目のトップに来ている。

「……うーん……視るのとやるのは大違いか。……結構難しいなぁ。……実物のほうがらくなんじゃぁ…ないかな。」マニュアルを読んで覚えている通りに操作するだけだというのに、なぜかなかなかうまくいかない。

悪戦苦闘しながら、なんとか半分までのプログラムをクリアすることは出来たが、どうやら不必要なところに無駄な力が入っているらしく、早くも肩がバキバキに凝ってくる。

「……おー。頑張ってるじゃん。結構難しいよな。これ。実際実物のほうがレスポンスがいいような気がするし。」吉邨も同じような感想を抱いたらしい。入社が同じ同期のなかで、こいつは出身大学のレベルのわりにずば抜けて“出来がいい”。俺自身、暗記が得意で勉強の成績はよかったが、決して“頭がいい”訳ではないという自覚がある。特に語彙力に関しては、覚束ないというほかないが、吉邨は、感性の鋭さ、観察眼の優秀さと併せて、的確にそれらを言葉にして表現するのに長けていると思う。しかも、物言いが上手いせいか、いつの間にか人脈を築いて、そのなかでリーダーシップをとるわけでもないのに物事を思い通りに動かしていく能力を発揮するのだ。今回も、吉邨のその能力を遺憾なく発揮したと言っていい。全国各地の水族館の研究員からの情報提供がなければ今回のプレゼンに勝ち目はあまりなかったという気もする。何故ならプレゼンでライバルだったチームは、例の『東日本沿岸』の大震災の爪痕をはっきりと克明に『記録する』という実績を前回残しているのだ。『うちの装備品』じゃないと『出来ない事』というテーマで各チーム毎回知恵を振り絞ってプレゼンするのだから、あれだけの被害件数が数字としてはっきりと見えたのは採用の動機として大きかったのだろう。そんな事を考えながらも、何とかすべての訓練プログラムをクリアして、VRゴーグルを外して立ち上がり、腕のセンサーパッドを剥がしていく。先ほどの吉邨のバタフライポーズに納得するほど両肩が重い。思わず同じような動きをしながら、ふと、先日のミーティングに協力者としてやってきた吉邨の同期の事が口をついて出た。

「そういえば、この間会議に参加してた美形二人連れ、凄いなー。どっちがお前の知り合い?」田邊教授に関しては、たまに学会誌なんかでインタビューも掲載されることもあって、人物像としては知っていたし、吉邨の担当教授だという話から人柄も想像していた。

「…?美形?………あぁあー。橘と、京極な。どっちも知ってるな。橘は同期で論文の相方だし、京極はサークルの後輩だし。」

不思議そうなリアクションで吉邨が二人のことを説明する。

「で、一体何が“凄い?”二人とも、そんなに目立ったこと、してないだろ?」常日頃から見慣れていると、こういう淡白な反応になるのだろうか。

「いや、だから、顔面偏差値が。田邊教授のところは、面で学生選んでるのか?」実際あの時の会議のあとしばらく、受付嬢をはじめとしてJAMSTEC横須賀本部の女性陣の間で、田邊教授のいる水族館の出演TVが流行ったほどだ。吉邨は長い付き合いの彼女がいるせいか、社内の女性陣の動向に疎いため、どうやら気がついていないようだが。彼女達いわく、『今度の調査航海チームのサポートメンバーのくじ引き大会』なるものが開催されることになったらしい。

「…別に田邊教授に限らずうちの大学の研究室に、そんな芸能事務所みたいな決まりないと思うけどなぁ。」吉邨は心底わかってない様子で首を傾げる。そして、今日一番というよりも最近で一番の爆弾発言を投下した。

「大体、橘は女だし、京極は、アレ、多分橘にゾッコンだと思うしなぁ。」

「…………??………今、何て言った?」

耳に入った情報が、全く咀嚼出来ない。

「?……いや、京極はたぶん橘にゾッコン。」俺は、軽く頭を振ってから、吉邨に向きなおってもう一度聞き返す。

「……そっちじゃない。もう一度、最初から。」軽く振ったつもりだっだが、なんだかめまいがするような。吉邨も、何かおかしなことを口走ったという自覚はないようだ。

「……?大体、橘は女だし?」最初からと言われたから最初から言ってみたとでもいうような、棒読みで吉邨が口にする。

「っっはぁ?どこらへんに女性要素?嘘も休み休みで大概にしとけ?」思わず口調が荒くなる。吉邨に動じる様子は全くなく、表情も真顔で、とてもじゃないが、嘘や冗談というかんじではない。

「お前こそ、若干失礼だろ。服装で人を判断するなよ。……まぁ、確かに外見的には、アレだが、一応ちゃんと性別女子だ。オレの彼女が保証するぞ。」内心吉邨の彼女はどうでも良かったが、女性であるというのは、どうやら動かない事実のようだ。そういわれてみると、何となく男性にしては線が細いとは、思わないこともない。声質も、男性にしては、やや高めではある。

「………それにしてもなぁ。……受付の田崎ちゃんなんか、こっそり隠し撮りなんかして結構本気だったみたいなのになぁ。」ちなみにその受付嬢は現在の、俺の一押しの子だ。

「うーん……まぁ、わざわざ自己紹介で性別なんか普通言わないからな。……本人に悪気は、ないんだろうな。」吉邨もそれほど勘違いが横行しているとは思いもよらず困惑している。

「……似合わないのに無理やりスカート履かせるのも逆にセクハラだろう。」似合わないとだれもが認定するあたりに、彼女の苦労が透けて見えた気がするが、そう考えると、仕事に差し支えなければ性別なんて、どうでもいい些末事だと思えてきた。俺も、田崎ちゃんのことがなければ、せいぜい『うわぉー美形だな。』程度の認識でスルー出来たような気もする。男性だから出来る仕事、女性だから出来る仕事に、本来ほとんど違いはないのだ。男女で分ける向き不向きなんて、男性単独の個体差による向き不向きと大差ないのは事実としてはっきりしているのだから。

「とりあえず仕事が出来て優秀なら、性別なんかどうでもいいな。」俺がそう呟くと、吉邨もニカッと笑って頷いた。

「その通りだな。まずは、マニュピレータの操作試験の突破を目指してお互い頑張ろう。

白川から借りたこの練習キットは、しばらく許可もらってここの会議室で置いておくから、空き時間に使おう。」どちらが採用されても、どのみち調査母船よこすかのクルーであることに変わりはないのだから、ただひたすら調査航海までは訓練をこなすしかないのだ。やらずに後悔するくらいなら、やって後悔すればいい。俺は『橘さんの性別』という情報を当面封印することにした。訓練の日々は続いていく。

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