第21話 始動
「…えー…それでは、只今より第××回調査航海のための関係者ブリーフィングを行います。」壇上でマイクで話しているのは吉邨だ。大学事務局に提出した申請が無事通って、諸々の調整を経てようやくここまで漕ぎ着けた。今回はまずは調査の目的や、情報の共有化、計画の具体的なロードマップの作成と、参加する研究者の顔合わせを兼ねている。これまでのやり取りで、吉邨と上司の川崎氏との間では、おおまかには情報の共有化ができているが、今回はさらにこの計画を後押ししてくれる助っ人との初顔合わせが待っている。
「…はじめさん。ひょっとしたら吉邨先輩の隣に座ってる方って………高畠峯幸先生じゃあないですかね。著者近影で見た気がするんすけど。」小声で京極君が呟いている。ひょっとしなくても、今回の助っ人として、しかも、調査にも同行するという有名な研究者だ。私自身も若干緊張している。
「…高畠峯幸先生の『深海生物学への招待』、持ってますよ。今日会えるんなら、本持ってくればよかったです。」その本なら、私も持っている。正直かなり面白くて、かつ、非常に役に立つ深海生物入門書だ。うちの大学の出身でもないのに、大学生協の書店に平積みで置いてあるほど人気がある。
「…本日、今回の調査のオブザーバーとしてお願いしております高畠峯幸教授をお招きしております。一言宜しくお願い致します。」
吉邨の紹介で、その隣に座っていた初老の男性が立ち上がる。やはり本人だったらしい。
「…えー。只今ご紹介に与りました高畠峯幸です。調査航海のほうにも、ご同行させていただきます。とはいっても、研究のメインは勿論田邊先生と、うちの川崎君のチームにお任せさせて頂いて、僕は純粋な野次馬根性で調査を見守らせて頂きたいと思っております。宜しくお願いします。」その一言で、田邊教授の肩から若干力が抜けたように感じる。高畠峯幸教授の出身である東京大学の海洋学部と、うちの大学の海洋学部とは、長年ライバル関係にある。まぁ実際に現場の研究者同士が丁々発止するわけではなく、むしろ上層部のメンツの問題のような、多分に政治的な匂いのする話だが。それでも教授ともなると、それらに無縁ではいられないのだろう。うちの田邊教授は出世には興味がないので、この程度で済んでいるのだ。高畠教授もかなりマスコミに呼ばれる有名研究者だが、出世には関心が無いように思える。外見も、年齢の割にはやはりまだきちんと現役の研究者らしく、『海の男』らしい程よく日焼けした、引き締まった体型を維持している。
その後も、会議参加者それぞれの自己紹介を終えて、私のまとめた資料の解説や、吉邨の資料の解説、これからの調査のためのミーティングの日程などを確認したりして、会議は終了した。
「…次回必ず本持ってこよう。」京極君が呟きながら片付けをしていると、何と高畠教授本人のほうからこちらに向かってきた。
「…やあ、こんにちは。今回は宜しくお願いしますね。あなたが噂の『はじめさん。』ですか。テレビ拝見しましたよ。」にこやかに握手を求められて、私は正直顔から火が出るかという状態に陥った。
「………あ。………いえ。その………よろしくお願いいたします。……こちらこそ。」なんとかかろうじてそれだけ返して握手する。この話は一体どこまで広まっているんだろうか。もう二度とマスコミはゴメンだと思っていると、さらににこやかに高畠教授がつづける。
「今回の調査航海に関して、国営放送局さんから、取材同行の希望がでているんですよ。僕としても、テレビ局がついてくると、予算面でも、いろいろメリットが大きいので、ありがたい話でね。田邊先生の所には、イケメン研究者が居るって聞いてたから。……二人ともイケメンだねぇ。テレビに映えるねぇ。……よろしくお願いしますね。」あっさりと、内心の覚悟はひっくり返されることになった。
『前回は地方局だしと思ってたけど、………今回は全国ネットでは。………勘弁して。』
うっかり今回もパンツスーツで来てしまった。いっそのこと似合う似合わないは無視してフリルのついたワンピースでも着てくれば『イケメン』枠から外して貰えたかもしれない。後悔先に立たずだが。背後では、京極君が俯いて笑いを堪えているようだ。その後も高畠教授は田邊教授とも気さくに意見交換をして、京極君とも握手をして、帰っていった。その姿を一礼して見送ってから、やはり堪えきれなくなったらしく、京極君が笑い始める。体を二つ折りにして、小さな声で“イケメンイケメン”と呟きながら、くつくつと笑い続けているのを思いっきりしかめ面でみていると、川崎氏を伴って吉邨が近づいてきた。
「…?、京極君何で笑ってるの?」早速田邊教授と打ち合わせを始めた川崎氏を置き去りにして、吉邨が近くまで来る。
「……あんた余計な情報を高畠教授に提供したでしょ。」半分八つ当たりを込めて、吉邨を吊し上げる。
「あー。……いやぁ。別にどんな人?って聞かれたからURL教えただけで………」
「普通に口頭で人物像を説明すればいいでしょ?ていうか、URLって何さ。」さらに締め上げると、吉邨はスマホを取り出し、なにやら画面を操作して、地方テレビ局のホームページみたいなものを開いて見せた。
「……コレが何?」ページの隅を吉邨が指差しするので、そこをじっと見ると、青いバナー部分に魚のマークがついている。指先でクリックすると、開いたページに思わず軽くのけ反ってしまう。
「………うわっ……スゴッ。」横から覗きこんだ京極君も思わず呟く。ページのトップは私の白衣で館内を案内しているテレビ画像を切り取ったものだ。その他にも餌やり中の写真や、館内でお客様に解説している写真、更には何と、先日の水産学会の廊下での京極君とのツーショットや懇親会の写真まで上がっている。コーナーの名前は……『はじめさん。』正直背筋が寒くなる。学会の写真は明らかに同期の誰かが、面白半分で載せたものだろう。廊下でのツーショットは、何となく撮られた覚えもある。
「……これ、国営放送出演したら絶対ヒートアップしますよ。」まだ、本名は出されていないし、プライベートの写真は今の時点で掲載されていないので、放送を見た人と、水族館を利用したことのある人、あとは面白がっている各地の同期がやっている小さなファンコーナーの体だが、よくもまぁ、これだけ集まったものだ。
「…ちょっと地元のアイドル写真集みたいっすね。」ページを編集している人も、多分その手の写真集をイメージしている様子が垣間見える。高畠教授はこれを見たという訳だ。
「……どうすんの?私にアイドルにでもなれってか。」吉邨を締め上げて八つ当たりを続行していると、田邊教授と川崎氏が、打ち合わせを終えて近寄ってきた。
「やあ、お疲れさまでしたね。遠くからわざわざすみません。この後は何かご予定はおありですか?」遠くとはいっても、JAMSTECの本部会議室があるのは横須賀で、神奈川県なので、大学のある静岡県からは新幹線で一時間程度で到着する。今日も当然日帰りの予定だ。
「この後は、宿泊せずに日帰りする予定ですので、このまま失礼します。」田邊教授は川崎氏と“ちょっと一杯”行きたそうだったが、片道一時間で行ける範囲内に、宿泊費は出して貰えない。名残惜しそうな田邊教授を引き連れて、帰途につくことにする。どうせ今後も何回かに別けてブリーフィングが行われる予定なのだから、そのうち、一回くらいは宿泊費を申請して、そういう席を設けてもいい。そう言って説得すると、田邊教授もおとなしく諦めて新幹線に乗ってくれた。
「……これからまた、忙しくなるからね。」京極君にもしっかり手伝って貰わなくては。とにかく私が若干苦手なパソコンの画像処理なんかを京極君が得意にしているのが有難い。作業の時間がおかげで大幅に短縮できる。
新幹線のなかで、駅弁を食べながら吉邨から貰った資料をパラパラとめくる。水族館のネットワークでは拾いきれなかった漁業関係者の被害などのデータも、もう一度帰ってからマップに追加して、詳細な資料を作成することにした。少しずつだが、調査航海にむけて、研究グループが始動し始めたのを実感する。
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