第19話 胎動

「…それでは本日の第××回調査海域選定会議を始めます。」会議室のホワイトボードの前に立って挨拶をして、選定会議が始まった。先週の水産学会から戻って、翌日から上司の川崎さんの指示で怒涛のように資料を集めまくって、『例の傷口』に関係すると思われる漂着事案のマップを作成して、橘が作成してくれたモノと照合。田邊教授から送られてきた『謎の生物』の画像と併せて、今日のためのプレゼン資料を作成してきた。資料の作成に伴って、更にうちの独自ネットワークからの情報も集積してきたら、更に見えてきたことがある。定置網の漁獲被害だ。いままでは精々定置網内に紛れこんだ鮫などによる漁獲被害が年間5〜6件という程度の報告だったものが、格段に増加している。漁業関係者はいちいち撮影したりはしないので、報告の上がっている海域をマップ上に書き入れて、念のため何件かピックアップして電話で確認してみたが、やはり漁業関係者でも話題になってきているらしく、『…あー。あの、妙な傷口のヤツだら?うちのカレイもみんなあれよ。往生したわ。』という反応が返ってくる。それでも大きな問題になっていないのは、恐らく、『謎の傷口』の原因となる“何か”が移動しているからだ。1ヶ月くらいかけてかなりゆっくりではあるが、徐々に太平洋岸を南下している。橘が集積した、各地の水族館の情報とも、定置網の被害海域の移動は完全に一致していると言ってもいい。水産学会のときの、橘の『南下してる』は、あくまでも研究者の勘でしかなかったが、これで証明できた。このデータは、実際に漁業関係者からも被害報告書を作成、提出してもらうことによって探査計画の後押しになりそうだ。

「……えー。まずは、今回の調査海域の提案について、川崎研究員からの資料をご覧下さい。」司会の風間君の進行に従って、パソコンの画像を切り替えてスクリーンに投影する。まずは何よりインパクトだ。最初の写真は、橘が撮影した、カグラザメの写真を有り難く使わせてもらった。

「……?カグラザメ?珍しいけど……うわぁ。凄いねこれは。」せっかくなので、背面側から、腹部の写真へと、スライドショー形式にさせてもらった。なかなかのリアクションが、各委員から漏れ聴こえる。橘がアングルに凝ってくれたお陰で、傷口の特徴も非常に判りやすい。

「…こちらは、お手元の資料の4ページ目にあたります、静岡県での打ち上げ個体です。」風間君もタイミングよく司会進行を進めてくれる。会議の参加者は皆それぞれの分野のエキスパートだ。資料をついでにパラパラと捲りながら、各自の視点で疑問点などを見つけてくれたりして、計画の問題点などや、詰めの甘い所を指摘してくる。

「では、調査希望海域の説明に関しましては、研究員吉邨が行います。」風間君からのバトンタッチを受けて、俺は立ち上がる。

「…深海生物多様性研究グループの吉邨です。今回の調査希望海域について、まず場所ですが、静岡県焼津港沖、北緯34度47.1分東経138度29.9分周辺、通称“石花海”《せのうみ》です。こちらの海域の特徴は、水深の極端な変化があるという点です。焼津港から石花海堆、石花海盆を経て急激に浅くなり、水深50㍍まで上がります。その後、沖に向かって一気に水深300㍍となる地形です。そのまま最大水深域まで繋がっていますので、母船“よこすか”で調査希望海域まで一気に接近することも可能です。」そこまで一息に説明して、会議室の面々を見渡す。

「選定海域としてその海域をピックアップした理由は何ですか?資料をみると、太平洋岸各地点に被害報告があるようですが。」挙手して質問するのは、前回のオペレーションで東日本大震災の震源域の調査をしたグループのリーダーだ。今回の調査希望のライバルでもある。出来れば前回と継続して調査したいのだろう。

「今回の調査希望海域の選定基準は、打ち上げ個体の観察された時系列です。資料の最終ページに太平洋岸の地図上でのマッピングが掲載されていますので、そちらをご参照ください。」マッピングにかなり手間どったために、辛うじて昨日の夜に完成して、急遽ホチキスで追加した資料だ。手間を掛けた分、見易い資料になったと自負している。

「……確かに時系列にすると、“最終観察海域”が石花海周辺ということになるね。」各委員が頷く。

「この事案は、“現在進行形”で移動しているものと思われます。目撃情報のある海域が確定しているため、出来ることなら迅速な調査を希望しています。今回の調査海域の選定は年内で東日本周辺と日程もほぼ限定ですので、長距離移動の必要性が無いという点におきましても適しているのではないでしょうか。」来年以降には、また、『よこすか』には海外の研究機関との合同調査が決定している。今回の調査は、いうなれば、その大きな共同研究の肩慣らし兼調査機器の微調整を目的としている。

「また、目的海域の浅海域で、ハイパードルフィンでの下調べ、最大水深域でのしんかい6500での潜水探査と、二本立てでの調査を想定していますので、両機器のオペレーション習熟にも利用可能かと。」川崎さんからの援護射撃も入った。追い討ちとして、橘から借りた定置網内のカメラ映像も放映する。

「………これは。この撮影の海域が希望調査海域かね。」

「そうなります。」魚類の専門知識のある委員は、完全に立ち上がって画面を凝視している。各委員もその様子を見て、改めて調査の必要性を感じてくれたようだ。

「……以上で深海生物多様性研究グループのプレゼンテーションを終了致します。よろしくご検討お願い致します。」一礼してパソコンを次のプレゼングループに譲って着席する。全力を尽くした。あとは委員の判断に委ねることになる。

「……手応えはあったね。最後の資料、よく間に合った。いいプレゼンだよ。お疲れ様。」川崎さんからの労いが身に染みる。

ライバルのチームのプレゼンを終えて、会議は終了した。あとは各委員がそれぞれ持ち帰って検討、後日投票して集計の結果を掲示板に張り出すシステムだ。

「……あー。お疲れ様ねー。プレゼンどうだった?」ドリンクディスペンサーのある廊下の休憩スペースに、同じ深海生物多様性研究グループの同僚が座っている。休憩中らしい。

「うん、まぁ、手応えはあったかな。」何事にもタイミングというものがある。特に研究に関しては目に見えないが、何らかの“流れ”みたいなものがあって、それに乗っているか否かで進むスピードが格段に違う。今回の件は、“たまたま”研究員が第一発見者として報告して、情報も“たまたま“集積しやすい位置にあり、そこにさらに”偶然”海洋研究開発機構の職員へつながり、……どう考えても“流れ”はこちらを向いている。こういう時は逆に逆らわないほうがいい。科学的研究をしている研究者だが、それだけで説明しきれないものが、世の中には確かにある。

「あぁ、吉邨君。ここにいたのか。」川崎さんが探しに来た。

「さっきの石花海の画像、もう一度見せて欲しいって高畠委員が。悪いけどもう一回会議室に行ってくれる?」

「はい。わかりました。」高畠委員というのは、先ほど立ち上がって画面を凝視していた委員のことだ。確か相模湾内の深海生物凝集についての論文を書いている。新江ノ島水族館の深海展示にも携わっているらしい。

「…失礼します。吉邨です。」扉をノックして入ると、高畠委員は自分のタブレットで何やら調べものをしている。

「……あぁ。吉邨君。わざわざすまんね。ちょっと気になることがあってね。」タブレットの画面を伏せて、高畠委員が向き直る。

「こちらのスクリーンで拡大して、ゆっくり再生してくれるかな。」パソコンを操作して、出来るだけゆっくり、かつ、画像が粗くならないように再生していく。

「……あぁ、止めて。」画像のなかでは、ちょうど、『件の謎生物』がカレイの腹を喰いちぎって緩やかに回転しながら画面の外に消える寸前の所だ。

「この画像、こっちのパソコンにPDFで送って。」指示通りに画像を切り取って送付すると、高畠委員は、自分のタブレットの中からピックアップした何枚かの画像と並べて表示して、こちらに見せてくれた。

「…ちょうど、今年から新江ノ島水族館の深海グループが、深海定点カメラを設置して、定点観測を初めたばかりなんだけどね。」やはり有線の無人観測カメラの為、画素数が少なく、粗い映像ではあるものの、ユメナマコや、カグラザメ、深海性のクラゲなどが映りこんでいる。分割画面のなかで、高畠委員がコマ送りにしてから、画像を静止する。

「……コレ。どう?」画素が粗い上にピントが甘いが、確かに石花海での画像と酷似している。石花海の画像は、定置網の中に設置したカメラのため、『謎生物』の長さまでは判らなかったが、こちらの定点カメラでは、画面を右から左へ横切って、何かを『喰いちぎって』戻ってくるのが映っている。かなりの長さがあるようだ。画面に真っ白な“ホース”が横切って、末端が見えない。

「僕は、この資料も提出させて貰おうと思う。その代わりといっては何だが、調査チームに僕も交ぜてもらえないかな。」一瞬、田邊教授の顔が脳裏をよぎる。調査チームには、田邊教授と、橘のチームを考えていた。

「あ、もちろん、“発見者”は君の恩師で構わないよ。僕は野次馬で。」何本も論文を評価されている高畠委員が、こんなに気さくな人物だとは思わなかった。専門家の知見は是非とも欲しいので、有り難くお願いしよう。

心強い味方が出来た。握手を交わして会議室を退出する。

『調査海域選定会議投票結果発表 “深海生物多様性研究グループ”による静岡県焼津港沖石花海周辺海域調査に決定する。』

3日後、廊下に貼り出された決定通知書を写メして、橘に送ったのは言うまでもない。

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