第18話 閑話休題 “謎”
「とりあえず学会お疲れ様ー。」吉邨先輩がグラスにビールを注いでくれたので、軽くジョッキを合わせて乾杯してから口をつける。余り酒には強くないので、懇親会で食べ物にありつけなかった分、アルコールが空腹に沁みる。隣でははじめさんが、さっさとメニューを開いて片っ端からガンガン注文している。
「京極君食べられない物ある?」ちゃんと確認してくれるのが、この人の細やかな所だ。
「…多分大丈夫っすね。」と返すと、軽く頷いて教授達のぶんも注文を続ける。料理が来ると僕の前にまずは並べて、何とか食べさせようとしている。
『……“おかん”か。』たまに実家に帰ると、テーブルの上がこんな感じだ。有り難く取り皿にもらって、ひたすら空腹を満たす事に集中する。資料を眺めながら話に夢中な上司に飽きたのか、吉邨先輩が隣に移動してくる。
「…元気そうだな。最近どうよ。水族館慣れた?」僕が吉邨先輩と知り合ったのは、大学に入学して少し経った新入生のサークル勧誘の時だった。長野県出身で、ろくに泳げない僕に、ダイビングのサークルの勧誘で声を掛けたのが、吉邨先輩だったのだ。水族館に行くのは好きで、水槽を掃除しているダイバーを見た覚えがあり、漠然と水族館に勤めるならダイビングもやってみたいと思っていたので、パンフレットをもらって説明会に参加したのがきっかけだ。
「はい。大分慣れました。正直楽しいです。」魚の飼育も面白いし、来場者とのふれあいも実は嫌いではない。質問なんかに上手く答えて、お客さんが喜んだりするのも結構充実感がある。それに、何といっても役得が…………。そんなことを考えながら、ちょっと隣を盗み見する。
「そうか。就活はどうよ。どっか考えてる?……うちも今年募集中だけど。」吉邨先輩が学会に来たのは、田邊教授との顔つなぎの他に、ヘッドハンティングも兼ねていたようだ。
「……先輩のとこ、何してる所でしたっけ。」学会の準備が楽しすぎて全く就活をしていなかったので、『企業研究』なるものにも、取り掛かっていない。名前に聞き覚えがあるということは、きっと大きな所だろう。くらいの認識しかない。
「………あのね。後輩じゃなかったら『ググれ!!』っていうとこだぞ。」ガクッというリアクションをしながら吉邨先輩が笑う。
「…すみません…」罰としてビールを注がれた。焼き鳥で渇いた喉に意外と美味しく感じられて、思わず飲み干してしまった。
「うちは、正式名称が『海洋研究開発機構』っつー長い名前で、略称がJAMSTECな。俺が所属してるのが“深海生物多様性研究グループ”、わりと有名なつもりだったんだが。聞いたことない?『しんかい6500』とか。」苦笑いしながら吉邨先輩が教えてくれた。感心して聴いていると、ふわっといい薫りが鼻先を掠めて近付く。
「ダメじゃん京極君。もっと企業情報研究しないと就活厳しいよー。」不意に頭をぽんぽんされて、はじめさんが顔を近付けて笑う。
『………役得』学会発表を田邊教授から持ちかけられて、最初に思ったのが、『あの』橘朔さんとペアを組んで研究が出来る!ということだったとは、まだ誰にも話したことは無い。本人全く自覚が無いようだが、入学当初から一部の学生には非常に有名な人物だったのだ。そもそもうちの大学は理系なので、女性学生が比率として少ないうえに、『海洋』に関する勉強をする層が大抵水泳部上がりだったり、サーファーだったり、基本女性でも見た目が『ゴツい』。そんな中に比較的色白で、スレンダーな“美人”が、何の気負いもなくさらっと混ざっていて目立たない訳がないのだ。近付くまでは、まさしく『高嶺の花』だった。こんなに近くでしかも、『頭ぽんぽん』。内心で幸せを噛み締める。
「………京極君、聴いてますかー。」吉邨先輩の呆れるような声に慌てる。
「何の話でしたっけ。」またしてもガクッ、というリアクションをされてしまった。
「……就活の話だよ。うちの募集情報が、来週から一般公開するから、その前に有望株に声掛けてんだよ。」カウンターにつっぷして若干拗ねたようにして、吉邨先輩がそう言う。機嫌を損ねたかもしれないと、僕はビールを吉邨先輩のグラスに注ぎ足す。
「えー。有望株だってー。京極君!頑張れ!」大分アルコールが回っているのか、はじめさんが立ち上がって、後ろから僕の両肩を掴んでガクガクと揺さぶる。揺さぶられる度にいい薫りがして、物凄く顔と顔の距離が近い。身体も近い。
「こらこら。うちの有望株揺さぶるな。」吉邨先輩がとりなすまで、僕はしばらくなすがままにガクガクされてしまった。散々揺さぶってからはじめさんはトイレに行くと中座する。
「………京極、お前もしかして………。」吉邨先輩が僕のグラスにビールを注いで尋ねる。
「…な、何でしょう。」幸せを噛みしめたのが表情に出てしまっただろうか。
「……橘は………大変だぞ。」やはりバレている気がする。内心の焦りをごまかすためにビールを口にする。
「あいつ“本当に”ニブイからな。これまでも同級生が何人も撃沈してるから言うけどな。本っ当に、ニブイぞ。中身ほぼ『おっさん』だからな。…惚れたら大変だぞー。」
「!!……ほ、惚れてません!」焦って本心と真逆なことを口走る。完全にバレている。
髪を伸ばしてわざとボサボサにしているのも、赤くなる顔を隠すためだし、田邊教授に頼んで研究室に移動させてもらって、帰るタイミングを合わせて一緒に帰って、アパートの場所を覚えたり、ついでに晩御飯を一緒に食べに行って、自分の中で『デート気分』を味わってみたりと、いろいろやっているが、同級生の勘違いは加速するのに当人は全く動じない。『のれんに腕押し』『糠に釘』、テレビ出演の騒ぎに乗じて辛うじて“ユリ”ではないという情報と、『彼氏がいたことがある』という衝撃の事実を知ることができたが、なかなかその先は暗中模索の状態だ。
「…………でも、確かにちょっと鈍感ですよね。」思わず本音が出てしまった。吉邨先輩がどや顔をしているので、思わずビールを一気に呷る。ごまかしたのがバレバレで、恥ずかしさの余りで、顔が真っ赤になってしまった。
「……一年程度じゃ、橘は落とせねぇと思うぞ。」ニヤニヤと笑いながら吉邨先輩が言う。
「…僕もそう思います。……なので、院生目指そうと思ってます。」ここまでバレてしまったら隠しても仕方がない。
「………そうか。三年計画だな。まぁ、応援してやるわ。せいぜい頑張れ。」吉邨先輩が肩をぽんぽん叩いていると、はじめさんが戻って来た。どうやら眠気が来たらしく、あくびをしている。アルコールが廻っているせいか、何だか何をしていてもはじめさんが可愛く見える。その後吉邨先輩達の電車の都合でお開きになり、上司と駅に向かう所で、振り返りざまに吉邨先輩がニヤリとしながらGOサインを出していた。
「はい、田邊教授は上座ですから奥行って下さい。」タクシーでホテルに向かう時から、僕はアルコールの力を借りて、ここぞとばかりにはじめさんにへばりつく。10センチ以上の身長差がある野郎にしがみつかれても、平然とした表情でチェックインも済ませて、微塵も動揺せずにエレベーターに乗る。
『………うぅ。手強い』諦めきれずにエレベーターの中でもしがみついていたが、結局完全に酔っぱらいだと認識されていたみたいで、しまいには部屋の中で一対一なのにズボンまで脱がされて、寝かしつけられて終わってしまった。
翌日も、しょっぱなから反則モノなワンピース姿で現れて、二日酔いの精神に衝撃を与えてくれたりして、今さらながら吉邨先輩の『大変だぞ』が、実感として身に沁みた。
今回の一番の収穫は、田邊教授に頼み込んで撮影してもらったワンピース姿のはじめさんとのツーショット写真だ。永久保存版とすることを心に誓う。パソコンのスクリーンセーバの水着写真と、ほぼ同格だろう。
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