第16話 収集

「…それでは宴もたけなわではございますが、そろそろお時間となりましたので、懇親会を終了させていただきます。次回の水産学会は、会場が富山大学で決定しております。日時は追ってご連絡いたします。奮ってのご参加お待ちしております。」ステージ上で主催者の挨拶があり、参加者は三々五々帰途についていく。人が多過ぎて合流できなかったメンバーが、人波を掻き分けて近付いて来る。田邊教授もようやく挨拶の嵐から解放されて、遅ればせながら私のキープした皿の料理を口にしている。

「…いやぁ。母校の同期がネットで『イケメン研究者』としてバズッてるのは光栄だった‼️」ゲラゲラ笑う渡の後頭部を丸めた資料で叩いてから、メールの件の回答を求める。

「…それなんだけどさぁ…」叩かれた所を撫でながら、渡は一緒にいたメンツを見渡して肩をすくめる。

「…こっちのグループで、該当する案件に当たったやつ、誰もいなかったんだよ。」一緒にいたのは、のとじま水族館の渡、しまね海洋館の田中、広島宮島水族館の石原と、串本海中公園の田畑だ。頭のなかでそれぞれの所在地を思い浮かべてみる。

『……日本海側と、…駿河湾以南って感じかな。』正確には大阪海遊館の宮田や、四国水族館の大崎、下関の三津田と大分マリーンパレスの柴崎、美ら海水族館の崎枝は欠席だから、まだ、確定とまではいかないが。

「…わかった。ありがとう。もしまた何か該当するような事があったら教えて。」お互い忙しい所で資料にあたってくれた礼を言う。

「おー。またな。じゃあ、田邊教授、失礼します。お元気で。」それぞれ今日は他にも予定があったりついでに帰省したりと散らばっていく。残っているのは教授と京極君、吉邨とその上司だ。争奪戦に負けて、結局ほとんど飲まず食わずの京極君と、田邊教授を連れて、駅前までタクシーで移動して、改めて落ち着いた焼き鳥屋のカウンターに座って挨拶を交わす。吉邨の上司は学者というよりも技術者といった雰囲気の40歳台の男性で、川崎さんというらしい。一応私の名刺も渡して挨拶をする。

「……たちばな……さく?さんでよろしいですか?」吉邨のほうをチラッとみるので、

「はい。橘朔と申します。吉邨はどうせ“ハジメ”と、呼んでると思いますが。以後お見知りおきください。」一礼してからしっかり吉邨の爪先を踏んでおく。座席の並び順は吉邨、川崎氏、田邊教授、私で京極君となった。早速お品書きから一通り食べたいものを注文して、教授は早々に生ビールを口にしている。私と京極君、吉邨もそれぞれ空腹を納めるのをしばし優先していると、田邊教授が思いだしたように例の『傷口』の話を川崎氏にしはじめる。

「知り合いのカメラマンの撮影した映像がありましてね。…」という話になった所で、川崎氏の眼の色が変わったような気がする。突然カウンターに身を乗り出して、興味津々という感じだ。

「……ほう。成る程。……吉邨君、いい話が聴けたね。」若干あの“吉邨”が引き気味だ。

そういえばこの二人の所属している団体JAMSTECというのは正確な名称が、『海洋研究開発機構』という。一番有名なのは、やはり“しんかい6500”という有人探査挺だろう。様々なメディアでも取り上げられている。今までにも様々な生きた状態の深海生物の撮影を実現させているし、渡された名刺にも片隅にデザイン化されたしんかい6500がプリントされている。肩書きは……『深海生物多様性研究グループ』とある。つまり今回の『傷口』の一件にはうってつけの人脈に当たったという事になるだろう。研究者を続けていると、たまにこういう現象に出くわす。探していた資料に、偶然立ち寄った古本屋で出会うとか、新幹線の指定席の隣の人が自分達のテーマの参考文献の執筆者だったりとか。反対にどれだけ必死に当たっても手掛かりすら掴めないというテーマも存在しているのだ。まるで『これをやりなさい』と“何かしら”が後押しをしているかのように。

「じつは、次回の深海探査挺の潜航海域の選定作業に今入っているところなんですよ。」

川崎氏は熱っぽい口調で前のめりになっている。…いや、川崎氏だけではなかった。前のめりはうちの田邊教授もだ。研究者として、死んでからも世界に名前を遺す方法が一つある。“新種発見”だ。新種を発見すると、その生き物には『名前』が付けられる。大抵ラテン語を典拠にした、あまり一般には聞き覚えのないものだが、その時に、発見者の名前を一部に入れ込むことがよくあるのだ。そして、その生き物のことを語るとき、必ずその発見のエピソードと共に発見者のエピソードも残って、語り続けられるのだ。それは本当に『研究者冥利に尽きる』。前のめりにもなるはずだ。弟子としては、やはり師匠に協力しなくては。

「田邊教授、今日同級生から集めた情報がここにあります。」欠席してメールでの返答になった分も余白に書き込んである。こういう時、全国津々浦々に散らばった学芸員としてのネットワークが役に立つ。公的なものではない分、情報収集が迅速なのが特長だ。まとめた用紙を手渡すと、田邊教授と川崎氏は真剣な表情で額を付き合わせるようにして、資料を読みといているようだ。手持ちぶさたになったのか、吉邨が自分のグラスとおつまみと箸を持って京極君の隣に移動してくる。

「…まあ、その、何だかご縁が有りそうだな。ご協力よろしくってことで。」何故か私にではなく京極君のグラスにビールを注ぐ。

「…?京極君はこれから就活でしょ?よろしくするなら私だろ、吉邨。」私がグラスを差し出してお代わりを要求すると、

「…いえ。僕就活しませんよ。院に行きますから。」京極君はボソッと宣言する。

「えぇ?初耳だけど。教授には言ってあるの?」院生の試験は来月すぐにあるはずだ。

「もう伝えてあります。申し込みも済んでます。」合格したら自動的に私の下に付くのだから、一言くらい知らせておいて欲しいものだ。それで、研究室を一緒にという事だったのかもしれない。あの時のニヤニヤ笑いの意味がやっとわかった。

「………そういうことか。」

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