第14話 集積
「……以上で発表を終了します。ご静聴ありがとうございました。」京極君が最後の決まり文句を読み上げたところで、私はストップウォッチを止めた。
「…うーん……15分越えちゃったねぇ。…先生どうしますか?」学会の一人あたりの持ち時間は15分、その後に質疑応答で5分の計20分だ。論文本体は先週完成して、田邊教授からもOKをもらったのだが、発表原稿がなかなか時間内に収まらないのだ。かといって、時間だけを気にして早口で読み上げればいいというわけでもない。肝心なのは内容だから、発表を聴きに来た人に正しく伝わらなければ意味がないのだ。
「……スライドもう少し短くしようか。一枚辺りの表示時間を5秒にして、枚数もあと2、3枚少なくても大丈夫な気がするね。」田邊教授だけでは採点が甘くなるので、今回は鈴代さんと、米原さんにも、一通り聴いてもらっている。米原さんのその意見に、田邊教授もうんうんと頷いている。
「…成る程。わかりました。……スライドの調整は私の持ち分なので、…明日までに直して来ます。また、明日お願いします。」あとは私の編集次第ということで、責任重大だ。教授室からパソコンを抱えて京極君と一緒に研究室に移動する。私は正直画像ソフトが少々苦手なので、泊まりこみを覚悟する。
「じゃあまた明日ねー。今日の練習で噛んじゃった所、また練習しておいてね。」最近一緒に行動する時間が長くなったせいか、京極君のぶっきらぼうが減って来たような気がする。前髪をあげるのも、どうやら気に入ったらしく、最近は同級生女子に教わったらしく、ねじってピンで留めている。“ポンパドール”というらしい。
「…はい。頑張ります。橘さん、これから泊まりっすか?」
「そうだねー。大丈夫、今日は着替え持って来てるから。」鞄を持って立ち上がる京極君に手を振って、私はパソコンに向きなおって作業に没頭する。この画像ソフトウェアというものが、私は正直苦手なので、いつもなかなか苦労するのだ。しばらく悪戦苦闘していると、足音が近付いてきた。
「…お疲れ様っす。…橘さん、晩御飯差し入れどうぞ。」そういえばそうだった。食事のことをすっかり失念していた。
「……また、ご飯抜きでエネルギーバーとかで済ませる積もりだったんすか。」先日晩御飯を一緒に行った時に、そんな話をした記憶がある。ちゃんとした定食を食べたのが久しぶりだという話から、普段の生活についての話になった。
「……ありがと。いくらだった?」財布を出そうとすると、京極君は生意気にも、
「こないだご飯奢ってもらったんで、お返しっす。」と、受け取らない。そしておもむろにマウスを操作して、何やら画像ソフトに指示を出している。
「?……何するの?」画面を覗き込むと、京極君はマウスを操作して、スライドショーを起動する。
「…多分、橘さんがやろうとしてたのって、こんな感じじゃあないすか?」スライドショーが再生されていく。
「おぉー。…完璧!って私の作業じゃん。」
悔しいことに物事には適材適所といったものがある。組んで研究するメリットとはこういう事だろう。
「……あ、作業終わっちゃったじゃん。」せっかく晩御飯を買ってきてくれたので、それは温かいうちに頂くとして、泊まりこみはしなくて済んだので、ちゃんと家でシャワーが浴びれる。布団で寝れる。画像の変更をパソコンに保存して、シャットダウンしてから私は京極君の差し入れを取り出した。何故か京極君も自分の分をちゃっかり用意している。
「……頂きます。」最近こんなパターンが多い気がする。何故か京極君は楽しそうだ。
「…学会発表、うまくいくといいねぇ。」多分発表が楽しみなんだろうと思ってそう言うと、京極君はきょとんとしている。ハムスターみたいに顔面を擦ったり、サンドイッチを今みたいに両手でちまっと持ったり、やはり京極君は醤油顔小動物系だ。私よりも背は高いので、シルエットとしては細長い。
『……オコジョっぽい。』じーっと観察しながらそんな事を考えていると、
「……食べないんすか?」と聞かれてしまった。せっかくのお弁当が勿体ない。何とか食べ終わって帰り支度を済ませる。
「…じゃあ行きますか。」何故か京極君と一緒に帰る羽目になってしまった。
「じゃあ橘さん、お休みなさい。また明日よろしくお願いしまーす。」結局自宅アパート前で京極君と別れて部屋に戻る。比較的早くに眠れそうだ。今日はゆっくりシャワーが浴びれる。
『…ついでに洗濯もするかな。』学会の時に着用するスーツをチェックしながら洗濯機も回す。一人暮らしも5年を越えると慣れたものだ。明日の準備も済ませておこう。
『…そういえば皆学会来るのかな。』同級生は全国津々浦々各地の水族館に所属している。北は北海道から南は沖縄まで。先輩も含めたら世界各地に。ふと思い立って、例の『傷口』について、学会の出欠と共に皆に問い合わせしてみる事にする。一括送信してから、ゆっくりシャワーを浴びて、上がってくると、既に返信がいくつかあった。
『ふーん。今回会場が関東地方だからなぁ。…沖縄と四国はパスか。下関もパス。小樽は来るんだ。頑張るなぁ…』皆それぞれの仕事の傍ら研究もこなしているのだろう。学会に参加するということは、結果を出しているという事になる。今度の学会で皆に会うのは楽しみになってきた。結局寝る前に返信が戻ってきたのは、11人、同級生で水族館に務めているのは私も入れて19人だから、約半数の返信があり、そのうち、大阪海遊館と大分マリーンパレスも合わせて5人が欠席という事がわかった。そして5人とも、『傷口』に関しても該当するような搬入個体はないという回答を付けてくれた。
『……ふーん。やっぱり“南下”してるんだろうか。』回答の第一印象としてはやっぱりそういうイメージになる。もちろん先入観は正しい考察の妨げになるので、ひとまず知らせてもらった事に関しては明日、田邊教授にフィードバックしてから、ゆっくり考えよう。
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