第11話 閑話休題“傷”

「おはようー。昨日は大変だったねー。」

学生室の自分の机で、エナジードリンクを飲みながら頬杖をついている僕に、餌やりを終えたゼミの同級生達が口々に労いと笑い含みの声を掛ける。さすがに徹夜明けには気の毒だということで、今日の餌やりは免除になった。撮影した画像のうち、使えそうな写真をチェックしてファイルにまとめてから仮眠するつもりだったのだが、うっかり以前隠し撮りした写真をパソコンの中に見つけてしまったために、昨夜の橘さんとの会話を思いだして反芻し、無駄に時間を浪費してしまった。

『………彼氏……いたんだ。』いやまてよ、『いた』と言っているということは、あくまでも過去の話だということだし、『彼氏』ということは、橘さんの恋愛対象は少なくとも『女性』ではなく、『男性』であるというのが確定したということで、僕にしてみれば、万に一つであるとしても、可能性は『ゼロ』ではないと……言って言えないこともないという………。そんなことをずっと悶々と、堂々巡りしながら頭を抱えていたのだ。

そう。隠し撮りした写真というのはもちろん、以前に大水槽に餌やりショーで一緒に潜ったときの、水着姿の橘さんの写真だ。

『以外に……女性的だったんだよな。』もちろんかなり細身のスレンダーボディーではあるものの、当然野郎のガリガリとは全く違って、何というか“華奢”という言葉はこの人を表現するために有るんだ。と思ってしまうような綺麗さだったのだ。

『でも、か弱い訳じゃないんだよな。』大の男でも重たいような餌の魚のぎっちり入った箱も軽々移動させるし、ダイビングの機材も結構重たいのに平気だし。『普通の女子』ならそれこそこないだのアナウンサーの女性のように“口元を押さえて見えないように下を向く”ような画像でも、顔色一つ変えずに冷静沈着に対処する。噂によると、英語もかなり流暢に喋れるらしいし、頭もかなりいい。

『正直に言って、スッゲータイプ』なのだ。

今年の4月にゼミに入って、田邊教授に卒業論文の相方として橘さんを付けてもらって、内心天にも登る心地だったのだが、あいにく僕には他のゼミの同級生のように愛想よく振る舞うというスキルが備わっていないので、

顔合わせの時にも、多分『無愛想なネクラ君』という印象しかないに違いないと思っていた。しょっちゅう話をしなくてはいけなくなったので、恥ずかしさの余り挙動不審にならないように、あえて散髪に行かずに前髪を長めにして視線をごまかし、にやけてしまう口元に手を当てて隠す。そうやって今まで乗り切ってきたのだ。

『チャンス……だったのになぁ……』偶然の産物ではあるが、“カツオが産卵する”ことで、“二人きりで一晩一緒”というシチュエーションが巡ってきた、……筈だったのに。

僕は机に突っ伏して呟く。

『…………ちくしょう。カグラザメの………馬鹿野郎。』もうカツオの観察は順調だし、次に産卵行動があったとしても、また二人きりで泊まり込みなんてチャンスは二度とないかもしれない。僕は逃したチャンスの大きさに脱力感にうちひしがれていた。

「京極君居るー?」学生室の扉が開けられ、僕の悩みの種、橘さんが顔を覗かせる。

「……はぁーい。居ますよー。」なげやりに返事をする。

「……大丈夫?」思っていたより近い所で声がして、僕は内心飛び上がりそうになりながら平静を装って身体を起こす。

「…何すか。」顔が赤くなってしまったかと思って顔を手のひらで擦る。

「さっき、研究室に昨日買ったデザート忘れて行ったから持って帰ってって言うの忘れてたと思って。」手に提げていたビニール袋を持ち上げてみせる。昨夜買い出ししたコンビニスイーツだ。

「……食べていいっすよ。…両方とも。」

「そんなに食べれないし。じゃあ今一緒に食べる?」できれば一つのスプーンで食べさせて欲しいなんてことは微塵も見せずに、黙って一つ受けとる。

「………頂きます。」まだまだ『告る』なんていう段階にたどり着くには道のりは遠く遥かだと、スイーツを食べる橘さんを横目でみながら、僕はため息をついた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る