第10話 再来
「おはようございます。」いつものように研究室の扉を開けると、田邊教授がちょうど電話を切る所だった。先日のカグラザメの騒ぎから一週間、孵化したカツオの稚魚の世話をしてから始業時間に間に合うように、早めに出勤しているので、以前のように駆け込みセーフといわれることもない。
「何か問い合わせですか?」マグカップに自分のコーヒーを入れて、教授に尋ねる。
「……こないだのテレビ局の時に来たカメラマンさんから、連絡があったよ。」
「…アナウンサーさんじゃないんですね?」
いまだに観覧者に捕まることがあるため、すっかり疑心暗鬼になってしまった。
「違う違う。今日の電話は、カメラマンさんが、単独で撮影する仕事の時に遭遇して撮影した画像の鑑定依頼なんだよ。」
コーヒーを吹いてさましながら、田邊教授は肩をすくめる。
「……鑑定って、どういうことですか?」たまにテレビ番組に使いたい映像の魚種や、珍しい生態を設問にしたいクイズ番組等に、画像に映ったモノの鑑定を依頼されることがある。いわゆる『専門家のご意見』という奴だ。不完全な映像のときに、うっかり推定で答えると、後からネットで叩かれたりするアレだ。しかも、大抵お礼と称して自局の番宣グッズ一式とかで手を打たれる。つまり無報酬の仕事だ。
「いやぁ、今回は特に何か番組で使うとかの予定は無いらしいんだけど、ちょっとね。」
「……?何の映像なんですか?」なんだか先ほどの教授の言い方に引っ掛かりを感じる。
『遭遇』して撮影と……言ったような。
「もうすぐ来ると思うよ。さっきの電話で、駅からタクシー乗る所だったから。」そう教授が口にした瞬間、内線電話が鳴り響く。
「……はい。教授室です。」案の定、警備さんからの来客を告げる電話だった。私は立ち上がって、カメラマンさんを迎えにいく。
「やぁやあ。先日はどうも。」前回同様こざっぱりとしているが、よくみると無精髭に目の下のクマが何となく疲労を感じさせる。
「……こちらです。」前回同様の通路を通って三階の教授室までご案内する。
「本日はご相談に乗って頂いて有り難うございます。」教授室に入ってすぐにそう言いながら深々と、一礼するカメラマンに驚かされる。彼の滲み出る疲労にうちへの鑑定依頼が何か関係があるのだろうか。
「……まぁ、とりあえず座って下さい。」田邊教授に促されたカメラマンさんが、着席したので、まずはコーヒーをお出しする。テーブルのうえには既に起動したパソコンがスタンバイされている。
「……ありがとうございます。問題の画像は、こちらです。」鞄からUSBを取り出すので、受け取って差し込み、読み込まれたファイルを再生する。
「……これは、つい二、三日前に別件で『底曳き網』に取り付けた無人カメラを引き上げたときに映った映像です。」画素数が低いカメラなのか、それとも暗視カメラのせいかはわからないが、独特な砂嵐っぽい画面に底引き網の一部らしきものが映り込んでいる。
「最近連続して網にかかった獲物の食害事件が、続いているとのことで、対策する為にも下調べするとかで、学生時代の伝手で、こっちに回ってきた仕事です。」再生している画像は長いもののようで、しばらく代わり映えしない網だけの画面が続く。カメラマン氏はマウスを操作して半分位のところまで早送りする。
「…問題はここからです。」早送りした所の途中で、網の中に何匹がヒラメか、カレイとおぼしき魚影が映り込んでいる。しばらくそのまま魚が網のなかを動き回っている様子が撮影されているが、何か不自然な動きをするのが何度か目についた。網のロープ部分にしては妙に白く、太さも二回りほど太いような『何か』が時折網の目をすり抜けて中にいる魚を狙って蠢いているように見える。
「……これです。」何度目かの侵入でついに網の中の魚影を捉えたらしく、カメラの画面が一瞬魚の腹の部分で一杯になった。そのままカメラマンは画面を一時停止にして、画像の一部分を指差す。
「…………?」暴れた魚のせいで舞い上がった砂があるせいかピントがはっきりしないが、カメラマン氏が指差す所で、魚体の腹部に『何か』が“喰らいついて”いるのが見えた。ロープより太い、柔らかそうなシルエットで、一見しても鱗や鰭のようなものは見当たらない。『それ』は魚体に吸い付くように近付いて、捻れるような動きをしてから魚体から離れていった。
「…網を引き揚げてから撮影した魚がこれです。」画面が切り替わり、船の甲板らしき板のうえで、大きさがわかるようにメジャーを並べて撮影した静止画が写る。
「………田邊教授、この傷口。」海中カメラでは魚体の大きさが分かりにくかったが、メジャーと比較するに、ヒラメの大型な個体だった。白い腹部には、ついこの間撮影したのと非常に“よく似た”丸い傷口が写されている。船上での撮影のため、傷口の内側についているであろう『螺旋状の痕跡』はさすがによくわからないが、ほぼ同じと言っていい。
「…この映像はお借りしても構わないですか?」教授は難しい顔をしながらカメラマン氏に確認する。
「構いません。特に何か番組に使用する予定もありませんので、無期限で。」うなずいた教授が、保存処理をしてからUSBを取り外し、こんどは、パソコンのファイルの「カグラザメ」の所を開く。私が撮影した海岸線の動画から始まる全ての写真をカメラマン氏に見せておくつもりのようだ。
「……ちなみにこの底曳き網を設置したのはどの辺りですか?」
「湾内の『セノウミ』とかいう所です。」
急激に水深が変化する、湾内の漁場になるポイントだ。学生の海洋実習でも必ず使用する。
「わかりました。もし、今後似たような事案が見つかったらまたうちに、知らせて下さい。」田邊教授はやはりこの『謎の生物』が気になるようだ。
「……よろしくお願いします。画像みてからちょっと気持ち悪くて睡眠不足なんです。…早めにはっきりするといいんですが。」
そういえば前回の画像のときも若干顔色が悪かったような。以外にナイーブな内面をしている。それにしても、粗い画像ではあるが、鱗や鰭が全く識別出来ないというのが気になる。まるで『白いホース』のような外見。海洋学部を卒業して三年、大抵の魚種は把握しているが、全く思い当たるものが見当たらない。だとすれば、『未知の深海生物』とでもしたほうがいいような気がする。
『新種発見』となれば、水産学会でも一大ニュースだ。そこを考えて、田邊教授は情報を収集していく積もりのようだ。カメラマンが帰ってからも、教授はしばらく画像を何度も再生しながら考え込んでいるようだった。
「……とりあえず餌やりに行って来ます。」
不穏な空気を振り払うように、私は毎日のルーティンワークに取りかかる。まだまだ学会までの準備も沢山残っている。のんびりしている暇はないのだ。学会まではあと2ヶ月、画像とグラフは京極君に任せてあるので、私は概論から本文、発表原稿を書き上げなくてはいけない。間違っても吉邨に馬鹿にされたくはないものだ。しっかりやらなくては。
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