第5話 非日常 2
「………えーと……」この場合、このまま間違いを訂正せずに素知らぬふりをするのと、きちんと誤解を訂正するのと、面倒がないのはどちらのルートだろうか?私が真剣に悩んでいるのに、誤解を招いた張本人の田邊教授はというと、すました顔でコーヒーを飲んでいる。いや、すました顔に見えるが、よく観察すると、明らかに面白がっているようだ。
「…すみません。誤解が有るようなので、訂正を一つ、させてください。」内心ため息をつきながら、まぁ、よくある状況で慣れっこになりつつある自分に若干嫌気がさしてくる。
「はい。何でしょうか?」まだ頬をあからめてるよこの人。と、少しだけ申し訳ないと思う。
「……あのですね。……その、『彼女』も『彼氏』も居ません。そして…あの、私は生物学的には『女性』なので。……」そこまで何とか説明する。しばらくの間、場を沈黙が支配するのも、毎度のことである。
「……………えぇっっ?」やっと意味を呑み込んだらしく、アナウンサーさんとカメラマンは同時に、口を両手で押さえるという見事なシンクロリアクションを披露してくれた。
『毎回のこのリアクション、傷つくなぁ。』
最近は『イケメン』という言葉にも嫌気を感じてしまいつつある。
「さて、そろそろ館内の撮影をしてもらいましょうか。」にやにや笑いを圧し殺しているのがもろバレな田邊教授が、固まってしまったアナウンサーさんに声を掛ける。さすがにカメラマンは立ち直りが早く、USBをカバンにしまいこんでから素早くセッティングを始める。と、そこまでぼーっと見守っていて、不意に嫌な予感がして、私は田邊教授を見る。『ニッコリ』のうえに『ウィンク』だ。
『………嵌められた……』完全にこの流れで行くと館内解説は私の担当だ。あわよくば『イケメン研究員のいる水族館』とかいう枠で、来館者増を狙うつもりだろう。私は半ばやけくそになりながらも、せっかくだから自分の担当するクラゲ達をちゃっかり推してやろうと心に決めた。
「…はい。ではお願いいたします。」まだ若干衝撃を引きずっている気配は有るものの、そこはプロフェッショナル。何とか立ち直り、お仕事モードに入ったようだ。
「どこら辺から撮影しますか?」多分テレビ局側のイメージする台本があるはずなので、まずはそこを確認する。こうした場合、台本を作成するのは大抵素人なので、結構あり得ない想定だったり、実現困難な映像を欲しがったりすることが往々にしてある。取材先の飼育している生物に関してすら、事前に調査せずに、『ここらへんでイルカが後ろでジャンプする』とか台本に入っていて、『……あの、スミマセン、……うち、イルカ居ないんですけど……』某国営放送局が来た時のこぼれ話ですね。まぁ、よくある話です。館内マップを手渡して、カメラマンとアナウンサーさんに撮影したいルートを確認してもらいましょう。
「時間の変更込みで考えて、三パターンくらい作って置きますので、まずは正面入り口からのコースでお願いいたします。」アナウンサーさんはまだ若いですが、カメラマンはベテランのようで、実際に放送できる時間枠の変更まで想定している。優秀な人材だ。
「では、正面入り口から入って、アナウンサーさんの質問にお答えする感じで進めて宜しいですか?」
「…はい。それでいきます。」エレベーターで移動しながら軽く打ち合わせをして、正面入り口に向かう途中で、受付の職員に今から撮影する旨を伝えておく。いや、化粧直さなくてもいいんだけど。
「じゃあ、まずリハーサル行きますー。」
カメラマンがスタンバイしてキューを出したのを確認して、アナウンサーが話し始める。
「はい、こんにちはー。今日はここ、S市のT大付属海洋博物館に来ています。本日はよろしくお願いいたします。」
「…はい。よろしくお願いいたします。」内心の緊張を何とか圧し殺して、なんとか『ニッコリ』を顔面に貼り付ける。
「うわぉー。イケメン研究員さんですねー。解説よろしくお願いいたします!」やはりそこは使うのか…と思いつつ、気力を奮い起こす。照れている風に頭に手を当てながら、館内に入り、入り口の円柱水槽のカラフルな魚達を、いくつか解説する。さすがにプロフェッショナルなだけあって、『素人にも解りやすい』切り口での質問が多い。なので、私も、できるだけ『一般的な』解説を心がける。余りマニアックに片寄りすぎると後々よろしくないのだ。テレビの影響力を甘くみてはいけない。
「それでは、今朝海岸に打ち上げられていた鮫の仲間というのは、どれになりますでしょうか?」円柱水槽を抜けて、大水槽を軽く解説してから、本題に入るということか。
「こちらの部屋に、当館の自慢の深海生物の標本コレクションが展示されています。」場所柄ここは、S湾一帯の採集された深海生物が集結する為、状態の良い標本が多い。一番有名なリュウグウノツカイも雌雄そろっているし、ラブカやチョウチンアンコウも有名所だろう。カメラマンはその辺りをさくっと押さえてから、私が指差した『オンデンザメ』の標本に寄っていく。
「へぇー。……こちらがその『オンデンザメ』ですか。こんなに大きなモノが海岸にあったんですか?」うまいこと、後で写真と編集するつもりのようだ。
「いえ、海岸に打ち上げられていたのは子供のようで、僕と大体同じ位の大きさでした。」どうせイケメン枠にされるならばと、あえて一人称に『僕』を使ってみる。
「それでも漂着物としては大きな方ですよね?」いつの間にかカメラマンの後ろでリハーサルを眺めていた田邊教授が、私が割りきったのを察して、『サムズアップ』しながらニヤニヤしている。
「実際の現場の写真がこちらです。」アナウンサーのこの一言で、一旦リハーサルを終える。気付くとカメラに映らない死角のあちらこちらに、学生やら職員やらが鈴なりになっている。テレビ局が来るのが『非日常』だから、完全に『娯楽』になっているようだ。
「……オッケーです。じゃあ本番行きまーす。皆様お静かにお願いいたしますー。」カメラマンの一言に、妙に神妙になっているギャラリーが面白いが、釣られないようにと、気を引き締めて何とか1パターン目を撮りおえた。その後も、取り上げる魚を変えたりしながら2パターン程撮影して、何とか『クラゲ』の解説も『ぶっ込んで』目的を果たして撮影は完了、テレビ局は撤収となり、普段の生活が戻って来た。いつもの通りに閉館作業を終えて、自分の荷物をまとめて帰宅する。
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