第4話非日常 1

弁当を持って教授室に入ると、ちょうど教授が電話に出ている。そうっと扉を閉めて、部屋の端の机に弁当箱を置き、マグカップにコーヒーを注いでいると、通話を終えた田邊教授が、ニコニコしながらこちらに近寄ってくる。教授のニコニコは『要注意』だ。

「……何でしょうか?」

「今電話でテレビ局から問い合わせがあってね。どうも橘君より先に住民が、打ち上げられた鮫を目撃して通報してたらしくて。」

「……もう、放映できるような状態じゃなかったですけど。」お茶の間にお届けしたら多分クレームの嵐が吹き荒れるだろう。

「だから、橘君が撮った写真を使いたいんだって。後で写真受け取りがてらテレビの人達が来るから、対応よろしくね。」正直苦手なことは、もちろん教授には判っているだろう。むしろマスコミ対応が得意な人材は少数派だろうと思う。若干ひきつり笑いで返しながら、弁当を急いで掻き込む。コーヒーで流し込むようにして食べ終えて、パソコンを立ち上げ、今朝の撮影データを取りまとめて、すぐに引き渡せるように支度しておくことにする。

「あ……メール来てる。」パソコンにメール通知が有るのに気付き、開くと、同期で卒業してJAMSTECに就職した吉邨拓也からのメールだった。

『元気か?今度の水産学会参加決まったらまた連絡して。うちの上司が田邊先生にご挨拶したいらしいから。』即戦力を各地の水族館に送り込む人材育成のエキスパートとして、うちの田邊教授は意外と有名だ。顔を繋げるチャンスがあるなら藁でもすがりたいだろう。

『お久しぶり。一応現時点では、参加の予定です。卒研の学生と私と連名の発表になる予定。また近くなったら連絡する。』メールを返信して、データを保存してから、パソコンをスリープモードにして、弁当箱を片付けがてら作業服を取りに自室に向かうと、大水槽のビニールカーテンをめくって、鈴代さんが、ひょっこり顔を出す。

「おー。お疲れー。後でテレビ局来るから、ちゃんと『おめかし』しといてくれな。」

「鈴代さんが、『おめかし』すればいいじゃないですか。モテモテになりたいでしょ。」

鈴代さんは30代に突入してから突然結婚願望が沸きだしたらしく、それまでヨレヨレTシャツにサンダル履きで自転車通勤していたのが、突如ジャケットなんぞを羽織るようになって、学生達の噂の的になっている。

「うーん……モテモテ……って橘君がモテモテなのを、俺が知らないとでも?」鈴代さんの言う『モテモテ』は、あくまでも女性に対しての言葉らしい。確かに私は自分でも自覚するほど『女性受け』がいい。大学生時代の同期の女子と、つるんで飲み会に出かけると、大抵『逆ナン』(女性からのナンパをそう呼ぶらしい)されるほどに。詳しい人に言わせると、どこかのアイドルグループ(男性)の誰やら似だとか。重ねて言うが、遺伝上は私の性別は『女性』だ。既に若干このやり取りに面倒くささを感じて、私は話を切り上げにかかった。

「はぁ、……わかりました。『イケメン』研究員橘が承りました。『オメカシ』してきます。」研究室に戻って軽く顔を洗い、薄く化粧して髪をとかしてきちんと束ねる。鏡を眺めながら、『まぁ、確かにさっぱりした顔ではある。』とため息を一つ。両親のどちらに似ているかと言われると、いわゆる『しょうゆ顔』の父に似ていると認めざるをえないのも紛れもない事実。大分前になるが、友達にもらった口紅をつけてみたら、見た人全員が満場一致で、『オネエ』にしか見えないから今後やめておいたほうがいいと諭されたのには、実は少しだが、傷ついている。なので、今回もファンデーションは塗るが、無色のリップクリームだけに留めておくことにする。

テレビ局が何時に来るかは不明なので、すぐに羽織れるように白衣だけを片手に持って、私は自分の研究の相棒である、学生のいるプレハブに向かうことにする。研究のメインは学生だが、連名にする以上は学会に間に合って貰わなくては。

「おーい。京極いる?」学生の部屋の扉を開けて顔を出すと、

「きゃー。ハジメせんぱーい!」という黄色いざわめきの洗礼を受ける。理系の学部で、女子学生が少ないとはいえ、6人中二人は女子学生だ。そして何故か男子学生にはこの黄色いざわめきが向くことはない。既に諦めの境地に達しているのか、研究室にいる男子学生のリアクションはないので、私のほうも軽く片手を女子学生のほうに振って、スルースキルを発動することにする。

「はーい。何すか?」一番奥の机でパソコンに向かっていたボサボサ頭がこちらを向く。

「今年の水産学会参加するから、早く論文仕上げに入っておきたいんだけど。実験進んでる?」6人の学生のうち、一番長い時間研究室に入り浸っているのが、このボサボサ頭の学生、京極辰彦だ。全く身なりに構わないが、研究に関しては非常に優秀なので、それなりに期待はしている。

「あー。昨日泊まり込みで結構進んでますよ。卵割順調に写真撮れました。」どうやらパソコンにデータを落として、編集していたようなので、靴を脱いで上がり込んで画面を覗き込む。

「へぇー。ホントだ。きれいに撮れてるね。このまま順調に発生が進むといいね。」画面には、顕微鏡カメラで撮影した、研究対象の魚の卵の写真が上がっている。ちなみに私達の今回の研究テーマは『浅海性小型魚類の卵割の進行速度の魚類毎の比較』だ。…それが何の役に立つのかと言われると、あくまでも基礎的研究なので、『特に役には立ちません……すぐには。』と答えざるを得ないのが実状だ。まぁ、それはさておき、研究の方は京極君にまかせても大丈夫そうだ。内心ほっとしていると、ポケットに入れた携帯が振動する。

「……はい。橘です。あ、はい。わかりました。今外なので、すぐに行きます。」守衛室から、テレビ局の車が到着したという電話だった。急いで白衣をまとい、学生室から外に出ると、写真を受け取りに来るだけだと思っていたのに、駐車場には小さめな中継車が止まっている。嫌な予感がする。 再び携帯が振動して通知画面をみると、田邊教授だ。

「あもしもし、ハジメ君。テレビ局さんご案内して、教授室までお願いね。」通話ボタンを押すやいなや、それだけ言って切れてしまう。思わず前髪をかきあげてため息をついていると、気配を察知してか、ゴツいカメラを担いだカメラマンと、アナウンサーらしき若い女性がこちらに近寄ってくる。仕方ない。

「こんにちは。」肚をくくって、にこやかに声を掛ける。一番女子受けが良いと評判な笑い方をしておこう。

「!こんにちは。お世話になります。テレビS岡です。よろしくお願いいたします。早速ですが、橘さんでいらっしゃいますか?」さすがはアナウンサー、立て板に水の勢いがすごい。私は笑顔がひきつらないように気をつけながら、裏口からエレベーターで研究室までの道のりをご案内する。

「きゃぁー。ホントにイケメンさんですね。田邊先生のおっしゃる通り。」

「……こちらが研究室です。」扉をノックしてからゆっくりと開けると、いつの間に用意したのか、扉の内側にパーテーションがあり、いつもの雑然と資料の積み上がった机が目隠しされている。教授はちゃっかり休憩スペースの奥でスタンバイしている。

「こんにちは。ご足労ありがとうございます。どうぞお掛けください。」教授に促されてテレビ局の二人が着席するので、私はコーヒーを四人分用意してから、教授の隣に着席する。

「本日は資料のご提供、誠に有り難うございます。」テレビ局の二人がそれぞれ名刺を出してきたので、仕方なく自分の名刺を一枚だけ出して、アナウンサーの女性のほうにお渡しする。

「……タチバナ…?」ローマ字でも記入してあるので、読めない筈はないのだが、アナウンサーの女性は名刺を眺めて頭に『?』を浮かべたままで固まっている。

「あのー。田邊先生、こちらの研究員さんは先ほどは『タチバナハジメ』さんと……?」

「あぁ、通称『ハジメ君』です。本名は『サク』君です。どちらで呼んでいただいても結構です。」それは田邊教授ではなく、私が言うべきことではないだろうか。内心の不満を苦笑いで隠しながら私はパソコンの操作に集中する。

「とりあえずまずは、撮影してある写真をスライドショーにしますので、ご覧下さい。」画面を二人に向けて、再生すると、カメラマンの男性はがっつり画面を眺めて頷いているが、アナウンサーの女性は、背中側の映像は何とか見ていたものの、腹側の映像では完全に口元を押さえて下を向いてしまっている。

『……大丈夫かなぁ。』普段いわゆる『リケジョ』ばかりを相手にしているために、何とも思わなくなってしまっているが、一般的な『女性』の反応はこちらが正しいのかも知れない。とりあえずすべての画像を再生して、アナウンサーの女性に確認すると、気丈にも若干青ざめつつきちんとカメラマンと相談を始めた。

「すみません、有り難うございます。こちらのUSBに画像をコピーして頂いて宜しいですか。?」

「…わかりました。……どうぞ。」事前に別のファイルを作成しておいたので、データの移動は一瞬で完了する。下を向いた拍子に後ろでくくった髪が邪魔になり、軽くかきあげながらふと視線を感じて顔をあげると、アナウンサーさんとばっちり視線が噛み合った。

「……あのぅ……ハジメ君は彼女とかは居ないんですか?」さっきも頬を赤らめていたのはそういうことだったようだ。『ハジメ君』がまさか、『オンナノコみたいな美青年』ではなく、『美青年みたいなオンナノコ』だとはつゆほども思わないらしい。

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