第4話 いるべき場所を見つけたの?

 次の日、学校に行くと教室からちーちゃんの机は消えていた。


 宣言通り、高校を退学したらしい。


 でもクラスの誰一人として、去っていった女子生徒のことを気にかける様子はない。私も特段、話題に上げたりはしなかった。


 ちーちゃんがいなくなって一年ほどが経つと、私にもちらほらと友達、いや、友達らしきものが出来始めた。皆、細かいことを気にしない性格だから、誰が好きとか誰が嫌いとか、その手の複雑で面倒な感性を持ち合わせてはいないのだ。


 誰かを否定することはないけれど、特に肯定することもない。


 けどそれも、相手が同じ時間軸を生きている、という条件付きだ。


 生きる速さの違う誰かさんのことなんか、そもそも捉えることさえ叶わない。同じ速度で歩いてくれなきゃ、接触も観察も不可能だから。


 私が次にちーちゃんの名前を耳にしたのは、別れてから三年が経過した頃だった。


 一部の中学生から熱狂的な支持を集めている女性ミュージシャンがいる、という噂を小耳に挟んだのだ。人間が音楽をAIの手に託して久しい今、ミュージシャンを名乗る人間が存在していること自体がとんでもなく珍しい。音楽活動を始めたのなら、衆目を集めるようになるのは無理もないことだった。


 次第にメディアで取り上げられるようにもなって、ちーちゃんの演奏動画が地上波放送されたことも何度かあった。動画の中で弦を弾いて、歌声を響かせるちーちゃんの姿には、今の私達には感じることさえ出来ないような巨大な何か――、叫びのような、乾きのような、一言二言では絶対に表現することの出来ない、欠乏する何かを求める茫漠とした感情が、痛々しいほど切実に滲み出しているようだった。


 メディアがちーちゃんについて報じることはあったけど、それに対してキャスターが肯定的な意見を述べることはなかった。こういうのがナウなヤングにウケているらしいですよー、と。端的に事実を並べただけの、ひどくあっさりとした報道がなされるだけだった。


 当然だ。引き伸ばされた時間の上をだらだらと歩む私達に、百年にも満たない人生を全力で駆け抜けているちーちゃんの感性は、どう足掻いたって理解できない。


 だって、そうだろう。


 表情筋が裂けてしまいそうなくらい顔を歪めて、声帯が焼け焦げてしまいそうなほどの大声を出しながら、泣き叫ぶようにシャウトしているちーちゃんの姿を見せつけられて、一体誰が、あなたの気持ちわかります、なんて戯言をかけることができるのか。


 でもそれは、あくまで寄生虫を体内に宿らせた十五歳以上の人間に限った話だ。中学生以下のまだ手術を受けていない子供たちにとっては、また別。適応の影響を受けていない彼らは、ちーちゃんと同じ時の流れで毎日を過ごしているのだから。


 動画サイトのコメント欄を覗いてみると、「感動しました!」とか「頑張って下さい!」とか、ちーちゃんのことを讃えるコメントが二百件以上もずらりと連なっていた。中には、「私、なんだかいつも息苦しくて、教室とかの雰囲気にずっと違和感っていうか、閉塞感みたいなものを覚えてたんです。でも、この曲聞いたら私がずっと感じてた気持ちを代弁してくれたような気がして、私と似たようなことを感じていてくれた人がいたんだって思って、すっごく感動したっていうか、嬉しくって、一人じゃないんだなって思えて、泣いちゃいました。私、あなたの音楽に救われてます。なんか感情メチャメチャになっちゃって何言ってるかわからないかも知れないけど、とにかく好きです。今度ライブ行きます。ありがとう。本当にありがとう。好きです」みたいな長文のコメントを書き連ねているアカウントさえあった。


 これは異常だ。いくらネットの世界が広大とはいえ、一つの動画にこれほど多くのコメントが集まるなんて。


 たとえ再生回数の多い動画であっても、コメントが二桁を超えることはめったにない。長文コメントなんて言わずもがなだ。


 それだけ、ちーちゃんのような存在が一部の子供たちの間では待ち望まれていた、ということなのだろうか。


 教室という狭い世界の中では、ちーちゃんは私の隣以外に自分の居場所を見出すことは出来なかった。最終的には、それすらも真っ向から否定することになってしまった。


 そんなちーちゃんも、ようやく見つけられたのかも知れない。


 自分のことをわかってくれて、自分と同じ感性を持っていて、自分と同じ足並みで歩いてくれて、自分のことを見てくれる。


 そんな、仲間を。同類を。


ちーちゃんはもう、一人じゃないのだ。


 きっと、今のちーちゃんは幸せだろう。こんなにも多くの人たちから必要とされて、感謝されて、歓迎されて、感激されて。


 ちーちゃんのいるべき場所は、大人たちの間にはなかった。


 ちーちゃんは永遠の中学生として、心の飢餓を主張するかのような歌声を、大気を貫く叫びのようなエレキギターを、燃え滾る命が灰燼に帰して崩れ落ちてしまうまで、永遠に轟かせ続けていくのだろう。

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