兄さん、仕事してください

羅船未草

1話目

 

 私には双子の兄さんがいます。王都魔法大学を卒業して以来仕事についたことのない兄さんです。

 ある時は近くにある街に彼の学友と遊びに行ってたり、ある時は森の方へ行ってたり、そしてまたある時は家の庭で魔力操作をしながら遊んでいます。


 そんな兄さんを私は、三年前突如現れた魔王を倒すため、勇者というものをしながら面倒を見ています。

 兄さんが普段何をしているかは、私自身把握していません。する時間も確保できないため後回しにしていますが、まともに仕事はしていないと言うのは断言できますね。



 これから遠方にある霧に包まれた魔王城へと仲間と共に最後の戦いを挑みにいく予定です。もしかしたら街に魔族との間者がいるかもしれませんので出来るだけ他の人に目撃情報を出さないようにするため、出発は夜になりました。


 死ぬかもしれない危険な旅になるので、休息がてら、ここ1ヶ月ほどゆっくりしていました。

 その毎日も殆どが兄さんと過ごしている為、近所からは「専業主婦みたい」と言われることになったのはご愛嬌です。


 暖かい日差しで目を覚まして、背伸びをします。

 そして1階に降りて庭の花を見ながらぐうたらしている兄さんを見てため息が出ました。


「兄さん、そろそろ仕事を見つけてください、いつまでも養ってあげれる訳じゃないんですよ?」


「いやだ。なんで僕がそんな非効率なことをしなくちゃならないんだよ。

 勇者の妹さまが僕の十分代わりに仕事してくれてるし?働かなくていいと思うんだ、うん」


「...ほんとに兄さんは....だから各地から色々と小言を言われるんですよ。私が穏便に済ませあげているようにしていますが。...はあ、そんなに働くのが嫌ならせめて洗濯物を仕舞うくらいは代わりにしてください、勇者な妹を助けるのが家族の役目だと言うものですよ」


「怠惰なだけって言いたいんだけどな、...仕方ないな、ああ...面倒臭い。これが終わったら街に行ってくるよ、いつもの用事で」


「...わかりました、でも早めに帰ってきてくださいね。今日は兄さんの大好きなクリームシチューにする予定なので、もし遅かったら先に全部食べてしまいますよ」


「まじで!?やった。速攻終わらせてくるから待ってろよ!」


「はい。でも適当に済ましてしまったなら、晩御飯は兄さんの嫌いなおかずであるきのこをたんまりと入れるので、せいぜい綺麗にしてくださいね」


「うっ、妹よ、それは少し話が違うような気がするなーって...」


「それを言うならまずは仕事をしてから言ってください、そうしてくれたらもう少し態度を改めると思います」


「はい、すみません誠心誠意働かせていただきます...」


「よろしい!」


 私がニコッとした表情で言うと、兄さんがしょんぼりした姿で2階に上がりドタバタと濯物を入れる音が響き渡ります。


 ご褒美として兄さんが大好きな晩御飯のクリームシチューにすると提案すると、いつもの面倒くさがりが嘘のように動きが活発になります。この時にするべきことを言ってしまえば、あとは兄さんが進んで仕事をしてくれるので、この法則を見つけてからは、ばれない程度に好きな献立をたてて、働かせています。結構扱いやすくて結構おもしろんですよ。


「よし、終わったぞ!では行ってくる!」


 階段を降りてきた兄さんが手拭いで手を拭きながら降りてきました。

 服装を外にでかけるための白シャツに着替え、腰には外に行く用のポーチをつけています。


「行ってらっしゃい。ああそれと、夜から私は魔王城に行ってきます。最後のお別れになるかもしれないので今夜は祝ってくださいね」


「そうだったっけ。そっか、これでその責務も終わりか...自分が言うのもなんだけど、お疲れ。そして頑張れよ」


 兄さんがニコッと薄く笑った後頭を撫でてくれました。あったかいです。


「はい。私の代わりに今回は兄さんが行ってくれても良いんですよ?」


 自分の右手を握りながら自分の胸に置きます。

 それを兄さんは少し困ったような表情を見せながら、耳元をかきました。


「......遠慮しとく。じゃ行ってくるから」


「わかりました、楽しんできてくださいね」


「...おう」


 そして兄さんが手を振りながら玄関を出て行って、玄関の門を潜ると今の季節咲いている梅の木で兄さんの姿が見えなくなりました。

 それを見てドアを閉めた後、口からともなくため息が出ます。


 もうちょっと、話してくれててもいいのに...


「もうちょっと、話してくれててもいいのに...」


 つい心の中で思ったことが出てしまいました。

 兄さんの手はいつ握っても暖かくて、心配になった時や心が苦しくなったときにこれ以上なく落ち着くことができるのです。最近は自分の仕事の都合であまり触れ合う時間が短くなったので少し寂しいですね。



 兄さんが働かなくなったのは、自分たちが安心して住める今の家を建ててすぐ、国の聖職者さん達が押し寄せてきて事情を説明した後、教会にて洗礼の儀を受けて私が勇者になってからです。


 両親は私たちが8歳だった時に、冒険者として依頼を受け、その場所に馬車で向かう途中に、その一帯を縄張りにして活動している大きな盗賊団に襲われて、死んでしまいました。


「あの二人は本当に俺たち仲間に優しかった、そして俺たちの命を助けてくれた恩人でもあったんだ。そんな人たちを犠牲に俺たちが生き残ってしまって申し訳ない」


 と、前々から両親たちと定期的に一緒に仕事をしていた顔見知りの冒険者たちが言いました。両親の仇は取ってくれたらしいですが心はまだ晴れません。


 その中にそんな私たちを養ってくれると言ってくれた、心優しい方がいたのですが、その人も間もなく死んでしまい、それのせいか「死神」や「悪霊」などと謂れのない悪口を言われ、その結果すぐに私たちは路頭に迷ってしまいました。


 面倒くさがりだった兄さんは、自分たちの暮らしを守るためそれからは身を粉にして働いてくれていました。


 そのとき私は泣いてばかりいたので、何かとあればすぐ泣いて、周りの人を困らせたりしたものです。それを兄さんが必死になって支えてくれたのです。


 ある時は、風邪を引いた私のために、真夏の日差しが強い日に近くの森に出る魔物を倒してそのお金で薬を買ってくれたり

 ある時は、真冬の寒い日に凍えながらも、冬を越すため体が暖かくなるよう暖房がついた風よけの小屋を建てて毛布を編んでくれたりと、身の回りのことを全てやってくれました。


 すごく感謝していて、今でもそのことをありがたく思っています。



 そんな兄さんは周りの住人には昔は働き者だったことを、当時私たちに関わっていた人たちにはよく知られているのですが、たまに、心ない人から兄さんに対して「勇者の懐でぬくぬくと育っている人間の屑」などの悪口を言われることもあります。


 現在仕事をしていないのは事実なのですが、大好きな人が悪く言われているのは理由がどうであれ不機嫌になってしまい、少しムカッとしてしまうこともしばしば。

 だから少し機嫌が悪い時には見せしめにあってもらうこともあります。その結果、私に陰口と言う名の叱責を食らうことになって貰いました。後悔はしていません。

 その後も私たちの事情を知っている人たちから影で凄いことをされているそうですが、まあ自業自得でしょう。


 兄さんの温もりをもう一度思い出し、名残惜しさを紛らわせます。


「さて、明日の準備でもしにいきますか」


 そうして私は、自分の部屋に立てかけている剣を磨くため、研磨石を街に買い出しに行きました。




「ただいま」


「お帰りなさい、楽しかった?」


「まあまあだった。そうそう、明日から魔王を倒しにいくんだろ?道中の安全を願ってプレゼントを用意したから、楽しみにしとけよ」


「やった!」


 久しぶりのプレゼントに舞い上がって、兄さんの胸の中に飛び込みました。久しぶりの兄さんの匂いに体から力が抜けていくのがわかります。


「こら、年頃の娘がそんなことしない。今年で十五歳になったろ?」


 そう亡くなったお父さんのようなことを言って私を離します。


「むぅ、良いじゃないですか。愛しい妹との最後の日になるかもしれないんですよ?そんな時くらい甘えさせてください、ほら」


 手を大きく広げて急かすように腕を上下すると、兄さんは困った顔をしながら大きなため息をつきました。どこか心配顔です。


「分かったよ。相変わらず甘え癖は治らないな、大人になってからが心配だよ俺は」


「大丈夫です、兄さんもまだ大人ではないじゃないですか」


「うーん...そうだけどさ。まあいいか、ご飯食べようぜ」


「露骨に話を逸らされたような気がしますが...まあいいです」



 魔石コンロの力を弱めて、煮え立っているクリームシチューを木の器に移して食卓へ並べます。

 そこには私が用意していない、大好きなご飯がずらりと既に並べられていました。


「明日から魔王城へ行くんだろ?俺にできる事って少ないからさ、ご飯でもって思ってなお前が好きなものいっぱい買ってきたぜ。それと別で、俺からの贈り物だ」


 そう言って兄さんは机状に出していたポーチから紅宝玉をベースに作られた、魔法具を取り出しました。


「いつの間にこんなものを?」


 私が困惑顔で言うと、兄さんは少し恥ずかしそうにします。


「ここの間ほぼ毎日遊びに行ってたろ?実はあれ嘘でさ、本当は、学生の時のツテを使って魔宝具工房でそれを作ってたんだよ。効果は対象が死亡するのを一度だけ防ぐって代物。効き目は魔宝具ギルド長の折り紙付きだから、安心して使ってくれていいぞ」


「ありがとう...ございます...」


 嬉しさがこみ上げてきて涙が溢れ出てきました。それを兄さんが優しい笑みを浮かべて頭を撫でて落ち着かせてくれます。やっぱり兄さんの手は暖かいな...


「落ち着いた?」


「はい、これでなんとか頑張れそうです」


「なら良かった、じゃあ覚めないうちに食べようぜさっきから涎が溢れてきて仕方ないんだよ」


「もう、食い意地張りすぎですよ」


 流れる涙を拭ってから席に着き、いただきますと言いました。


 で、兄さんが美味しそうに食べ始めます。猫舌の私はそれを微笑ましい笑顔で見ていました。


 そして満足そうに食べ終わると食器を持って台所に持っていきました。私が食べ終わると、いつもと違って兄さんが洗ってくれます。


 その少しの優しさが心に染みて、すごく嬉しかったです。


 お風呂やそのほかの準備などの支度を終えて、街の関所へ行き、その後、兄さんと学園時代の友達たちに見送られ故郷を背にしました。兄さんのプレゼントなどを胸に抱えながら寂しさを紛らわせるように。私、泣いていなかったでしょうかね...





 魔王城への道中は苦難の連続でした。まず食料や備品などの補給を、行く先々の街や村で行わなければなりません。


 故郷は、人間たちがいる街に比較的近いところに位置するため、回復用のポーションや毒消し草など、必要なものがその街などで手に入るのですが、魔王討伐の中盤くらいから魔王の治める領域に入った為、その補給もままならなくなっていきました。


 しかしそこは、兄さんに教えてもらった、道端にある薬草などを上手く使う方法で即席のポーションを使って進んでいき、ついに魔王城前まで辿りつくことができました。


 魔王領に入った頃から魔王城に近づくにつれて大きくなる瘴気を防ぐ布を、再度口周りに巻き付け、禍々しい紋様に象られた門を開き、途方もない広さの王の間の奥にいた魔王を見つけ、睨め付けます。


「よく来た勇者よ...ここに来たということは儂を倒しに来たと。そういう事だな?」


「えぇ、貴方のせいで何の罪もない方々が魔族に襲われ、嬲り殺され、住居を追われ、挙げ句の果てには人間を辞めさせられた人もいます。その人達の怨みうらみ、ここで晴らしていただきます」


 ここに辿り着くまでに見た悲惨な景色を思い出しながら、怨みを込めた視線を向け、腰から白色に輝く長旅を共にした愛剣を抜きます。


「いざ尋常に勝負!」


 その場で加速魔法を発動し、同時に駆け出すと共に証明魔法をわざと暴発させ、目眩しとして閃光を発生させます。



「はあ!」


 その隙に魔王の懐に入り込んで至近距離から上に剣を突き上げ、硬い鱗に包まれているその体を貫いて中の肉を斬りつけます。


「グヌッ!ゥゥゥヌオオオ!」


「...ッ」


 苦しげな表情をして苦悶の声を上げましたが、すぐ突き刺した剣の身を掴んで私と一緒に吹き飛ばします。


「...ふふふ、この鱗は並大抵の攻撃は弾くが、よもや初手で儂の肉に傷を付けるとは...流石勇者。あっぱれと言っておこうじゃないか」


 そう言って魔王は片手で傷をした部分を押さえると、その部分の再生が始まってみるみるうちに治っていきます。


「やはりそう簡単には行きませんよね、分かっていましたけど」


「そうだぞ勇者よ、これくらいで傷を負っていれば魔王なんぞ勤められん!」


 はぁ...と、自分の口からため息が漏れました。こうなるのは旅を続けているうちに分かってはいたのですが、その現象を目の前にすると心に来るものがありますね。



 その後も幾度となく魔王と斬り合い、魔法を双方からぶつけ合い、言葉の応酬を繰り広げました。

 そうやって何時間も戦っていると、鍛えられた心と身体とはいえ徐々にすり減っていくものです。


 そして現状は最悪です。

 防具は深く傷付いて使い物にならなくなり、ポーションやその他の装備品は使い果たしました。残っているのは僅かながらの体力と目の前の怨敵を殺す執念だけです。


 魔王側も、魔力は枯渇し、そこらじゅうに私が傷つけた怪我の跡が見えますが、この魔王城は相手側のフィールドです。体に馴染んでいる空気にいる人と、毎秒ごとに蝕む瘴気に身を包まれている人とでは、実力が同じだった時に優劣がつくのはその環境です。実際、自分の体はあまり動かなくなっていました。


「そろそろ瘴気が身体中に巡って来たろう?例え勇者としても、これには勝てなかった様だな」


 剣の柄を握る手に力が入らなくなり、足も少し震え始めました。...けど諦めません!


「...ほほう、まだ諦めぬか」


「当たり前です...これでも私は魔王討伐を任された身。ここで諦めたらこの世界がダメになってしまいます!」


「成程、そこまでしてお主は人間を守りたいわけだ」


「そこまでって...あなた達魔族にはわからないでしょうね、自分たちの仲間を守ってあげたいと言う気持ちが!」


「...解らぬ、解らぬよ。お主らの考え方はどうとであれ理解できん。自分を捨て置いて他人を庇うなどと。だが、そこまで本気で思うことができるというのは、理解できんことであろうとも賞賛には値する......よし決めたぞ」


「何ですか」


 少し考える素振りをしてやはり相入れることはできないと思いながら、魔王の言葉に耳を傾ける。


「お主よ、儂の妃になる気は無いか?さすれば、世界を支配した後人類どもは生かしておくと約束しよう」


「は?何を言っているのですか」


「いやなに、聞こえなかったか?お主を妃に迎え入れ、その代わりに人間どもは殺さずに生かしておいてやろうと言っているのだ」


 その言葉を聞いて自分のどこかがプチンと、切れる音がしました。


「私があなたの妃になる位ならば、すぐにでもこの舌を噛みちぎって自害してやります!どんな事があったとしても結ばれるなどと思わないことですね!」


「ならば致し方なし、死ね」


 自分の言葉とともに魔王の体がドクッと躍動し、身体の形が見るも耐えない異形へと変化していき、黒色の瘴気に塗れた黒色の腕が大量に生えてくると、私の体に巻き付いて身動きが取られないように固定されてしまいました。


「は、はなせ!」


 腕に精一杯力を込めて振り解こうとしますが、一向に解けず、更にはもっとたくさんの腕が出現し遂には首元まで覆われて締められるような苦しみに息が出来なくなっていきます。


「ぐ...かはっ......ぁ...」


 そうして抵抗していくうちに息か続かなくなり意織が遠くなって行くのを感じ、無くなる前に記憶が頭の中を駆け巡りました。


 それは家族との思い出です。森で家族と離れた私を、兄さんが泥だらけになって探してくれて、後怪我をして歩けないのに必死に連れて送ってくれた事。

 お母さんとお父さんにぎゅっと抱きしめてもらっている記憶。そして両親が亡くなった後も必死に守ってくれた、優しくて勇敢で、どこまでも頼りになっていた時の兄さんの記憶が次々と流れて来ました。


 あぁ、これが走馬灯って言うんですね、出来れば見たくなかったなぁ。


 そう心で言ってみますが、徐々に死ぬと言うのを体感してきて涙がこぼれます。


 少しずつ身体から意識が離れていくのを感じながら、そっと意識を手放しました。



 ーーーーーーーーーーーーー


「さて、今代もどうにか倒すことが出来たな」


 動かなくなった勇者の体を見ながら、瘴気の手を引っ込める。そして魔族としての姿に戻り、玉座に座った。


「これで儂の障害となるものはいなくなった。さて、人間供に最後の侵攻を再開するとしよう。丁度、召喚の儀に必要な供物がこの場にあるのだからな」


 空気中にある瘴気に含まれる、邪悪な魔力を使って体を修復した後、その余りを使って配下召喚を行う為の召喚陣を描き、そこに勇者の亡骸を置く。


「..... 來きたし方の悪魔の軍勢よ、今こそこの地に這い上がりかの世界に再度の混沌をもたらせん」


 召喚陣の前で手を合わせ、召喚の呪文を唱える。


 すると、勇者の体が空中に浮き、どこからとなく黒と赤の混じったような禍々しい紋様の線が地面から這い出てきて勇者の体を取り込もうとするが、そこで勇者の腰につけてある何かが、それに対抗するように青白い光が紋様を包み込み、何かが出てくる。


 それは、小さな王冠を斜めに被り、どこまでも深い色の蒼の眼と髪を持った、知的な雰囲気を纏わせる、幼さと美しさを神がかった割合で配合した女性の見た目をした悪魔だった。


 ふと傍目に勇者と魔王を見ると納得したのか、少し笑った後その小さな身体に入っていく。


「いったいなにが起こっているのだ...!儂は地獄の悪魔を召喚したはずだぞ!」


 その言葉に勇者の体がピクッと震え起き上がる。


 よく見てみると勇者の目の色彩が変わっており、片方の目が悪魔の目と同じ青色になりもう一つは元の色のオッドアイになっていた。


「.......」


「名乗ってもらおうか...」


 自分が召喚したものが本当に悪魔なのかそれとも違うのか、格上の存在を呼び出してしまったことを考慮に入れつつ魔王が問う。


「.......」


「どうした、早く名乗れ。それともお前には名がない...グア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!」


 問い詰めるように悪魔に問うと、この場を確保せんとするほどの殺気と洗礼された魔力が覆い、身を焼いたかと錯覚するほどの痛みが身体を襲った。


「ふぅ、寝ているところを起こしてその態度。今代の召喚者は礼儀というものを知らないのかしら?」


「グあぁぁッ!なぜッ!召喚者の命令は絶対の筈だ!」


「五月蝿い、黙れ」


「うっ...!!ッ!」


 勇者の体を操る悪魔が、手を翳した右手に出した水を使って作った、くねくねと婉曲した片手剣の先を向けるだけで次は身体中の皮膚を食い破られたかのような痛みに襲われ悶絶する魔王。


「...ほぼ裸というのも少し恥ずかしいわね」


 そしてその悪魔は、自分の姿を見て少し考えた後、白を基調とする甲冑を作成し、身に纏い、うずくまる魔王の首を絞める。


「誰が私を召喚しただって?たしかに儀を行なったのは貴方だわ、でも、その供物となったものの契約先は?この体の子よ」


「何を...言っている?」


「あら、こんなことも知らないの。まあいいわ、今日はまだ機嫌がいいから答えてあげる。悪魔が現世に現れる時は、その贄となったものに込められているものに反応するのよ。誰かが召喚者には絶対に従うというふうに勘違いしたそうだけど」


「ならば...何故、儂の言うことを聞かないのだっ!思いというならば、儂のものもあるはずだろう!」


「うーん、しつこいから消してしまいたいけれど、強いて言うなら、濃度と純枠さが足りないわね。それに、この宝珠も私は気に入ったし」


 そうして、その悪魔は腰から紅宝玉をベースにした魔法具を取り出し、眺める。


「これにはいろんな思いが入っている。言葉には言い尽くせないくらい綺麗な思い...。強く、これからこの子には帰ってきて欲しいと言うのが伝わってくるわ。おそらく、貴方には多分一生縁のないものね」


「ならば、ここで死ね!跡形も無くさずに!」


「あらあら、望むところ...と言いたいけれど、後はこの子に任せるわ。貴方程度だったら私の少しの援護で倒せるでしょうし、召喚のせいで危害は直接的には与えられないのよね」


 魔王が瘴気を纏う片手剣を手に出し、とてつもなく速いスピードでその悪魔へ向かうが、指を曲げるだけでその勢いを反転させられて、壁の向こうへと吹っ飛ぶ。


「ほんとに馬鹿なのかしら、危害は与えれないけれど反撃はしないとは言ってないのに。まあいいわ」


 そして悪魔が床一帯を占めるほどの三重で描く術を展開させる。


「迷いし魂のいく末よ、遙か答えなき旅路にひとときの安らぎを...リザレクション」


 そしてその一つ一つが回転し、神性を持つような鐘の音が辺りに響きわたると


 悪魔と少女とで意識が切り替わった。



 ーーーーーーーーーーーーーーーー



 暗い混濁した世界から浮き上がっていく。それにつれて自分というのを思い出し現実と混ざり合っていく。


「ああ、ここは魔王城?」


 そうして目を覚まし、記憶と一致する場所の風景が入ってくると同時に使命を思い出した。


『魔王を倒す、そして兄さんのいる家へ帰る』


「その思いしかと受け取ったわよ」


「えっ?」


 頭に響く聞いた事のない声にもれなく自分の声が漏れてしまいます。


「あっそっか、声しか伝わらないもんね。詳しいことは後で話すわ、今は目の前のあいつに集中しなさい」


 その言葉に意識を強制的に研ぎ澄まされていく。


 目の前には、姿形を変え四対八枚の翼を羽ばたかせ、自分を殺そうとする縦に割れた獰猛な目で見つめる竜がいました。

 しかしそれが本能的に、自分の怨敵である魔王だと一瞬で理解します。


 手に持っている婉曲した剣が何故かずっと自分の側にあったかのようにしっくり馴染みました。


 なぜかこの剣...暖かい。


 そして一呼吸置いた後、竜の元に走り出しました。


 それを見た竜が、耳が割れるほどの音量で鳴いた後、無数の魔法陣から黒い球を射出してきました。

 地面にそれがつくと爆発を起こし、その後にはヘドロになったものが残っています。


 もし少しでも私が触れれば、一瞬ももたないでしょう。


 それを進む先の避けられないものだけ剣で受け流して、その勢いを使って加速した後、腹部に斬撃を加えます。


 それだけで私を倒せないことがわかったのか、魔王は空を飛び始め、空中からそれを撃ちおろすのと同時に、街一つが余裕で吹っ飛ぶくらいの威力を持つ咆哮を向けてきます。


 それを見て私は少し苛立ってきました。焦りもあるのでしょう。


「ほんとしつこい。ねえ貴女はここからどうしたい?」



 また頭から声がしました。


「そうですね、あの咆哮をどうにかした後に魔王を空から落として地を這わせてやりたいです。その後に殺します」


「ふふっ私好みのやり方ね、分かったわ。手伝ってあげるから少しは頑張りなさいよ?」


 言葉がしなくなると、体が軽くなっていくような気がして少し身体を動かすだけで飛べそうなほど、元気が湧いてきます。


 目を向ける暇もなく、目の前に咆哮が迫っていました。剣に力の入る限り入れてそれを打ち返します。


 圧力が凄く、それを打ち返す踏ん張りだけであたりの壁や床がひび割れて陥没します。


 咆哮を最後まで耐え切ると、魔王は傷一つも入っていない私のことを驚いた目で見て、機嫌が悪そうにもう一度鳴きました。


 それで先ほどの咆哮でヒビが入った、魔王城は耐えきれなくなったのか崩れ落ちていって大きな岩石として降り注ぎます。


 こうなることがわかっていたのか、魔王は大きな翼でそれを一つ一つ避けていきます。

 それに続いて、私も足場として使えそうな瓦礫を瞬時に見極めて、瞬足で上空へ駆けていきます。


 そのままの勢いで魔王の元へ飛んでいき、視界を塞ぐほどの翼を一閃で八つ切り落とし、落下している抵抗できなくなった魔王を、落下の勢いを使って残った力を振り絞って出した光が剣先へと集まって、そのまま魔王を串刺しにして、絶命させました。


 その一連は星が地面から降って破裂し、空の王者を堕落させる天使のようだったらしいです。


 地面に着いた私たちがだした砂埃が晴れ、串刺しにした魔王の体が人型に戻っていくと、黒い血を流しながら胸に刺さっている剣を掴み苦しそうに話し始めました。



「...何も言うことはないぞ、お前が勝ったのだ。一度死んだとはいえまた生き返ってこの息の根を止めるとは」


「こちらこそ話すことはありませんよ、私は運が良かったんです。これも一種の定めだったんでしょうね」


「はっ、よく言ってくれる。儂を殺しに来て」


「これ以上はありません。疾く逝ってください...来世ではまともに生きてくださいね」


「よく言ってくれるわ。またな勇者の子よ、次は勝つ」


 その言葉とともに体を消滅させ、光となって空へと帰っていきました。


 剣についた黒い血も、魔王が消えるに従って共に消えていきました。そして魔王城上空にあった瘴気の雲も晴れていき、暖かい陽気が光となって降り注ぎはじめました。


「さて、これで終わりですね。帰りましょうか。魔王討伐という使命を終え、世界中の魔物の暴走も時期に落ち着き始めるでしょうし」


 剣を腰に仕舞い、虚脱感溢れる体を伸ばしてこれからの事に気持ちを馳せます。


 それにしても、この頭の声は何なのでしょう。意識が戻ってからずっと聞こえるのですが...


「なにって酷いわね、私のお陰で生き返ったと言うのに」


「あなたのおかげだったのですか、ありがとうございます」


「そうそう、ちゃんと感謝しなさいよ?私ってすごいんだから!」


「そんな感じには到底見えませんが...あなたは誰なんです?」


「そうね。身分だけ言うと、地獄にいる72柱のトップとだけ言っておくわ、名前は自分で調べなさい」


「名前を言ってくださいよ、そこが一番大事でしょうに...」


 その言葉には反応してくれませんでした、これ以降も反応が無かったので寝てしまったのでしょうか。


 それから私はこれまで通ってきたきた道を通って、故郷に帰って行くことにしました。




 人間たちが住んでいる境界に入ってからも同じ道を通ってきたので、勿論、道中に自分の身分は露見して、英雄と持て囃されながら帰ることとなったのですがね。


 討伐と共に教会の人たちが姿絵でも配布し始めたのでしょうか。街を練り歩く道楽団のような賑わいが起こります。それのせいか、途中からは騎士団の人たちが出っ張ってきて、私の邪魔にならないように警備をしてくれました。


 そして帰ること半年。ようやく故郷に着きました。


 出る時に通った関所は木でできた門が取っ払われていました。魔物の脅威に恐れることがなくなった証拠でしょう、自分が頑張った結果こんなことができるようになったと考えると感慨深いです。


 すると、関所から一人の男の人が、汚れた仕事着をそのままに全力に向かって来ました。


 年月が経ってもわかります。あのやる気のなさそうで、優しげな顔は兄さんです。


「兄さん!」


 馬車から飛び降りて兄さんの元へ駆けて行き、少し大きくなった胸に飛び込みます。


「...やったよ兄さん。私...まおう、倒したよ...」


 背中に手を回して力強く抱きしめます。すると兄さんも私に応えるように腕を回してくれました。


「うん、知ってる、街に来てた魔物の軍勢がいきなり動きを止めて消え去ったから...よくやった。さすが、自慢の妹だよ」


「うん...うん!」


 仕事で描いた汗が染み付いた匂いが臭いですが、それがまた安心します。背中に回してくれた腕が暖かい......


「それで兄さん、仕事は今何してるんです?」


「うん?今は魔宝具ギルドの直下工房で魔法具の制作管理者をやってるよ。お前に渡したあの宝珠が気に入られてさ、特殊魔法具の制作の一人になったんだけど、そっから勉強して今の地位に落ち着いた」


「そうですか、ずっと引きこもっててなくて良かったです。私がどっかに行っても家事が大丈夫か心配だったんです」


兄さんが私の溢れる涙を、ポケットから取り出した綺麗なハンカチで拭き取ってくれました。


「散々やらされてたから大丈夫だったよ。でも久しぶりにクリームシチューが食べたいかな。自分も手伝うからさ」


「分かりました。帰ってきた日くらいゆっくりしたいですけどね、兄さんの願いですしご褒美に聞いてあげます。でも、わたしにもご褒美くださいね?」


「わかったわかった。...お帰り、ミナ」


「ただいま、ラス兄さん!」

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