7-3「名探偵」
二十分ほどで新聞記事の複写を済ませて郷土資料コーナーに向かうと、閲覧席で何かの冊子をめくっている沢本の姿を見つけた。
「お待たせ」
小声でそう言うと、沢本は小さくうなずいて冊子を閉じる。いつかの勉強会でも読んでいた『剣名川用水史』だ。デスクの上には、他に『県政百年』『藤見原の農業』といった冊子も置いてある。それだけ見ると歴女かな? と思ってしまうチョイスだが、おそらく郷土史に興味があるわけではないのだろう。
「とりあえず出よっか」
「そうだな」
お昼はショッピングモール内にある喫茶店で食べることにした。『マープルおばさん』という英国カントリー風の店で、多くの高校生女子の間でスコーンと紅茶が美味しいという評価が定着している。
「豚バラの生姜焼き定食ひとつ、お願いします」「あたしもそれで」
「時間かかっちゃうけど良い?」
「「大丈夫です」」
一部食欲優先の女子高生の間では、定食メニューの
「お店の名前にかこつけって、ってわけじゃないけど」
沢本はお冷やをごくごくと飲み干した後で、丸テーブルに肘をついて言った。
「ご飯の前にちょっと考えてみない? ハンマーキラー事件のこと」
「まだろくに新聞記事を読んでもいないのにか?」
「だから。今から読むのよ」
幸い二人席にしてはテーブルが広い。わたしは早速手提げから新聞記事の複写を取り出して、並べることにする。
第一の被害者――書店員の
第二の被害者――コンビニエンスストア勤務の
第三の被害者――
第四の被害者――保険外交員の
そして、第五の被害者――沢本雪乃が殺されたのは十一月九日。コンビニエンスストアに夜食の買い出しに行く途上でのことだった。これは新聞ではなく沢本からの情報だが、その日は仕事が休みだったそうだ。死亡推定時刻は午前一時前後で、全身に激しい打撃痕が残っていたという。
「……他の人たちの家族も大変だったんでしょうね」
ひとしきり新聞記事を読んだ後で、沢本がぽつりと言ったので、わたしは心の中でだけ「だろうな」と相づちを打った。
マスコミは雪乃さんのプライバシーを暴き立てることにとりわけ熱心だったが、他の被害者になら遠慮があったかと言えば無論そうではない。
彼らは
「事件現場がどの辺りかはわかる? 記事に書いてある地名だけだとイメージが湧かなくって」
中学時代に藤見原に引っ越してきた沢本は、藤見原市の地理にそう明るくないようだ。わたしは「任せろ」と応じてノートに略地図を描くと、事件現場として想定されるエリアを枠線で囲んだ。
「うーん、市の南側に集中していると言えなくもないけど」
「北側は山ばっかりであまり人が住んでいないからなぁ」
山間部から通学している同級生が聞いたら怒りそうではあるが、厳然たる事実だ。
「そうね。この線からハンマーキラーを追いかけるのは難しそう」
「やっぱり新聞記事だけじゃなんともならんか」
折角時間をかけて資料をコピーしたのに、何の意味もなかったということになると、さすがに気持ちがしょげてしまう。
「違う違う。あたしが言いたかったのは地図から犯人を絞り込んでいくのは難しいだろうってこと。新聞記事を読んだだけでもわかることは色々あるわよ」
「色々あるのか?」
思わず顔を上げると、沢本は自信に溢れた笑みを浮かべてこくりとうなずいた。
「例えばそうね。ハンマーキラーが段々と犯行に慣れていったこととか」
「と言うと?」
「第一の事件の時は、被害者の全身を滅多打ちにして殺しているのに、第二の事件では頭部と太ももに集中しいてるでしょ? 多分これは、太ももを殴って動きを止めてからとどめを刺したってことなんだと思う。第三、第四の事件ではさらに洗練されていて、頭だけを殴って殺している」
「ああ、なるほど。確かにそれはそうだな」
唯一の例外は第五の事件だが、これはハンマーキラーがわたしへの不意打ちに失敗した上、わたしを庇って立ち塞がった雪乃さんに激しく抵抗されたためだと考えれば筋が通る。実際、雪乃さんがいなければわたしの頭は第三、第四の事件の被害者同様にあっさり割られていたことだろう。
「ハンマーキラーが罪を重ねるごとに殺しの腕を上げていったとするなら、一つ確実に言えることがあるわ。それは、ハンマーキラーが単独犯だということ。交換殺人だとか便乗殺人だとかそういった、複数人による犯行の可能性はまるっと無視して良いということになるのよ。どう? これだけでも、あたしたちにとっては大きな進展じゃない?」
わたしは返事をする代わりに感嘆の溜め息を漏らした。全く大した推理力だ。
「記事からわかることはまだあるわよ。あたしが注目したのは事件が起きる間隔が段々短くなっているってこと」
「それはわたしも思った。第一の事件から第二の事件までは一ヶ月近く間が空いてるのに、第三の事件から第四の事件までは約二週間になってる」
「第四の事件から第五の事件まではたったの十日よ。こういうのは快楽目的の連続殺人事件の典型的特徴だと言われているわ。ただ、そうだとすると、一つしっくりこないことがあるの」
「しっくりこない? 何がしっくりこないんだ?」
「一連の殺人事件がお母さんの死を最後に途絶えた理由よ」
「それは……わたしに目撃されたことで、捕まるリスクが跳ね上がったと判断したからじゃないのか?」
わたしが言うと、沢本は小さくかぶりを振った。
「深山はハンマーキラーのことをどんな人物だと考えてる?」
「力の弱い女性だけを狙う卑劣な男」
「男かどうかはわからないじゃない」
「卑劣な男、もしくは女。年齢は十代から四十代、五十代以上の可能性もある」
「ふざけないで」
怒られた。わたしは口を閉ざして、あの夜に出会った死神の記憶を掘り起こす。
「……快楽目的で残忍な犯行を繰り返す異常者。新聞やテレビ報道のイメージじゃあなくて、実際に殺されかけた経験からそう思う。ハンマーキラーは人を殺すことにまったくためらいがなかった」
残念ながらわたしはハンマーキラーのことは顔も体格もろくろく覚えていない。だが、こちらの心の間隙を突くような間合いの詰め方、近づくや否やハンマーを振り上げるあの無駄のない動きは、この心に恐怖と共に刻み込まれている。
「深山の実感を軽んじるつもりはないんだけど」
沢本はお冷やのグラスを見つめて続ける。
「その快楽目的で残忍な犯行を繰り返す異常者が、たった一度の失敗で、自らの殺人衝動をずっと抑え込んでおくことができるものなのか――あたしにはそれがどうしても腑に落ちないのよ」
「あれから三年も経つんだもんな。警戒感が薄れるのを待つというには長すぎる」
あるいは待っている間に殺人衝動が薄れてしまったということもなくはないが――いや、それこそしっくりこない。
「何か考えがあるんだな?」
グラスを見つめる瞳の奥に仮説らしきものがあるのを察して、わたしは尋ねた。
「わかる?」
そう言って、沢本は唇の端を微かに上げた。
「引っ張るなよ」
「じゃあ言うわ。あたしが考えているのは、一連の殺人事件が無軌道なものではなく、計画的な犯行だったという可能性よ」
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