7-6「家畜警護」
土喰いの虐殺は粛々と進んだ。
剣名川の河原に君臨していた彼らはしかし、チェンソーの前には無力だった。次々と切り倒され、一輪車で運び出されていくその姿は、革命で立場を追われた暴君のように惨めで、かつてわたしが感じたおぞましい魔物のような恐ろしさや、厳かに並ぶ彫像のような壮麗さはすっかり失われていた。
「あれ、集めた後はどうするんですかね」
わたしは橋の高欄に頬杖をついたまま、どうでも良さそうに言った。実際どうでも良いことではあった。
「市の焼却場に持って行って焼くんだろ」
秋田川さんの返事も適当だ。
「あんなに水を含んでるのに、上手く燃えますかね」
秋田川さんは、わたしの問いには答えずに「遥を追いかけなくて良いのか?」と尋ねてきた。
「追いかけますよ。でも、先に秋田川さんに確かめないといけないことがあるので」
「何を聞きたいか大体察しはついてるが、まぁ聞こう」
「土喰いのことを市役所に知らせたのはあなたってことで良いんですよね?」
「ああ、そうだ」
案外あっさりと認めた。この間、草むらからこそこそと河原の写真を撮っていたのは、市役所を動かすための下準備だったわけだ。
「何故なんですか?」
わたしはあの時、沢本に相談しなかったことを後悔しながら質問を重ねる。
「愚問だな。あんな危険な植物が私の畜舎の近くで群生しているのを野放しにできるわけがない」
「――だったらどうして沢本に手を貸したんだ!」
怒りがこみ上げるよりも先に叫んだような感じだった。わたしは鼓動が早くなるのを感じながら、親の仇でもみるような目で秋田川さんを睨む。
「前に沢本がやっていることについて『知らないと言ったら嘘になる』と言ってましたよね? あなたのことだ。早い段階で、剣名川の河原で土喰いを育てているというところまで突き止めていたはずだ。それなのに、沢本を止めるどころか労働の対価に堆肥を渡すという形で散々協力しておいて、土喰いが育ったら裏切るなんて……いくら何でもむご過ぎるじゃないですか!」
まくし立ててから、はっと我に返る。わたしたちのやり取りを聞きつけて、野次馬が集まり始めていることに気がついたのだ。
「ここは目立つ。場所を変えよう」
秋田川さんはそういった後で、わたしに顔を近づけて「タツキには本当のことを話しておこうと思う」と言い足した。
それからわたしたちは、剣名川の土手道を川上に向かって歩いた。春には淡紅色の花咲き誇る桜並木はしかし、十月の今、葉の一枚すらない寂しい姿で佇んでいる。わたしは木々の向こうに見え隠れする土喰いの虐殺風景を横目に、秋田川さんが口を開くのを待った。
「……雪乃が亡くなってからもう三年になるんだよな」
ツーリング中らしいロードバイクの一団が走り去っていくと、秋田川さんは桜並木を見上げながら語り始めた。
「事件のすぐ後に遥から電話が掛かってきたときのことはよく覚えている。あの娘は泣きそうな声で何度も『お母さんが死んじゃった』と繰り返していたよ。無理もないことだ。あの娘は雪乃にべったりのママッ子だったからな」
横から見える秋田川さんの瞳はどこか優しげで、どこか寂しげで、それでいてどこか薄暗い情念が宿っているように見えた。
「……葬儀の後、遥は一層塞ぎ込んで、自分の殻に閉じこもってしまったようだった。私はそんなあの娘のことが心配で『たまたま近くを通りがかった』だとか『農家の仲間からもらった野菜のお裾分け』だとかくだらん理由をつけて、よく様子を見に行ったものだ。ま、程なく露骨に避けられるようになってしまったんだがな」
秋田川さんはそう言ってから、かぶりを振って「我ながら正直あれはうざかったと思う」と言い足した。
「そんなだったから、今年の初めに遥の方から私を訪ねて来たときは心底驚いたよ。いや、会いに来たことに驚いたわけじゃない。あの遥がまた昔のように生き生きした顔つきに戻っていたことに驚いたんだ」
思わず場違いな笑みを漏らしてしまう。三年かけて雪乃さんが凍結した計画を実現可能な状態まで仕上げた沢本が、秋田川さんに取り引きを持ちかけるときにどんな顔をしていたのか、目に浮かぶようだった。
「……もちろん私だってバカじゃない。遥が新年の挨拶の後でうちの堆肥を、しかも大量に欲しいと言い出したときには、きっと何かをよからぬことを考えているのだろうと思ったさ。でも、それ以上に久々にあの娘のああいう顔が見られて、私は嬉しかった。再びこの顔を曇らせるようなことはしたくないと、つい思ってしまったんだ」
「秋田川さん……」
いつの間にか、わたしたちは古い桜の木の前で立ち止まっていた。振り返ると、土喰いの畑だった場所が随分と遠くに見える。
「本当はもっと早い段階でやめさせるべきだったんだろうな。でも、結局私は先延ばしできるだけ先延ばしして、このザマだ。土喰いがあそここまで成長してしまったなら、遥が実現しようとしていることが社会に実害をもたらすものであるなら、私は大人の責任としてそれを排除しなくてはならない。たとえあの娘にどれほど恨まれようと、そこは引けない一線だ」
「だからって、こんなやり方がベストだと本心から思ってるんですか?」
わたしの問いに、秋田川さんは一瞬ひどく顔を歪ませたようだった。
「……初めて会ったとき、私が言ったことを覚えているか?」
「沢本が道を踏み外しそうになったらわたしの手で止めて欲しいってやつですか? もちろん覚えてますよ」
「我ながら無責任な言い草だったとは思っているよ。本来それは私がやるべきだったはずだ。なのに私は、遥に向き合うことも、寄り添うこともできず、最悪なやり方しか選ぶことができなかった。……だからこそタツキ、お前に頼みたい。遥の隣にいてやってくれ」
わたしははっとして秋田川さんの方に向き直った。百八十センチ近い巨体が、背中を丸めて、肩を縮めて、老いて痩せこけたバイソンのように弱々しく見えた。
「裏切り者の失敗者が頼むことじゃない。それはわかっているが、今の私が遥のために言えることはこれくらいしかないんだ。だから――頼む」
わたしは口を開く前に、自分の胸の辺りを二、三度撫でて、気持ちを整える。
秋田川さんの弁明に納得したわけではない。秋田川さんの心情にほだされたわけでもない。沢本と向き合おう、あるいは沢本に寄り添おうなどとおこがましい使命感に火が付いたわけでもない。
「言われなくたって、そうします」
わたしにとって、最早それは当然のことだった。
その後、秋田川さんと別れてひとりで負馬橋に戻って来たわたしは、自転車に座ってスマートフォンのメッセンジャーアプリを起動する。
『今どこ』
『うるさい。ほっといて』
亜光速で答えが返ってきた。これは見込みがありそうだ。
『うるさくない。ほっとかない』
わたしはそう返して、既読がついたのを確認すると、待っている間に用意しておいたメッセージを送信する。
『今度はわたしが沢本を見つける番だから。今いる場所で動かないで待っていて。必ず迎えに行く』
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