7-5「完全伐採」

「伐採の現場は、市中央部を流れる剣名川の河原です。この河原では、今年の夏頃から野生のサボテンが多数確認されており、地域住民らは不安を訴えていましたが、数日前、近隣の小学生が誤ってサボテンに手を触れ、全治二日の怪我を負う事件が発生したことを受けて、ついに市は完全伐採に踏み切りました」


「沢本、これって」


 返事はなかった。しかし、血の気が引いて真っ青になったその顔が、何よりも雄弁に彼女の心境を物語っていた。


「藤見原市河川管理課の木場課長は『この街の自然環境と、子どもたちの安全・安心を守るため、速やかにサボテンを駆除したい』と、伐採への意気込みをコメントしました。次のニュースです。兜合峡とあわせきょうの紅葉が見頃を迎えています――」


「行こう! 沢本は荷物をまとめておいて!」


 言うなり伝票を手に取って、キャッシャーに向かい、驚き顔の店長さんに二人分の定食代を支払う。


「――沢本?」


 振り返ると、沢本が虚ろな表情で新聞記事の写しをまとめている。さっきまでのキレッキレな推理が嘘だったかのように鈍重な動きだ。いけない。沢本はあのラジオ放送で完全に打ちのめされてしまっている。


「貸して!」


 わたしは沢本の手から強引に紙の束を奪うと、順番もへったくれもなく鞄に詰め込んだ。


「行くぞ!!」


 そのまま沢本の手を引いてショッピングモールの駐輪場へと直行し、自転車を回収。すぐに剣名川へと向かう。今日はわたしが前だ。いつもの場所に少しでも早く着くように、いつもの沢本の速さに少しでも追いつくように、体中の筋肉を使ってペダルを漕ぎ続ける――。


 負馬橋。まだ止まりきっていない自転車から降りて、走りながらブレーキング。


 既にして河原には二十人近い市役所職員が集まっていて、伐採の準備に取りかかっていた。厚手の作業着に軍手、それにヘルメットまでかぶっている。そして、彼らの脇に広げられたブルーシートの上には、使い込まれたチェーンソーと安全ゴーグルがやはり二十組近く並べられている。


「お休みのところ集まっていただき、誠にありがとうございます。河川保全担当の小塚です」


 わたしと沢本が橋の上で息を整えていると、市職員の一人が拡声器を片手に話し始めた。音量をむやみやたらに大きくしているのだろう。雑音をかなり拾ってしまっている。


「事前に説明したとおり、サボテンの外皮はかなり硬く、すべりやすいです。焦らず、ゆっくりと、確実に伐採してください。くれぐれも怪我のないように気を付けてください。なお、今日の勤務については、原則代休で対応をお願いします」


 若い河川保全担当者が生真面目な口調でそう言うと、周囲から「はいはい」「どうせ取れねーし」などとぼやく声が上がった。


「木場課長、号令をお願いします」


「うむ」


 小塚氏から拡声器を手渡された年配の男性は、集まった職員たちをじろりと見回した後で、厳かに宣言した。


「午後一時二十七分、侵略的外来種、Opuntia Mars 亜種――通称『土喰い』の排除を開始する。一同、かかれ」


 河原の空気が一変したのが、橋の上からでもわかった。集まった職員たちは緊張の面持ちで、土喰いの伐採に向けて一斉に行動を開始した。


 間を置かずドゥルルルルルという激しい作動音が聞こえてくる。チェンソーを抱えた男たちは整然と横隊を成し、サボテンの群生地帯に向かって歩を進めていく。


 バリバリ! バリバリバリ!!


「かなり滑るな!」


「横との距離に気をつけろ!」


「ともかく慌てずにやれ! 休日出勤で公務災害なんて笑い話にもならん!」


 やがて、一本目のサボテンが地響きとともに地面に倒れ、チェンソーで刻まれた無残な切断面を晒した。続いて、二本、三本。


 まずい。このままじゃ――。


「止めないと」


 わたしは震える声でそう言って、沢本の腕を掴んだ。


「全部切り倒される前に、わたしたちが止めないと!」


「そうはいかない」


 誰かが低い声で言った。


 振り返るとそこに、見知った女性が立っていた。


「秋田川さん――」


 牛飼いの女は、わたしたちの行く手を阻む位置に立つと、狼の群れを見つけた牧畜犬のように険しい顔つきでわたしたちを見据えた。


「どいてください」


「ダメだね。ここを通すわけにはいかない」


「秋田川さん!」


「行ってどうする? 言っておくが、特定外来生物を栽培することは違法行為だ。が特定外来生物に指定されているかは知らんが、怪我人も出ていることだしな。お前たちが育てていたことが世間にバレたら、間違いなく大ごとになるぞ」


 秋田川さんの瞳がぎょろりと動く。それで気がついた。秋田川さんがわたしを見ていないことに。


「――聞いてるか、遥? くだらん復讐ごっこでお前だけじゃなくお前の友達の進学まで台無しになるかも知れないんだぞ。もしそうなったらどう責任を取る? 私はお前にそう言っているんだ、遥!」


 秋田川さんの声は、チェンソーの作動音よりも鋭く、わたしたちの鼓膜を震わせた。


「深山、もう良いよ」


 やがて、沢本が足下を見つめて言った。さっきからずっと、沢本は上を向くことをやめていた。


「良くないだろ!」


 思わず叫んでしまう。


「あたしが良いって言ってんの!」


「!」

 

 わたしが絶句すると、沢本はようやく顔を上げた。


 その色素の薄い瞳は諦めの色に染まっていて、その形の良い唇は卑屈に歪んでいた。沢本を構成していた何かが致命的に失われてしまったような、それでいてむしろこれこそが沢本の本質であるかのような、そんな佇まいだった。


「……あたしが良いって言ってんだから、もう、良いのよ」


 沢本は震える声でそう言うと、自分の自転車に跨がって、走り去って行った。

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