6-6「背負いかご」

 あいさつもそこそこに黒田さんと別れた後、わたしは自転車を引きずって、おぼつかない足取りで街をさまよった。


 耳のあたりがジンジンする。呼吸の仕方を忘れてしまったかのように息苦しい。脳裏で繰り返し再生されるのは、黒田さんが何気なく言ったあの台詞。


『遥だって、雪乃があんなことになりさえしなければ、もっと――』


 家に帰りたくない。誰にも会いたくない。犯した罪から目をそらしていたい。


 プワアアアアン!


 激しいクランクションの音で我に返る。


「バカヤロー! 死にてえのか!」


 すぐ脇を走り抜けていったトラックの運転手が、わざわざ窓を開けて怒鳴りつけてきた。それで気が付いた。自分が歩道からはみ出して車道を歩いていたことに。でもって、いつの間にか負馬橋の袂近くまで来ていることにも。


 どこかを目指して歩いていたわけではない。だけど、ひょっとしたら無意識のうちにここを選んでいたのかもしれない。自転車を停め、数時間前にあの愛すべき少女を待っていたのと同じ地点に立って、わたしはゆっくりと河原に目を向けた。


 夜の闇に鈍色の針を潜めて佇むサボテンの群れは、一個のおぞましい魔物のようでもあり、厳かに並ぶ彫像のようでもあった。


 ――あたしはこの街に復讐するの。


 あの河原でそう言った少女のことを、わたしはとても美しいと思った。


 ――あたしは見てみたいの。お母さんの計画で、この街の景色がどんな風に変わるのかを。


 復讐計画の真意を明かしてくれたときもそうだった。


 ――そして、土喰いが人間様の都合なんてお構いなしでそこら中に生えまくったクソみたいな景色を目の当たりにした人々が見せるであろうをね。


「わたしだって、見てみたかったよ」


 崩れ落ちそうになる体を、高欄に寄りかかって何とか支えながら、わたしは喘ぐように呟いた。


 ハンマーキラーに母親を殺された沢本を、好奇心という名の凶器で無自覚に刺し続けた連中。それでいて自分たちは正しい側に立って恥ずべきところがないと信じきっている連中。そんな連中に一泡吹かせてやろうと思っているのは最早、沢本だけではないのだ。


 ――その資格が、お前にあるとでも?


 内からの声に、わたしは黙ってかぶりを振った。わたしには沢本の隣に立つ資格はない。初めからなかったのだ。


 自転車のカゴに突っ込んであったバッグの中で、何かが振動した。黒田さんとハンバーガーショップに入ったときにマナーモードに切り替えたスマートフォンの振動だった。思わず手に取って後悔する。


『メッセージ見たら返事して』


 沢本からのメッセージだ。その前にも何件か来ている。


『おーい』『まだ帰ってないの?』『今どこ?』『帰ったら連絡ちょうだい』


 どう返事をしたら良いものか――今はとても返事をする気になれない。


 ブルン。


『やっと既読になったわね』


 わたしの脳内でイマジナリー沢本の目が据わった。いよいよまずい。


 ブルン、ブルルン。


『返事は良い』『電話する』『絶対出て』


 メッセージ斉射三連の後、スマートフォンがひときわ大きく震え始めた。わたしは目を閉じて意味をなさない言葉を二言三言呟いた後、覚悟を決めて電話に出た。


「もしもし」


「……ああ、やっと繋がった。心配させないでよ。いつもならこっちが頼まなくても帰宅メッセージ送ってくるのに、今日に限っていつまで経ってもこないんだから」


「ごめん」


 語尾にぶしゅっという惨めな音が重なる。鼻水が吹き出たのだ。遅れて、涙がこぼれ落ちる。何だ。全然覚悟決まってないじゃん、わたし。


「え、何? いきなりそんな謝り方されてもリアクションに困るんだけど」


 沢本もわたしが泣き出したのを察したのだろう。いつになくおたおたした様子で、そんなことを言う。


「――それとも、何かあったの?」


 でも、すぐに我に返ってつんけんした声で、わたしのことを気遣ってくれる。今のわたしにはそれが一番辛いということを知るはずもなく。


「ううん。そうじゃない。わたしには沢本に心配される資格なんてないってだけだ」


「はぁ?」


 沢本が一層きつい口調でそう言ったとき、負馬橋の車道をダンプカーが通りがかった。地の底から響いてくるようなエンジン音とともに、橋梁全体が激しく揺れて、わたしは地面に膝をついた。


「深山? 深山?!」


 電話の向こうで、沢本が心配そうな声をあげる。


 もう、限界だった。


。ずっと黙っていて、すまなかった」


 卑怯なわたしは一方的にそう言うと、スマートフォンの電源を落としたのだった。

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