6-4「帰宅の音楽」
そんなこんなで七時近くまで学習センターで勉強して、それから帰宅するというのが近頃のわたしたちの日課だった。
外に出ると、空はすっかり黒いカーテンに覆われてしまっていた。九月も半ばを過ぎ、日が暮れるのがずいぶんと早くなってきているようだ。わたしたちは星あかりをたどって駐輪場へと向かった。
「日中はともかく、夜はもう完全に秋だな」
「夏の大三角はまだ結構いい位置に居座ってるってのにねえ」
言い合いながらスタンドを蹴り上げて、自転車を発進させる。駐輪場を出るなり強い向かい風が吹きの隙間から滑り込んでくる。結構冷える。でも、わたしたちの体は人間火力発電所なのだ。しばらくペダルを漕いでいればぽかぽかに温まってくる。うおォん。
旧市街地を抜けて、剣名川の土手道をしばらく走ったところで、どちらからというわけでもなく自転車を降りた。この辺りから沢本のマンションまでは、大体いつも自転車を押して歩くことにしている。
「別に送ってくれなくても良いのに」
わたしの横を歩きながら、沢本がつまらないことを言った。
「何回同じことを言えば気が済むんだよ。こんな暗い道を一人で帰らせて、沢本に何かあったら困るだろ」
「……それは深山だって同じじゃないの」
「沢本の家からわたしの家まではほとんど街灯がある道ばっかだし、そもそもこんな巨女に魅力を感じるオスなんて」
言いかけて口ごもる。
「いたじゃん」
いましたけど。
「……あいつはちょっと特殊なんだよ」
わたしが苦し紛れの反論を試みると、沢本はたちまち不機嫌になって、シャーっと
「なんだよ」
「わかってないなあ。深山は全然わかってない」
「なんなんだよ」
ハー、とこれでもかというくらい大きなため息が返ってくる。
「深山ってさ、化粧っ気がまったくないけど、それって何かこだわりがあってそうしてるの? いやまぁ、こだわってそうしてるんならごめんなさいなんだけど」
「特にこだわりはないよ。わたしは別に良いかなあって思ってるだけ。化粧してどうにかなる顔でもないしね」
「素材の良い女がそういうこと言うと、本当に蹴り飛ばしたくなるわね!」
そう言ってボールでも蹴るかのように足を振り回す。自転車を押しながらだし、スカートだし、たいへん危なっかしい。
「素材が良いって……沢本が言うと、厭味にしか聞こえないんだが」
ぼくがぼそっと呟くと、沢本は「あたしは努力してるもの!」と言って胸を反らせる。だから危ないって。
「良いこと、深山。特にこだわりがないんだったら、化粧はともかくファンデーションぐらい塗りなさい。寝る前は保湿。でもってちゃんと自分の肌質にあった日焼け止めを選びなさいよ」
「いやその、いきなりそんなこと言われても」
「あー、もう! 深山はもうちょっと自分の素材の良さと向き合うべきなの! 今度、化粧品店に行くから一緒に来なさい。アンタ向きの化粧品を選んであげるから」
「あーまぁ」
そんなこと言われても、はい、わかりましたとは言えないけど、それでも――。
「沢本が教えてくれるんなら」
「よろしい」
わたしが夏休みの間にすっかり日焼けしてしまった理由――別に毎日サボテン観察に付き合うことないじゃないの! ――と、わたしが髪を伸ばし始めた理由――深山って長髪の方が似合うんじゃない? ――の両方を作った少女は、やっとのことで溜飲を下げて、そう言ってくれた。
「バイバイ」
「ああ、うん。また明日な」
マンションの中に消えていく沢本の背中を見つめながら、わたしは小さなため息を漏らした。
沢本はいいやつだ。もうずっと前からわかっていたことだけど、本当にすごくいいやつだ。だからこそ、わたしはわたしにこう問いかけてしまう。
――彼女の傍らに立つ資格が、お前にあると思うのか?
答えるものはいない。でも、答えは明らかだった。
ベランダの背の低い手すり柵の奥で、沢本の部屋の明かりが灯った。わたしは何となくペダルを漕ぎだす気になれず、とぼとぼと自転車を押し歩き始めた。
その時だった。
「ちょっと良いかしら」
背後で誰かの声がした。
振り返ると、うすぼんやりとした街灯の下に痩身の女性が立っている。その真っ白なボブヘアには見覚えがあった。
「前に会ったことがあるわよね。私は――」
沢本との血のつながりを感じさせるどこか取り澄ましたような声。わたしはだから、先回りして「沢本の伯母さんですよね?」と言った。
「覚えていてくれたのね。ありがとう。いえ、あのときは身内同士の見苦しいやり取りを見せてしまって申し訳なかったと言うべきかしら」
沢本の法律的な後見人こと“麻里おばさん”はさして悪びれた様子もなくそう言って、微笑みかけてくる。
「……沢本に会いに来たんですか?」
「三者面談が近いのよ。先に本人と話をしたいと思っているんだけど、全然電話に出てくれなくって」
「でも、約束なしで部屋に行ったらまた喧嘩になってしまうのでは?」
ここまで沢本に嫌われていることには同情するが、強引なやり方で目的を達成しようとするのはどうかと思うってしまう。第一、沢本が納得するはずがない。
「喧嘩だなんて人聞きが悪い。大人には大人の責務というものがあるのよ。でもまぁそうね。今日のところはやめておこうかしら。他にやりたいこともできたし」
「その方が――」
良いと思いますよ、と応じかけたところで、“麻里おばさん”は意外なことを言った。
「貴方、時間はある? 少しあの子のことで話がしたいの。お茶代くらいは出すわ」
「わたしと? どうしてですか?」
「あの子、貴方には随分心を許しているじゃない。あの子が同世代の子と親しくしている姿なんて今まで一度だって見たことなかったし、親類として興味を持つのは当然のことでしょう?」
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