第二部 秋をこえて、冬の訪れ
第六章「生育」
6-1「暦」
九月――気怠い暑さが残る放課後の教室で、わたし、深山樹は、英語構文のテキストを流し読みしつつ、もう片方の手で夏休みの間に伸びた後ろ髪をなでつけていた。
夏休みが明けて、3-A教室にも少しずつ受験ムードが漂い始めている。塾の時間を気にしながら急ぎ足で教室を出て行く生徒。グループで示し合わせて学校の図書室に向かう生徒。それから自席に残って暗くなるまで勉強していく生徒――。
わたしは三つのうちのどれでもなかった。参考書を読んではいるが、それは帰るタイミングを見計らってのことだ。
「じゃーなー、石渡」「おう、また明日ー」
視界の端で順平が仲の良い男子に手を振って教室を出て行くのを確かめる。よし。次の構文を読み終わったら、帰ることにしよう。
『
今更別に怒ってませんけど――タイミング悪く出てきた例文に
わたしと順平の関係がぎこちないものになったことについては、わたしの一人称が変わったことや、夏休みの間にすっかり日に焼けてしまったこと、短く切りそろえるのをやめた髪が肩の辺りまで伸びてきたことなどと合わせて、ちょっとしたゴシップの種になっていたようだ。
『石渡に告白して玉砕した』ぐらいならかわいいもので、『石渡と一年生エースが深山を取り合ったらしい』だとか『野球部の監督と関係を持ったことが発覚して、石渡との関係が悪くなったというのが本当のところらしい』といった大変不名誉な噂も流れたと聞く。
ついでに言えば、噂を聞きつけた順平がおしゃべりな女子のグループにキレ散らかす一幕もあったようだが、正直言ってどうでもよかった。まだ完全に吹っ切れてはいないにせよ、もう終わったことだという結論に変わりはなかったからだ。
「そろそろ行こう」
ひとりごちてから、もう一度英語構文のテキストを見返す。夏休みの間に読み込んだせいだろう。表紙に皺や汚れが目立ってきたような気がする。もう少し丁寧に扱わないとな、と思う反面、使い込んだという実感が誇らしい。
その誇らしい気分に任せてぴょんと跳ねるように立ち上がると、ぼくは廊下へと飛びだした。そして――何か妙に柔らかいものにぶつかった。
八月に十五歳年下の美人国語教師と結婚した3-A担任の大畑教諭のお腹だった。
「サーセン」
そこに新しい命が宿っているわけではなく、単に脂肪が詰まっているだけなので、わたしはぞんざいに謝って、そのまま帰ろうとする。
「あ、深山さん。ちょっと待ってもらえますか?」
帰ろうとしたところを呼び止められてしまった。
「はい、何でしょうか?」
大畑教諭が終礼の後で生徒に声をかけるなんて、めったにないことだ。わたしはちょっとだけ緊張しながら、尋ね返す。
「まだ進路調査票をもらってませんでしたね。今週末が締め切りなので忘れずに出してください」
言われてみればそうだった。
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