2-3「ミートパイ」
十一時を回ったところで、一旦休憩を入れることにした。
例の桜の大樹の下に向かい、二人で協力してビニールシートを敷き、端と端とに腰掛ける。ぎこちない距離間。でも、見ているものは同じだった。
水曜日の到達点から下流に向かって四十メートルとほんの少し。遠目には何の変哲もない河原に見えるが、よくよく目をこらせば沢本が鍬を振るった痕跡を確認することができる。あの畝の一つ一つに
「午前中のうちに
達成感に浸っていたぼくの隣で沢本が不満そうに呟いた。彼女にとってはこの程度のことは成果のうちに入らないらしい。
「……サボテンの種はどれくらい用意してあるんだ?」
「向こう三週間、残りを気にする必要はないくらい」
なるほど。それなら今日一日の成果で達成感に浸る気にならないのも当然だ。
「いつからこういうことを?」
「種まきのこと? 細々とは四月の下旬頃からやってたわ。その辺の空き地にばら撒いたり、公園の花壇にこっそり埋めたりして。でも、河原での種まきは今週の水曜日が最初」
「ん? と言うことは、この間のあれがはじめてだったのか」
「文句ある? 土喰いの種まきの時期は梅雨入り前のこの時期がベストなの。剣名川は復讐計画の大本命だから、なるたけ良い状況でまきたかったのよ」
小さなバイオテロリストは、河原を見つめたまま、透き通るような声で言った。
「……今年の梅雨明けはいつもより早くなるって話だぞ」
「知ってる。だから急がないと」
「今が勝負時ってことか」
ぼくが低い声で言うと、沢本がわが意を得たりとばかりにうなずいた。
「あと一時間のうちにせめて負馬橋の影くらいは踏みたいところね」
さらりと言って、ありもしない胸を張る。やれやれ。なかなか厳しい
「ひとつ提案があるんだが」
ぼくは少し考えて、ダークピンク緑茶(味は普通)をごくりと飲み込んでから、そう切り出した。
「何よ」
「今度はぼくが耕してみるというのはどうだろう」
体格差を考慮すれば、ぼくが耕して、沢本が種をまいた方が効率的だということは明らかなのだ。にも拘わらずバイオテロの首謀者がそうしなかったのは、共謀者への遠慮があったからなのだろう。沢本はきっとそういう気の回し方をするやつだ。
「何で」
そう問われても、馬鹿正直に自分の考えを明かすぼくではない。沢本の迷いのない言動と瞳、背筋その他諸々についてどんなことを思ったのかを伝える気もさらさらない。
ぼくはだから、鏡で見たらたたき割りたくなるようなアルカイックスマイルを浮かべてこう言うのだ。
「ずっと低い姿勢で種をまいていたから膝が痛いんだよ」
「何それ。その割には今だってそうやって隅っこに座ってあぐらかいてるじゃない」
「別にスカートを穿いてるわけじゃあるまいし」
「もっと真ん中に座って膝を伸ばしなさいって言ってるのよ」
沢本はぼくの方便を充分以上に真に受けたらしく、何としても膝を労ろうと(?)ぼくの足を引っ張って無理矢理伸ばそうとし始める。勘弁してくれ。
「こんな小さいビニールシートの上でどうやって膝を伸ばすんだよ」
抵抗を試みつつそう言うと、沢本はかえってムキになり「小さくて悪かったわね!」と怒鳴ってくる始末。
売り言葉に買い言葉。思わず「そんなに怒るなよ!」と言い返した後で、ぼくはついつい余計なことを言い足してしまう。
「別に沢本の体型のことを言ってるんじゃあ――」
ない、と言い終わる前にはっと口ごもった。地雷を踏む音が聞こえた気がした。
ぼくの視線の先で、沢本がゆっくりと立ち上がった。そして、近くに置いてあった鍬を強く固く握りこんだ。
「ミートパイにしてやる、でくのぼう!」
叫ぶなり、彼女は鍬を振り上げた。
ザクゥ!
ぼくは間一髪のところで横転し、容赦のない一撃を回避した。
「悪かった! っていうか危ねえ! 本気で振り回すな!」
叫びながらダークピンクのペットボトルを投げ捨てて走り出す。
「逃げるな! 逃げると殺す!」
「逃げないと死ぬじゃねえか!」
「うっさい! おとなしく殺されろ!」
案外安直なコンプレックスを持ちやがって! お前はレッドリボン軍の総帥か! とはとても声に出しては言えなかった。何しろ沢本が振り回す鍬を躱すのに必死だったので。
地獄のような鬼ごっこは、沢本が息も絶え絶えに「執行……猶予……」と休戦を宣言するまで続いた。その頃には二人とも汗でびっしょりになっていた。
木陰で汗を拭き、水分を補給し、息を整えてからようやく作業再開。まったく、長い休憩時間になってしまったものだ。少しも休めてはいないけどな。
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