1-6「大食漢」

 それからぼくらは小一時間ほど河原の耕地に肥料をまき続けた。


 その間、会話らしい会話はほとんどなかった。沢本は中学時代から口数が多い方ではなかったし、ぼくも自分から手伝うと言っておいて足手まといになるのはごめんだったから、無駄口を叩かずに作業に没頭していた。


 一度だけ――ただの一度だけ、沢本が「まだ続けてるの? 野球」と尋ねてきたことがあった。


「中学で卒業したよ。今は帰宅部員として全国大会を目指す日々だ」


「あ、そう」


 心底つまらなそうな相槌が返ってきて、それで会話は終わった。


「――これで全部ね」


 見渡す限り全ての畝に肥料をまき終わったところで、沢本は額に流れる汗をぬぐいつつ、そう宣言した。


「よくこれだけやったもんだな」


 石混じりの耕地を見やりながら、ぼくは感慨深げに呟いた。畝の上にふんわりと乗った黄土色の肥料が心なしか輝いて見える。風が吹くと臭いけど。


「志が低いわね。あたしの計画はこんなものじゃ終わらないわ」


 一方の沢本は、ふんと鼻を鳴らしてそんなことを言う。言い方は挑発的だが、どこかぼくに『計画』について突っ込んで欲しいようにも聞こえた。


 ――さて、どうする。踏み込むべきか、否か。


 逡巡してしまったのが良くなかった。沢本はぼくの顔を見つめて目を細めると「ごめん。今のは言い方が悪かった」と言って頭を下げた。


「後は自分で片付ける。今度こそ、深山は行って良いよ」


 それから沢本は「ありがとう。今日は助かったわ」と言って、もう一度お辞儀をする。丁寧だが、ひどくよそよそしいお辞儀だった。それでぼくは別れの時が来たことを知った。


「どういたしまして。元気そうでよかったよ」


 ぼくのつまらない決まり文句にうなずくと、沢本は河原に散らばった農具類を片付け始めた。その背中に語りかける言葉をぼくは持ち合わせていなかった。


 沢本に背を向けて、土手に向かう。後ろを振り向くことはせず法面を登り切り、自転車にまたがる。強くスタンドを蹴りつけて、我が家に向かって走り出す。


 まだ早い時間だが寄り道する気にはなれなかった。幸い両親は共働きだし、中学生の妹もバスケ部に所属していて帰ってくるのはいつも暗くなってからだ。この時間に帰ってもまだ誰もいないから、サボりがバレる心配はなかった。


 県道への入り口で長い赤信号に引っかかった。ぼくはそぞろな気分で遠くに広がる山々を見つめる。


 ここからでは遠すぎてぼんやりとしか見えないが、サボテンの群れは今日もあの山々のそこかしこに居座っていることだろう。


 巨大でいびつで凶悪なサボテン――土喰いは、藤見原市内にかつて存在したバイオベンチャーによって開発された新種のサボテンだった。


 多肉植物の中には食用利用されるものも少なくない。アロエやテキーラの原料となる竜舌蘭はその代表格だが、サボテンのように針のようなとげが生えたものであっても、とげを取り除いた葉樹を食材として利用できるものもあるのだという。


 土喰いも本来は食用利用を目的に開発されたものだった。


 繁殖力が強く、成長が早い上に、葉樹が非常に大きくなる。なるほど。土喰いは食用サボテンとして極めて優秀な特性を備えていたが、一方で致命的な欠陥をも持ち合わせていた。


 まずいのだ。


 創作料理好きの母親に強要されてぼくも何度か食べたことがあるのだが、何しろ苦い。一瞬ミントに近い香気を感じないこともないが、すぐに嘔吐を誘う苦みの第二波が押し寄せてくる。はっきり言って、食えた代物ではない。


 アダム・スミス氏が言うところの神の見えざる手も同じ裁定を下したらしい。件のバイオベンチャーはほどなく倒産し、経営者の一族は夜逃げ同然に藤見原市を去っていったという。


 山に置き捨てられた土喰いはしかし、ベンチャー企業よりもよほど高い生存能力を有していたようだ。野生化した彼らは持ち前の頑強さと繁殖力で瞬く間に勢力を拡大し、ぼくが物心つく頃には、藤見原の山間部にしっかりと居座ってしまっていた。


 この物言わぬ闖入者に対して好印象を持っている者は藤見原にはほとんどいない。特に山間部で農林業を営む人々は、根絶やしにしたいくらい憎んでいることだろう。


 あの侵略的外来種はひとたび地に根を張れば、土壌に含まれる水分やら栄養素やらを貪欲に飲み込んで肥大化し、際限なく繁殖していく。結果、これまで山間部で慎ましやかに生きてきた無数の木々は、生きるのに最低限必要な栄養すらも絶たれ、朽ち果ててしまうのだ。特に古くからある野生の樹林地帯や藤見原市の特産物である茶やミカンの園地への被害は深刻らしい。


 この街の誰もが知っている嫌われ者。それが土喰いだ。


 沢本が河原にまいているのは、その土喰いの改悪種なのだという。


 どういうつもりであんなことをしているのだろう。迷惑行為であることは間違いない。よくわからないけど外来生物関係の法律にひっかかりそうな気もする。いずれしても、どうしてこの街への復讐の手段として沢本が土喰いを選んだのか、ぼくには理解できなかった。


 一方でぼくは、復讐のために鍬を震う彼女の姿に一種の清々しさのようなものを感じてもいた。


 ぼくが沢本に協力したのはだから、


 それでも――それでもぼくと沢本は何の約束も交わすことなく、もちろん連絡先を交換することすらなく、別れた。


 今後彼女と会うことはそうそうないだろうし、そのことを後悔するつもりもなかった。どんなにその日が楽しく、充実したものであったとしても、決して未練は残さない。それがズル休みの一日に対してぼくが定めたルールだった。


「明日からまた、退屈ではあるけれど愛すべき日常が再開する。それだけのことさ」


 ぼくは噛みしめるようにそう呟くと、青信号の交差点へとペダルを漕ぎ出した。

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