1-5「耕す そして/また 種をまく」

 小一時間ほど奇妙な農作業を続けた後に、沢本の方から「ちょっと休憩にしよう」と言ってきた。平静を装っているけれど、結構息があがっている。


 無理もない。ぼくが来るまで石ころだらけの河原に独りで鍬を入れていて、ぼくが来てからもずっと種やら肥料やらを撒き続けていたのだから。


 沢本はぼくを土手の上にある大きな桜の木のたもとへと誘った。


 直径三メートルほどの大樹にはしかし、二ヶ月ほど前に咲き誇った花の面影はなく、青々とした葉が生い茂っている。その陰に敷かれた黒猫柄のビニールシートが休憩所ということらしい。


「インスタントだけど」


 先に腰を下ろした沢本が、ビニールシートの上に置いてあったごつい水筒の蓋を手早く外し、中に入っていた漆黒の液体をだばだばと注ぎ込む。


「どうぞ」


「ありがとう。いただくよ」


 口をつけて、冷たさにはっとする。アイスコーヒー――それも、砂糖もミルクも入っていない飛びきりビターなやつ。


「あれ?」


 涼やかな苦味にひたるぼくをよそに、沢本はスカートのポケットからくしゃくしゃになったビニール袋を取り出した。


「まだちょっとあったみたい」


 確かに袋の中には例の種子がほんの何粒かだけ残っているようだった。


「どうするんだ?」


 沢本はしばらく袋の中を見つめた後で、名残惜しそうにかぶりを振った。


「これはダメね。粒が小さいし、形もよくない。その辺にまいてくる」


 沢本が桜の木の裏へと向かったので、ぼくは彼女がやり忘れたことを勝手に肩代わりすることにした。


「え」


 戻ってきた沢本は、内蓋の中に並々と注がれたコーヒーを見て、驚いたような表情を浮かべた。


「……ありがとう」


 そっぽを向いてそう言うと、沢本は小動物のような仕草でこくこくとアイスコーヒーを飲み始めた。そんな彼女のポニーテールを、柔らかな風がふわりと撫でた。


「サボテンの種を蒔いているの」


「サボテン?」


 聞き返してから、ぼくがこの河原に降りて来て最初にした質問に答えてくれたのだと気づいた。


「どうしてそんなことを? この街でサボテンなんてありふれてる」


 慌てて言葉を足したが、ちょっと挑発的だったかも知れない。しかし沢本はぼくの物言いに良い意味で刺激を受けたらしかった。


「そうね。アンタの言うとおり、群生するなんて、藤見原ではありふれた光景よ。でもそれは、山間部に限った話でしょ?」


「……言われてみれば確かにこの辺りではあまり見ないな。市が定期的に刈り取ってるのかな」


「それもあるんでしょうけど、そもそもサボテンは湿気に弱い植物なのよ。いくらヤツらがとんでもない生命力を持った品種だと言っても、サボテンには変わりないわ。だから水の溜まりやすい平野部で生き残るのは難しいの。河原ならなおさらね」


「それなら尚更どうしてサボテンの種なんかをまいていたんだ?」


 ぼくが言葉を返すと、沢本はにやりと挑発的な笑みを浮かべた。


「あたしの種は特別製なの。生命力の強い土喰いの中で、特に湿気に耐性があるものだけを掛け合わせて作った改種。この種ならどんな環境でも生き残ることができるはずよ」


 そうして沢本はこくりとコーヒーを飲み込んだ。その目と口元は、サボテンが死滅する可能性を少しも危惧してはいないように見えた。


「自由研究ってわけじゃあないんだな」


「トーゼンでしょ」


 ぼくの問いにうなずくと、沢本は気負うことなくごく自然な調子でこう続けたのだ。


「あたしは


 心にすとんと落ちるような声。それでぼくは沢本の瞳が澄んだ湖の底のように深く美しいことに気づかされる。


「……ぼくに話して良かったのか、それ」


 たっぷり二秒間、見惚れてしまったことを隠すために、ぼくはつまらないことをつまらない調子で言った。


「悪くなくないけど」


 沢本自身も喋りすぎたと思ったのだろう。まだかなり残っていたコーヒーを一気に飲み干すと、口元を押さえて立ち上がった。


「アンタはもう行って良いよ。後はあたし一人でやるから」


 胃が苦しいのか、顔をしかめつつ沢本は言う。


「まだペットボトルの予備はあるのか?」


 ぼくはそんな彼女の顔をじっと見つめて言った。


「腐るほどあるけど、それがどうかしたの?」


「沢本にしては察しが悪いな。少しだけ手伝うのもありかな、って思ってるんだよ」


 ぼくが言うと、少女はきょとんとした表情を浮かべた。散々手伝わせたくせに、こちらから協力を申し出てくるなんて想像もしていなかったらしい。


「学校は良いの?」


「今日は自主休校なんだ」


「……どうせサボるんなら、もっと有意義なことに時間を使いなさいよ。駅前の映画館に行くとかさ」


「あそこはラインナップが微妙なんだよ。というかなんでいつ行っても『シベリア超特急』を上映してるんだよ。家に帰って寝てた方がマシだ」


 ほとんど一息でそう言うと、ぼくは残っていたコーヒーをがぶ飲みした。


「昔から思ってたけど、やっぱちょっと変わってるね。は」


 何だ。覚えていたのか。顔だけじゃなく、名前もちゃんと。


 ぼくは自分の表情を見られないようにさりげなく視線を外しながら「沢本ほどじゃないって」と呟くように言った。


「どうだか。ま、深山が協力してくれるって言うんならあたしは拒みませんけどね」

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