1-4「地固め機」

 堤防敷の道端に自転車を停めて、法面のりめんを降りていくと、はたして彼女はいた。


 鍬が入り黒々とした土が露わになった河原に立ち、半透明のビニール袋の中から何かを取りだしては辺りにばらまき、少し歩いてはまたビニール袋の中身を辺りにばらまくということを繰り返していた。


 種まき――なのだろうか?


 訝しく思いながら、ぼくは河原へと歩を進める。


 ずしゃり。

 

 河原の砂利を踏み締める足音が、意図せず辺りに響き渡った。


 それで彼女はぼくの存在に気がついたようだった。


 ポニーテールをふわりと風に舞わせてこちらを振り向いたのはやはり中学時代の同級生だった。


 大きな鳶色の瞳につんと高い鼻。形の良い眉と少し長めなまつ毛。それにほっそりと白い首筋――。身長はあまり伸びなかったようで、一五〇センチあるかないか。怒っているような肩も中学時代と同じだった。


 中学時代と違うのは目元のあたりの幼さが消え、少しだけ大人びた顔立ちになったこと。藤見原南女子校指定の制服を着ていること。そして、十七歳の彼女に、白い瀟洒なセーラー服がとてもよく似合っていることだった。


「何をやってるんだ、沢本?」


 一瞬気後れしたのを悟られぬよう、ぼくはぶっきらぼうな声で尋ねた。


「……アンタには関係ないでしょ」


 不審者を見る目つきでしばらくこちらを見つめた後で、沢本はぼそりと言って、作業を再開する。取りつく島もない。そうだった。こいつはそういうやつだった。


 アプローチの仕方を間違えたことに気づいたぼくは、すぐに脳内キャッチャーとサインを交わして次にどんなボールを投げるべきか検討する。


「確かにな」


 早くも謎の作業を再開し始めた沢本に聞こえるよう、ボリューム二割増しでそう言うと、ぼくは手近なところにあった大きな石の上に腰を下ろして、彼女の動きを観察することにする。


 袋の中身を掴んで、まいて、地面を固めて……うん、やっぱりあれは種まきだ。


 しばらくして、ぼくがまだいることに気づいた沢本が、縄張りを主張する野良猫のようにシャーッと睨みつけてきた。


 対するぼくは、涼しい顔。声には出さず、口の動きだけで『お前には関係ない』といってやる。野球で言うところの釣り玉というやつ。幼稚なやり方だが、なんとなく沢本にはこういうのが効くような気がしていた。


 はたして沢本は顔を朱に染めた。が、その怒りを足下の石ころを蹴りつけて発散すると、ぼくから完全に背を向ける。


 ――引っかかってこないか。これは作戦失敗だな。


 そう思った矢先、沢本が何かを拾い上げるような動きを見せた。


「おい」


 振り返るなりそう言って、拾い上げたものを乱暴に投げつけてきた。


「あっぶね!」


 どすっと鈍い音を立ててぼくの足下に転がったのは小さなペットボトルだった。ラベルは剥がされているので、中に黒い土のようなものがずっしりと詰まっているのがわかる。


「……見てるんだったら手伝え」


 こちらが抗議をするよりも早く、沢本は勝手なことを言った。


「手伝うって、何を」


「私が種をまくから、アンタはその後ろからそいつを一振りして。ちゃんとまいたところに落としなさいよ。適当にやったりしたら承知しないから」


 何様のつもりだ。声に出して言いたくなるが、好奇心との天秤にかけて、ペットボトルに手を伸ばすことにする。


「これは?」


 ペットボトルの蓋を開けながら尋ねると、沢本は冷ややかな眼でぼくを見つめた。


「見てわからないの? 肥料よ」


 そう言われてペットボトルの内側から独特な臭いが漂ってきているのに気づく。刺すような刺激臭、というわけではないが、例えるなら大量の汗を吸った野球のユニフォームを何十枚も重ねたようなじっとりとした不快さがある。ぐむう。変な形容を思いついたらますます気持ちが悪くなってきた。


「準備は良い? 早くしてよ」


「はいはい! いつでもどうぞ!」


 ぼくは半分やけになって叫ぶと、ペットボトルを持って沢本の後ろについた。


 そんな風にしてぼくらの種まき&肥料振りは始まった。


 まずは沢木が畝に沿ってパラパラと種をまき、まいた辺りに土をかけて足踏みをする。続いてぼくがペットボトルをシャカシャカやって肥料をふるい落とす。沢本がしっかりと土を固めてくれるおかけで肥料をやる場所に迷うことはなかった。


「おっと」


 しばらく続けているうちに目が慣れてきて、畝からこぼれ落ちた種の存在にも気づけるようになる。ぼくは沢本の様子を窺いながらそっと地面に膝をついて、それを拾い上げた。


 ゴマよりも少し大きい黒いつぶ。何の種かはわからないが、ぼくにはそれがひどく忌まわしいもののように感じられた。


 顔を上げると、少し先で沢本も足を止めていた。


 一瞬、ぼくがついて来ないことに気づいて、機嫌を悪くしているのだろうかと思ったが、そうではなかった。沢本は空っぽになったビニール袋を器用に縛りながら、遠くの方を見つめていたのだ。


 真っ直ぐに伸びた背。少し荒い呼吸に合わせてゆらめくポニーテール。鳶色の瞳には殺意にも似た凶悪な光が宿り、口元には微かに笑みが漏れている。


 まるで目に見えるもの全てに宣戦布告するような、不遜、不敵な態度だった。


「――何?」


 やがて、ぼくの視線に気が付いた沢本が、むすっとした態度で言った。


「いや別に」


 ぼくはすぐに立ち上がって、肥料をふるいつつ沢本の側まで駆け寄った。


「この後はどうするんだ?」


「今日の分の種まきはこれで終わり。まだ肥料をまいてないところがあるから、ここからわあたしも肥料をまくわ」


 沢本はしゃずしゃずと音を立てて土手近くの草むらまで行くと、新たなペットボトル――もちろんこれにも肥料がたっぷり詰まっている――を拾い上げた。


「……んっ」


 早速蓋を開けようとする沢本だが、なかなか上手くいかない。肥料を詰めたのは沢本自身だろうから、力不足ということはないだろう。多分汗で滑るのだ。


 ぼくは小さく息を吐き出すと、彼女の元に駆け寄った。


「やるよ」


「良い。自分で――」


 反射的に撥ね付けようとした沢本だったが、ぼくの手にハンカチが握られていることに気づくと、はっと口をつぐんだ。


 そう。『開けてやるよ』ではなく『ハンカチを貸してやるよ』という提案なら沢本でもギリギリ許容するであろうとぼくは予想していた。


「借りるわ」


 はたして沢本は小さな手でハンカチを受け取ると、ペットボトルの蓋にかぶせた。でもって、鼻息をふんと吹き出しながら、蓋を握り込む手に力を込める――。


「っしゃ」


 沢本が小さく快哉を叫ぶのを、ぼくは聞き逃さなかった。基本ツンケンしていて口数も少ないのに、たまにこうやって無邪気に喜んだりもする。一年の体育大会で、女子対抗リレーにアンカーとして出場し、三人を抜き去って逆転したときもそうだった。こいつはやっぱりそういうやつなのだ。

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