1-2「ハンマー」

 ぼくらの学年の市立黒須くろす中学出身者で沢本遥の名前を知らない者はいない。


 中学一年の五月に季節外れの転校をしてきた頃から彼女はとても目立っていた。


 何しろ美人である。ぼくもはじめてまともに顔を見たときは、フランス人形のような、という比喩表現は本当に成り立つものなんだと思ったものだ。


 頭もいい。期末テスト後に職員室に張り出される成績上位者一覧にはいつも彼女の名前が載っていた。


 おまけに貧相な体つきのくせして運動も得意だ。スポーツテストの記録を見た体育教師が陸上部に入るよう熱心に勧誘していたのを今でもよく覚えている。


 何をしても――何もしていなくても目立ってしまう。沢本はそんな存在だった。本人はそれを望んではいなかったようだが。


 沢本は学校ではたいてい独りでいた。休み時間は自席で文庫を読んで過ごすことが多く、男子はもちろん女子とも必要以上に話すことはなかった。


 おとなしいのではない。独りでいるのが好きなのだ。友達になろうと声をかけてくる女子には冷ややかな目線で応え、告白してくる男子たちには「死ね」とだけ返す。もちろん教師たちがさかんにしてくる部活やら生徒会やらの勧誘にも「興味ないです」の一点張りだった。


 転校して半年ほどで、沢本に話しかける者は少なくなっていた。二年に進級して、沢本の母親が夜のお店に務めているという噂が流れるようになってからはより一層少なくなった。


 ぼくが沢本と同じクラスだったのは一年生の時だけなので、それ以降のことはよく知らない。きっと一年の時とほとんど同じように、教室の片隅で孤独を唯一の友として過ごす毎日だったんだろうと思う。


 その沢本を不幸が襲った。実の母親を殺されたのだ。中学三年の秋のことだった。


 ハンマーキラー。


 あの年の八月三十一日から十一月九日までの約二か月間にこの街で五人もの女性を金槌で滅多打ちにするという残忍な方法で殺害した犯人の、それが通り名だった。


 殺された五人の女性につながりはなく、年齢も職業もばらばらだった。共通点があるとするなら、それこそ全員が女性だということと、夜に一人で出歩いていたことくらいのものだろう。


 第一の被害者――堀井ほりい杏奈あんな、五十一歳。書店従業員。


 第二の被害者――安仁あに絵理沙えりさ、二十六歳。フリーアルバイター。


 第三の被害者――長井ながいりつ、六十三歳。無職。


 第四の被害者――香椎かしいけい、四十四歳。保険外交員。


 そして、第五の被害者――沢本雪乃ゆきの、三十八歳。接待飲食店従業員。


 マスコミは五人の被害者について、遺族の意向を無視して実名報道を繰り返した。


 中でも沢本の母親――雪乃さんの取り上げ方は異常だった。沢本家が母子家庭だったことが悲劇性を強調するのに具合が良かったのか、あるいは雪乃さんが接待飲食店キャバクラ勤務だったことがゴシップ的な興味を引くと考えたのか、ともかく彼らは一人残された被害者遺族に対する薄っぺらな同情を免罪符にして、沢本家のプライバシーを容赦なく暴き立てたのだ。


 いやしかし、彼らだけがハイエナだったのではない。の親が殺されたことに好奇心を持たないでいることは難しい。教師も、同じ学校の生徒も、誰だってそうだったと思う。


 そうして沢本は、となる一方で、ますます孤独を深めていった。

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