第8話

 駅を出て、飲み屋の並ぶ路から奥に入ると、キャバクラや風俗店が並ぶ路に出た。

 路端に吐瀉物や、蹲った男がいたりして、昼間だというのに、ここだけ日差しが当たっていないように思えた。

 私はデリヘル店はでかでかとした看板を掲げているものだと思っていたので、店を見つけるのに苦労した。

 入店すると、簡素な机と椅子があり、その奥に薄い布の目隠しが掛けられた別部屋へ続く入り口が見えた。

 誰も見えないので、奥の部屋に向かって、


「すみません」


 と、声をかける。

 すると、目隠しを暖簾のようにくぐり抜けて、薄くパーマのかかった長髪の男が出てきた。

 私を上から下まで見て、


「電話くれた人ね。どうぞこちらへ」


 と、私を促した。

 私はいつでも大声を出せるように警戒しながら、奥の部屋に向かった。

 入り口から見て部屋の左半分はレースのカーテンで仕切られ、カーテンの向こうに3人の女性がソファーで寛いでいるのが見えた。


「こっちです」


 男はホワイトボードで仕切った空間に私を誘導した。

 事務用デスクにパソコンが2台。必要最低限の事務所という感じだ。


「客間なんてものはないので、こちらで勘弁してください」

「いえ」


 パソコンを間に挟むように向かい合わせでキャスター付きの椅子に座る。


「愛ちゃんのことでしょ? 事件のニュース見て、僕も店の子達もびっくりしましたよ。どういうことをお話すればいいんです?」

「そもそも、彼女が入店を決めた理由はなんでしょうか?」

「理由ね。確か、お金のためですね。というか、みんなそうですけどね。愛ちゃんは娘さんが中学生になるからお金が必要になるって、今年の春に面接を受けに来ました」

「働いているとき、どんな様子でしたか?」

「そうですね、女のコ達とは良くコミュニケーションをとってましたよ。みんな、愛ちゃんには懐いてました」

「娘さんとの関係で悩んでいたり、愚痴を溢したりするようなことは?」

「僕ら男にはそんなこと話したりしませんよ」

 男は頭を掻きながら苦笑していた。

「では、あちらの女性達に話を訊くことは可能ですか?」

「ああ、はい、いいっすよ」


 彼は乱雑にカーテンを開け、一人の女性を手招きした。少しぽっちゃりした垂れ目の女性がこちらへ来てくれた。


「リボンです。偽名ですけど、問題ないですよね?」

「はい、大丈夫です。ありがとうございます」


 リボンが話しづらそうにしていたので、男には席を外してもらった。それが功を奏したのか、彼女は門倉愛について詳しく教えてくれた。

 門倉愛はこの店でも面倒見が良かったようだ。キャストの女性達の相談に良く乗り、ときには愛から相談することもあったらしい。

 年頃の娘とどう向き合えばいいのか。

 生活で頼れる人がいない。

 大分すると、この2つ。


「娘さんとの関係は上手くいってなかったんでしょうか?」

「それはどうだろう。休みの日は一緒に出かけたりしてたみたいだし、むしろいい方なんじゃない? 私なんか親と口もきかなかったし」

「では、事件が起きたのは意外ですか?」

「それは、意外ですよ。貧乏でも、幸せに暮らしてるんだと思ってたから」


 彼女が少し肌荒れした両手を見つめながら、悲しそうに答えたのが印象に残った。



 再びアパートのある駅まで戻り、ファミレスで事件の概要を再構成していた。

 一つ気になることがある。

 親子の仲が悪かったとしても、事件の起きたきっかけが現時点では見つかっていない。私が包丁を手にしたときにも、怒りが爆発した理由があった。

 あの日、もしくはそれより前に、何があったのか。二人の間だけで完結していたことなら、確かめようがないけれど。

 振動とともにスマホの液晶が光った。

 SNSのプッシュ通知だ。

 もしや、と思い、確認すると、数人に送ったメッセージの中で、門倉沙耶のクラスメイトの母親に送信したものに返信が来ていた。

 数回のやり取りの後、実際に彼女とクラスメイトの女の子に話を訊くチャンスを得た。

 指定された時間に、教えてもらった住所に向かった。

 メルヘンな外観の一軒家で、親子は気弱そうでお洒落な黒縁眼鏡を、かけていた。

 私は玄関のタイル張りの土間に立ち、二人から話を訊いた。

 事前に打ち合わせしていたのか、母親が娘を促す場面が時々あった。違和感はあったけれど、内容は整理されていた。

 やはり、門倉親子の仲は良好だった。だから、びっくりした。

 概ねデリヘル店で聞いたことと変わらなかった。

 頭を下げて家を出ようとしたとき、


「放送日はいつですか?」


 と、母親が訊いた。


「近日中です」


 そう答えながら、刺々しい気持ちになった。

 良く見たら、母親の方は家にいたにしてはおめかしの度合いが高い気がする。誰かの不幸を利用する人なのだな、と思ってしまう。私がそういう人に頼っている事実にも引っかかった。

 何となくアパートに足が向いた。夕日でできる身体の影を踏んづけるように歩いた。

 アパートはトタンがオレンジ色に染まっていた。以前感じた暗さは多少ましになっている。けれど、ここで親殺しが起きた。

 強盗殺人よりも私にとってはリアリティーがあるはずなのに、未だに信じられない。むしろ、門倉親子の仲が良かったことを知ってから、その疑念は大きくなっている。

 本当に沙耶が愛を殺したのだろうか?

 けれど、証拠は私の信じたくない筋書きを支持している。

 思考を遮るように、スマホが鳴動した。

 知らない番号からの着信だった。


「鬼怒川さんのお電話ですか?」

「はい、そうです」

「私、南川です。昨日、お話させてもらった」

「ああ」


 電話越しで声が変わっているからすぐに気づけなかった。


「どうされました?」


「実は」


 鼻息が聞こえる。


「事件の三日前、門倉さんは店長からクビだと言われたそうなんです。同僚からさっき聞いて、伝えなきゃと思って」

「教えていただき、ありがとうございます。でも、どうして、このことを教えてくれたんですか?」

「テレビで娘さんが門倉さんを殺したって言ってて、でもそんなのありえないと思ってたんです。そんなとき、この話を聞いて、私、思ったんです。門倉さんはきっと自殺したんじゃないかって」


 南川は仕事の休憩中にかけてきたようで、こちらの反応を待たずに慌ただしく電話を切った。

 事件の三日前――確かに、無関係とは思えない。

 門倉愛は自殺した。

 残念ながらそれはありえない。

 自分で首に包丁を突き立てるのと、他人に刺されるのとでは刺創に違いが出るはずだし、警察がそれを見逃すとは思えない。

 それに、いきなり母親が自殺して、沙耶が偽装工作をするというのは筋が通らない。いや、事前に母親から相談されていたら――。

 瞬間、頭が絞られる。

 ここから見える部屋で起きたかもしれない出来事が脳内で急速再生される。

 こんなこと、信じたくなかった。

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