第7話

 お風呂に浸かりながら、門倉沙耶のことを考える。

 どうして、母親を手に掛けたのだろう。

 子供が親を殺したいと思うことはあるだろうか。

 自分自身に訊いてみる。

 ある。私はあった。

 口喧嘩の末、ぽろっと溢した失言ではなかった。しっかり、今思い出しても確信できるような殺意があった。

 きっかけは何だっただろう。

 確か、高校入試のときだった。私は少しノイローゼ気味だったと思う。

 母が私をことあるごとに拘束しようとするのは、中学生ともなれば、過保護の度を越えていることも気づいていた。彼女は自分の思い通りにならないと、痣にならない程度に私を打つことすらあった。どうしても私がやりたいことができたとき、私はかなり前もって母に完璧な説明を用意してから説得した。入りたい高校ができたとき、同じように説得をして、承諾を得た。

 ところが、ある日、受験の願書を出すときになって、家の近くにある志望校よりも少しレベルの低い高校を受けろ、と言ってきた。当然、私はおかしいじゃないか、と反発した。彼女の持ってきた理由は私の完璧な説明で充分反論可能だった。問題はないから受けさせてほしい、と再度説得を試みると、母は私をぶった。

 そのとき、殺意が芽生え、一瞬で毒液が滲み出るような色の果実までつけた。

 私はキッチンまで走り、乾かしてあった包丁を持ち母を脅した。

 それでも彼女が折れなければ本当に腹を刺すつもりだった。障害になるから消す。短絡的な発想だった。もし殺したら、高校入学自体ができなくなるだけでなく、何もかも終わっていた。

 母は怯え切り、机の下に隠れてわんわん泣き始めた。

 それで、馬鹿馬鹿しくなった。

 結局、母のパトロンに相談して、志望校には通えることになった。けれど、あれ以来、普通の親子の間にはない軋轢が生まれた。手を上げることはなくなった。母の中でどういう受け止め方をしたのかは今も訊けていない。

 殺意は不意にやって来る。けれど、それは日々蓄積した摩擦が膨れ上がり、何かで破裂するものだ。

 門倉親子の関係は、そういう摩擦が生じるようなものだったのか?

 取材をしていても、それ以前の問題だった。みんな、彼女達に興味がなかったのだ。下町だろうがなんだろうが、近所づきあいは古参の者同士でしか行われない。アパートに新たな入居者が現れても、それは一過性の出来事だとしか思わない。私も、そうだ。

 沙耶本人に話を訊くことは不可能だ。でも、沙耶の通っていた中学校には、あの親子を気にかけていた人達もいるかもしれない。とにかく、足を運んでみよう。

 気になることは、あと一つ。

 子供を育てるのに、スーパーのパートだけで家計はやっていけたのだろうか。相当切り詰めてやらないと、食べることもできない。

 他の勤め先があった、と考えるのが自然だ。警察ならそこまで調べ上げているだろう。

 今、思いつくのはこれくらいだ。

 素人が新しい視点を発見することは可能だろうか。

 いや、挫けてどうする。

 私はお湯に頭まで浸かった。吐いた息が大小のアブクになって目の前を下から上へ勢い良く通り過ぎていく。息が苦しくなったとき、髪が顔や首にへばりつくのを感じながら頭をお湯から出した。

 少し、すっきりした。そういうことにしておこう。



 雪川の予言通りだった。

 私が起きて、テレビを点けると、事件は急展開を迎えていた。

 警察が娘に殺人の容疑で事情を訊いているという。雪川の言う新たな証拠を発見したのだろう。

 SNSはお祭り騒ぎだった。

 門倉沙耶の名前は瞬く間に拡散し、母親殺しの女子中学生としてサイコパス少女なんてハッシュタグをつけた文字で溢れていた。

 一人の少女が過剰なバッシングに晒され続けている。

 子供が母親を殺めるには何か理由があったはずだ。サイコパスだなんて表現は、理解することを端から諦めて、陳腐なカテゴライズをしているだけだ。

 きっと、まだ警察も私も見つけられていないことがある。

 アポを取ろうと、門倉沙耶の通っていた中学校に電話をかけた。けれど、一向に繋がらない。センシティブな事件だから、多方面から電話がひっきりなしになっているのだろう。直接、学校へ出向いても追い返されるのが目に見えている。登下校の子供たちを取り囲むのも気が引けた。

 私はSNS上で生徒、もしくは生徒の親にコンタクトが取れないか試みることを思いついた。検索してみると、何人か見つかった。ダイレクトメッセージで取材の打診をしておく。返信次第なので、待つしかない。

 杉本に電話をかけた。留守電に切り替わったので、メッセージを残しておく。彼なら返信をくれるはずだ。

 私は返信が来る前にアパートに向かった。電車が普段よりのろのろと走行しているように感じてしまう。焦っているのだな、とそこで自覚した。

 焦ったとき良い方向に転がったことは一度もない。急がなくてはならないからこそ冷静に、と自分に言い聞かせた。



 現場に到着したとき、杉本から折り返しがあった。

 娘の沙耶に容疑が向いたのは、彼女の事件当日の寝間着に微かに血飛沫が付着していたことが鑑定の結果判明したからだという。沙耶に訊くと、筆談で罪を認めた、とのことだった。

 警察としては沙耶が13歳で、責任能力のない年齢であることから、家庭裁判所での審判を経て、少年院送致になると想定している。調査は打ち切りになるという――被疑者が子供の場合は調査と表現するらしい。

 オフレコを前提に、被害者がデリヘルで働いていたことを教えてくれた。アパートの最寄り駅からは離れた繁華街の店舗。

 彼に礼を言って、電話を切った。

 デリヘルと聞いたとき、私の心が収縮した。

 甘く考えていた。私はてっきり、コンビニかどこかで働いていると思っていた。彼女はセックスワーカーになり、暮らしを成り立たせることにしたのだ。

 店舗をインターネットで検索すると、電話番号がわかった。昼から営業しているらしい。私は迷うことなく電話をかけ、アポをとった。入店希望の女性だと勘違いされ、なかなか話が噛み合わなかったけれど、とにかくアポはとれた。

 早速、デリヘル店に向かうことにした。

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