第5話

 被害者・門倉愛の働いていたと噂されるスーパーはチェーン店ではなく、『ゲキヤス』という一店舗しかないものだった。

 広い駐車場もなく、大きな八百屋と表現する方が適していると思った。

 店内を歩き、店長らしき人を探していると、求人情報が壁に貼られているのが目についた。


  時給 1041円から

  昇給あり!

  社員登用制度あり!

  社会保険完備!

  制服貸与!

  研修制度あり!

  交通費全額支給!

  週2勤務から

  シフト要相談


 時給は最低賃金。昇給の可能性は明記しているけれど、あくまで可能性だ。社員への登用も蓋を開けてみれば、正社員になった方が時給換算で下回ることもある。このスーパーがそういう悪どいやり方をしているかはわからないけれど。

 昔、母が真っ当な働き方をしていたとき、同じようにスーパーで働いていた。朝から晩まで働いていたのに、家は貧しかった。母が女を利用し始めてから人並みの生活を送ることができるようになったのは事実だ。私はそれが悔しかった。

 調味料コーナーに、初心者マークをつけた若い女性の店員に、何か指導している頭髪の薄い男性がいるのを見つけた。名札に店長、とある。

 声をかけると、わざとらしいスマイルを向けてきたが、


「門倉さんについて訊きたいことが」


 と、切り出すと鬱陶しそうに顔を歪めた。


「仕事があるんでね。悪いけど、帰って」


 彼はさっきまでの指導も放って逃げた。それなりにちやほやされてきた私にとって、あからさまに誰かに逃げられる経験は初めてだった。

 新人の店員と私との間に気まずい沈黙が流れた。

 若い、と言っても、私より数歳上かもしれない。けれど、おどおどした瞳が年齢よりもずっと幼く感じさせた。結婚指輪をつけている。もしかしたら、子供も既にいるかもしれない。

 突然、新人店員が口を開く。


「あの、記者さんなんですか?」

「はい、テレビ局の者です。たまたま名刺を持ち合わせていないのですが」

「私、あと一時間ほどで上がりなんですけど、お話したいことがあって。もちろん、門倉さんのことで、です」


 思わぬ展開で、すぐにピンと来なかった。意味を理解し、慌てて頭を下げる。


「ありがとうございます。お待ちしてます」

「でしたら、歩いて数分のところにファミレスがあるので、そこでお待ちいただけますか?」


 段々、ツキが回ってきたようだ。



 ドリンクバーを注文して、彼女を待った。

 彼女は予告通り一時間ほどで入店してきた。恐らく全身がプチプラファッションで、彼女の内面のあどけなさと釣り合っているようにも感じた。私を探し、不安そうに周囲を見渡す動作が染み付いているように思えた。


「すみません、お待たせしました」

「いえ、お時間いただき、ありがとうございます。お好きなものを頼んでください。会計は私持ちですので」


 彼女はドリンクバーよりも値段の安い一杯のカフェオレを頼んだ。

 簡単に自己紹介をした。彼女は南川みなみかわ久美くみと名乗った。

 取材のノウハウは知らないけれど、まずは世間話をすることにした。小難しい話題は避けて、芸能人の誰と誰が結婚したとか、あのドラマを見ましたかとか、他愛もない話だ。

 徐々に彼女の表情が解れていった。

 不安そうな彼女を見ていると、自分が取調べをする刑事のように思えて居心地が悪かったので助かった。

 南川が何か思い出したようにはっとする。


「ごめんなさい、誰かとお話できるのが楽しくて。門倉さんのことをお話しないと。でも、私、事件のこととは関係ないことしかわからないんです」

「というと?」

「門倉さんは店長にいじめられていたんです」

「どういうことでしょう?」


 思っていなかった方向からの暴露に、耳を疑った。

 南川が辿々しく、説明するのを聞くと、いじめは、南川がパートを始めたときから既に始まっていた。門倉は優しく、困っている人を見ると助けてしまう。店長がセクハラをしていた店員を助けたのがきっかけだった。

 シフトに融通をきかせなかったり、本来は昇給してもいいのに最低賃金のままだったり。

 けれど、買い手市場の中ですぐに雇い先が見つかるかわからず、辞めることができなかった。


「不器用な私にも優しく仕事を教えてくれたんです。同じ失敗をしても怒らないし、どうしてそんなに優しいのか訊いたら、『人から責められるようなことはするな、って。死んだお母さんからの言いつけを破れないだけだよ』なんて。私、それを聞いて、縛られた優しさなんだなと切なくて。母親なら、『人には優しくしなさい』って教えませんか?」

「そうですね、本当ならそう言うべきですよね」

「私、それを聞いて悲しくなっちゃって、今も覚えてるんです。門倉さん、ずっと大変な目に遭ってきたのに、殺されちゃうなんて」


 彼女は目に涙をためた。


「私、悔しくて。犯人が誰なのかはわからないけど、せめて店長には門倉さんに謝らせたい。鬼怒川さん、テレビで店長のいじめの実態を放送することはできませんか?」


 そういうことか、と合点がいった。

 門倉に代わって一矢報いる、という考えだったのだ。

 協力してあげたい気持ちはあったけれど、私にはそんな権限はない。


「ごめんなさい。それは、難しいです」

「……そうですか。こちらこそ、無理を言ってすみませんでした」


 彼女は華奢な身体をさらに小さくして、頭を下げた。

 南川はどういう決心をつけて、私に思いを打ち明けたのだろう。がつがつと闘争する印象はない。無理をして燃え上がらせた炎の行き場を私はなくしてしまった。そのことが胸にずしんとのしかかる。

 彼女はカフェオレを飲み干し、小さくなった身体のまま店を出た。

 こういう場合の正解はどうすることなのだろう。私にはわからなかった。

 その後、アパートの近隣住民に門倉愛と沙耶について、事件について取材を続けたけれど、そもそも近隣住民と門倉との関係は希薄で――挨拶程度しかなかった――彼らの生活の中に愛と沙耶はいなかった。不審な人物どころか彼女たちを気にしていなかった。だから、警察の捜査がまだ進展していないのだと納得した。

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