第32話『機械の心』
――センカ視点
「――ハッ!? はぁ……はぁ……はぁ……」
頭が……ぐらぐらします。
「センカは……いえ、私は……作り物? ラース様――任務――機械……ぐぅっ頭が……」
ワタシハ……ダレ?
センカ? それともチェシャ・カッツェ?
両者の記憶や感情が入り乱れて、自身が何者なのか判断できない。
そんな自分を目の前の少女は虚ろな視線で見下していた。
「やっぱり、壊れた」
知っている。
この少女の名は――『チェシャ・カッツェ』。
ならば、私はセンカ?
論理的に考えればそうだ。チェシャ・カッツェが目の前に居るのならば、自分はチェシャ・カッツェではない。
でも――
「キオクが……絶望が……この感情……嘘じゃ……ない?」
胸に深く刻まれた絶望が。
胸が張り裂けそうなほどの過去の痛みが。
自分を『チェシャ・カッツェ』だと強く訴えていて……決断が下せない。
「私の過去を受け入れた結果、あなたは私になった。今のあなたは『センカ』であり『チェシャ・カッツェ』でもある」
それは、後付けされた二重人格。
それだけ聞けば特に問題はないと思える。
しかし、私の中にある『チェシャ・カッツェ』がそれを否と断じる。
「同時に相反する二つのプログラムを走らせているようなもの。矛盾が矛盾を呼んでエラーをが積み重なっていく。そうして最後には――」
――破裂する。
それをどうにかするには……。
「定義……しないと……。自分が……何者なのか……」
「肯定。相反するプログラム同士を衝突させ続けていればエラーは増えていく。これを解消するにはどちらか一方のプログラムを停止、あるいは矛盾の無いように変更を加えるしかない。つまりは……自身が何者であるかという定義。それが必要。でも――人間は機械じゃない。想いが……記憶が……感情が……100%の決定を下す決断を鈍らせる。どれだけ論理的にそれが正しくても、最終的な決定を下せない」
その通りだ。
目の前に『チェシャ・カッツェ』が居る。
ならば私は『センカ』なのだろう。考えるまでもない簡単な答え。
ゆえに自身を『センカ』として定義し、後付けされた『チェシャ・カッツェ』の記憶や感情を自分の物ではない偽物と断定すればいい。そうするだけでエラーは消え、私は『センカ』として活動できる。
しかし、本当に自分は『チェシャ・カッツェ』ではないのか?
この想いは本当に偽物なのか? むしろ『センカ』こそ後付けされた記憶……偽物ではないのか?
判断を下そうとするたびにエラーは激しくなる。
「結果的に私の秘密は守られた。私と友達になりたい? そんな綺麗事を
あなたも…………そして………………私も。本当に愚か」
そう言って目の前の少女『チェシャ・カッツェ』が一筋の涙を流した。
こちらを蔑むようなセリフを口にして、しかし悲し気に見つめるその瞳には優しさや虚しさが入り混じっていた。
「ああ……胸が……きゅっとする。これは……寂しさ? 今更、なんで……これだから人は嫌。私は何も感じない機械で居たいのに」
目の前の少女『チェシャ・カッツェ』はぎゅっと自身の胸を押さえる。
機械でありたいと願う少女が流す涙。その気持ちが今ならよく分かる。
寂しさに身を震わせるのはもう嫌。だからこそ心を殺したい。
偽りだったとしても一緒に居る楽しさを知ってしまっているから。だからこそ太陽のような温かい世界に手を伸ばしたくなる衝動――痛いほどに理解できる。
でも、また裏切られるのはもっと怖い。
それならばいっそ、心のない機械となって寂しさを感じなければいい。
機械となれば命令をこなすだけでいい。ただそれだけの存在になれる。
どうせこんな私たちを真に必要としてくれる誰かなんて……どこにもいないのだから――
そうしてセンカでもチェシャ・カッツェでもある私はその機能を停止させ――
『俺には……センカ、お前が必要だ』
誰にも必要とされていない?
嘘だ。
私は……確かに必要とされた。
あの日、あの時……強く……強く求められた。
『お前は自分が役立たずだの何だのと言っていたがな。そんなのはお前がそう思ってるだけじゃないのか? 大体、お前はまだ十三才の子供だろ。まだまだ発展途上じゃないか。それなのに自分で自分の道を閉ざしてどうする』
どうせ自分なんか誰も見ていない。役立たずの私なんかその辺で野垂れ死んで居ればいい。
そう思っていた私に未来をくれた。未来を示してくれた人が居た。
『それに、お前が自分の事をどれだけ卑下しようがなぁ。俺はお前の事を必要だって言い続けるぞ。俺はお前が欲しい! 前世からずっと憧れていたんだっ。そう簡単に諦められる訳がないだろ。どんなことをしてでもお前を俺の物にしてやる覚悟だ』
何の役にも立てないごみ屑。
自分の事をそう嫌っていた私に憧れた人が居た。
憧れて――諦めないと吠えて――手段を選ばない強引さで自分の物にしてやると……そう言ってくれた人が居た。
演技じゃない。偽物じゃない。そこには本物の熱意があった。
『絶対に後悔はさせない。だから……俺を一生支えてくれ。お前しか俺に合わせられる奴は居ないんだ。レベル上げにはもちろん付き合うし、その技能の底上げにも全面的に協力させてもらう。
だから――――――この手を取れ!!』
そうして――どうしようもない私に手を差し伸べてくれた。
センカが必要だと、そう全身で示してくれた。
あの時に感じた暖かさ。
あれは……あれだけは――
「ほんもの……です」
つまり……そう、だから――
「私の名前は……センカっ!」
「――っ!? なっ!?」
センカが自信を持って名乗った事に対してチェシャさんの表情が驚愕の色に染まる。
戻らない。戻ってこれるわけがない。
あの絶望の記憶から戻れば機械として生きることを選択する。そうに決まってる。
なのになんで?
そんなチェシャさんの心の叫びが手に取るように分かります。
なにせ、今のセンカは誰よりもチェシャさんの事を理解しているんですから。
だって……センカは――
「ラース様に救われ、ラース様を永遠に支え続けるっ。それがセンカが望む事っ。そして……唯一『チェシャ・カッツェ』を理解し、友達になりたいと願う者」
「――――――――――――」
「チェシャさんが今までたくさん大変だったのは身をもってよく分かりました。だからこそ、センカは言わせてもらいます」
そうして、センカは再びあの時のラース様のように……チェシャさんに向かって、手を差し伸べます。
チェシャさんにもこの喜びを知ってほしい。
この世界には暖かな場所があるのだと。そこに私たちは居ていいのだと……知ってほしい。
だから――手を伸ばす。
「チェシャさん。確かにこの世界は私たちに厳しいです。裏切られる事もありますし、戦いは絶えません。
でも……それでも……チェシャさんが思っているほどこの世界は地獄なんかじゃありません。きっと世界はチェシャさんが思っているよりもほんの少し……チェシャさんに優しいはずです。センカはそれをラース様から教えてもらいました」
裏切り、争い、差別、妬み、恨み。
裏切りと暴力は色んな所に転がっています。奴隷の時、センカはそれを嫌と言う程に見てきました。
だからこそセンカは心を凍てつかせました。
そんなセンカの心を温かな日差しで溶かし、救ってくれたのがラース様。
だから今度は……センカの番。
センカがチェシャさんを救ってやるんですっ!
「そうじゃなかったとしても、私が……私たちがそういう世界に変えます。
そんな優しい世界をチェシャさんに見せてあげます。
だからチェシャさん、私と友達になってくださいっ。
センカの手を――――――取ってください」
「あ……」
目の前に手を差し出されて、固まるチェシャさん。
自身の手をふらふらと彷徨わせ、どうしようかと迷っているのが分かります。
むぅ……やっぱりセンカではラース様のようにはいかないみたいです。
なので――センカは少し強引にいくことにしました。
「えいっ!」
「――――――」
ふらふらと彷徨っているチェシャさんの手をこちらから掴み、強引に引き寄せちゃいました。
そしてそのまま抱きしめちゃいます。
――絶対に離さない。
そんな意思を込めてぎゅっとしちゃうんです。
「ほら、こうやってぎゅってすると……それだけで少し安心しませんか?」
「あ……あぁ……」
チェシャさんの手がセンカの背中に回されます。
そうしてセンカの胸に顔を押し付けて――
「あ……あぁ……あぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
何かが壊れたかのように……チェシャさんは泣きました。
ぎゅっとセンカの背中に回された手に力が籠められます。
「よしよし……です。ふふっ、大丈夫ですよ。センカはチェシャさんを一人になんかしません。突然裏切ったり、勝手に居なくなったりなんてしませんから。これからはずぅっと一緒にいましょうね?」
「うん……うん……」
センカは泣きじゃくるチェシャさんの背をポンポンと叩く。
それを彼女が泣き止むまで続けました。
チェシャさんの過去の記憶や感情を体験したからこそ、センカには分かるんです。
この泣き声こそが……チェシャさんの第二の産声。
機械の心を持った『チェシャ・カッツェ』は死に、本物の『チェシャ・カッツェ』が誕生したのです。
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