第28話『教皇は破滅の階段を登る-2』



 パチンッ――と男が指を鳴らした瞬間……周囲の景色が山へと切り替わった。

 そのあり得なさすぎる現実を前に、私は驚愕の声を上げる。


「なっ!?」


 なんだ、これは?

 いきなり周囲が……山に!?

 驚いているのは私だけでなく、周囲に居るラウンズ達もだ。

 幹部の中には喚き散らしている者も居る。

 そんな私たちを睥睨へいげいし、召喚された男は静かに語る。


「――ご覧の通り、場面を切り替えた。ああ、現存するこの世界のどこかに転移したわけではないよ? 真実、先ほどの空間が概念を超越して私の望む光景へと書き換わったのだ。もちろん、こうした物は物語として矛盾を孕むし、好ましくない。すぐに戻すとしよう」


 男が再びパチンッ――と指を鳴らす。

 そうすると、周囲の景色は元に戻った。


「さて、私は物語が好きでね。特に悲劇的な物を好むのだよ。悲劇は良い。そして、悲劇を乗り越えんとする人間はとても美しい。人間の可能性を感じさせられるたび、私は感動に身を震わせられるのだ」


 男は恍惚とした笑みを浮かべ、ラウンズの面々と狂信者達の統率をするはずだったダンジョンの主達を見渡す。


「さて、私は重い過去を持った人間を好む。その点、君たちは合格だ。いや、それ以上だ。何百年も生きた人間のドラマをこうして一気に感じることが出来て私は非常に満足している。熟成されたワインほど美味いが、それは人生にも言えることだ。濃厚な人生は見ていてとても楽しい。あぁ、心が躍るよ」


 私たちを一人一人見ながら、本へと視線を落とす男。

 『どらま』なる物は分からないが、私たちの過去をまるで見ているかのような物言い。


 まさか――


 私の脳裏によぎる予感。

 それを吟味する前に、男は顔を私の方へと向けて朗らかな笑みを浮かべる。


「――ああ、その通りだよ教皇。今、私は君たちの生きてきた人生を読んでいるのだ。それは今この瞬間、君らが何を考えたのか、その心情も含まれる。そうだね。例えば……」


 そう言って男がパラパラとページを捲る。

 そうして、目的のページを見つけたのか、話を続けた。


「――ふむ。教皇よ、あなたがダンジョンの主とやらになったのは732年前の事だね」


「な!?」


 当たっている。

 そのことを知る者は私と、私に恩寵を与えてくれた神だけのはずだ。

 この男……まさか……いや、間違いない。こいつ、我々の思考を……過去を……読んでいる!!


「ふむ……なるほど。苦労したようだ。無能で粗暴な親兄弟にこき使われる毎日。しかし、その者たちは外面だけは良かったようだ。周りの人間にだけ良い顔をし、格下相手には粋がるだけの屑であった。そんな面をあなただけに見せ、誰もあなたが言う親兄弟の本性を信じてはくれない。そればかりか、あなたは嘘つき呼ばわりされることになってしまった。そうしてあなたは人間に巣食う闇を悍ましいと感じ、今に至る……と。陳腐だが、いかにも人間らしい物語だ。悲しいなぁ。胸を打つよ」


 私を罵り、生まれてこなければよかったのにとこの身を殴りながら嘆くだけの母。

 自分が無能なのを棚に上げ、この私をできそこないの屑とあざ笑う父。

 取り巻きばかり連れ、その者たちの功績をさも自分の事のように語りながら私を貶す兄。


 総じて屑だ。


 しかし――それも昔の事。この男に言われるまで忘れていた。昔の話だ。

 私はそれを見せつけるように『ふっ』と笑って見せる。


「懐かしいですね。そんな数百年前の出来事など言われるまで忘れていましたよ。私は彼らの事など、もうどうでもい――」

「本当かな?」


 私の言葉を遮り、重く、粘りつくような声をかける男。

 不穏、不吉、不気味。そんな単語が脳裏をよぎる。

 それだけ邪悪を孕んだ声色。少なくとも私にはそう聞こえたのだ。


 聞きたくない。しかし、聞かないでいるのも怖い。

 私は息をするのも忘れ、男の話を聞いていた。


「教皇よ、本当にあなたは過去を乗り越えられているのかな? 本当にどうでもいいと思っているのかな? いやいや、そうではあるまい。あなたは確かに彼らの事を記憶の奥底にしまい、忘れていた。しかし、それは自然と忘却されたものではない。あなたが忘れたいと、そう願った末に忘却されたものだ」


「何を馬鹿な……」


 そんな事、あるわけがない。

 私を苦しめた父も、母も、兄も、村の関係者全員も等しくこの身が超越者となったときに駆逐しているのだ。

 そんな奴らの事を私が忘れたいと願っているだと? 違う!! 私は奴らの事などどうでもいいから忘れていたのだ!!

 だから――


「くくく。ははははははははははははははははははは」


 瞬間――男が腹を抱えて笑い出した。


「超越者? ああ、ああ、なるほど。君たちの認識はそうなのだね。他の者も殆どが等しく、ダンジョンの主たる自身を超越者だと断じているようだ。あぁ、かわいいなぁ。哀れなほどに可愛すぎて抱きしめたくなるよ」


「何を……いや、何がおかしい!!」


「いやいや、これが笑わずにいられようか。くくくくくくく。なるほど、確かに君たちは普通の人間より頑丈らしい。しかし、それだけだろう? 君たちは人間を嫌悪しているようだが……人間のどの部分を嫌っているのかな? その脆さ? 百年も生きられぬ身? 違うだろう? 君たちは単に自分自身を認めてくれない人間社会との適合を拒んだだけだ。つまり、人間の精神性を君たちは嫌悪しているのだよ。さて、そこで質問だ。君たちの精神は人間を超越しているのだろうか? ダンジョンの主とやらになった後、成長しているのだろうか?」


「当たり前だろう!」

「我々は人間を超越したのだ!!」

「貴様ごとき召喚されただけの物に笑われ、憐れまれる筋合いなどない!!」


 私だけでなく、他のダンジョンの主も声をあげる。


 正直、こんなことをしている場合ではないだろう。対話などしている暇があったらラースを殺しに行くべきだ。

 そのことは私だけでなく、他のダンジョンの主も理解しているはず。


 だが、それでも……私たちはこの男の言葉を無視できない。


 それだけ、この男の言葉は我々ダンジョンの主の根幹をついていた。



「そうか。君たちの精神は人間を超越したのか。なるほど、それが事実ならばきっと君たちは私を打倒できるだろう。なにせ、この身は君たちが言うように召喚されただけの物だ。それに、私は争いごとが好きではない。一応、読書家を自称しているからな」


 そう言って男は『パチンッ』と指を鳴らす。

 そして――


「さぁ、第一劇の開幕と行こう。今一度、己の過去と向かい合うといい。さぁ、私にドラマを見せてくれ」


 男がそう宣言した瞬間――白い霧が周囲を覆い隠そうとする。


「ちっ」


 今、視界をさえぎられるのはまずい。

 出し惜しみなどしている暇は……ない!!


 だが、既に視界はほぼ霧で遮られ、目標は目視しにくい。

 これでは奥の手を使えな――


「ああ、それは面白い試みだ。是非やってくれたまえ」


 男の声が響く。

 瞬間――私の周囲だけ白い霧が薄くなった。


 なぜ? と疑問を抱くがゆっくりと考える時間もなさそうだ。

 私は目標……すなわち魔物の血を付着させているラースをはっきりと視認し、奥の手を発動させる。


「転移! 地下第18層――B区画」


 私がそう言い終わると同時にラースと、それに引っ付いていた謎の女の体が光り輝く。


「お? なんだこれ?」

「ルル? なんか光ってますね」

「あら? 何かの罠かしら?」

「ラース様!?」


 光は次第に輝きを増していき――弾ける。

 そうして、ラースとそれに引っ付いていた謎の女の姿は消え去った。


「ふぅ」


 これが私のダンジョンにおける特権。その裏技だ。

 私は自身のダンジョンで生まれた魔物をダンジョン内ならばどこにでも転移させることが出来る。

 それの応用で、私は魔物の肉体の一部を所持、もしくは付着している相手も転移させることが出来るのだ。

 それは、ラースが踏んでいた魔物の血も例外ではない。靴の裏に付着するだけでも、私の転移対象となる。


 奴を転移させた場所にはこの場所に連れてきていないラウンズが三人居る。ガイ・トロイメアを始めとしたラウンズの中でも精鋭の三人だ。ルゼルス・オルフィカーナとセンカの助力を得られぬラースなど、彼らの敵ではないだろう。



 さて……ではラウンズがラースを殺すまでの間、奴の召喚物とセンカの足止めをするとしようか。

 そうして私はラースが召喚した瘦せぎすの男を睨み――


「? 居ない? どこへ行った?」


 先ほどまで本を片手に楽し気にしていたあの怪しい男が居ない。


 ――とその時、周囲を覆っていた霧がどんどん晴れていっている事に気付く。

 私は周囲を見渡して先ほどの瘦せぎすの男を探す。


 だが――


「ひっ――」


 周囲にはあの男の姿はなく、幽鬼の如くゆらめく人型の影しかなかった。

 否。それだけではない。その影のすぐ傍には、コアを破壊されて今まさに滅びようとしているダンジョンの主達の姿があったのだ。



「もう……やめ……わたしは……なぜ……」

「許さん……絶対に……ゆるしてなるもの……かぁ……」

「この……クソ……がぁ……」


 後悔と、怨嗟えんさの声を上げて滅びゆくダンジョンの主達。

 それと同時にその者の横で揺らめいていた人型の影の姿も消えた。


 今のは……一体……?


「ご苦労」

「ひぃっ――」


 すぐ後ろから声をかけられ、一度ならず二度までも情けない声を出してしまう自分。

 振り返れば、先ほどまではいなかったはずのあの瘦せぎすの男がそこには居た。相も変わらず楽しそうに笑っている。


 先ほどまではその笑みに苛立ちと、不気味な物を感じていた。

 だが、今は違う。


 今、私がその笑みから感じているものは不気味なものと、そして――得体のしれない恐怖だ。


「これで我が主も存分に楽しんでくれることだろう。――さて、教皇よ。あなたの記憶を読む限り、配置された人材はまこと面白き存在のようだ。この場に居たラウンズ達も、貴方たちよりは面白い存在だった。いやはや、愉快愉快。これほどまでに重厚なドラマを私に魅せてくれて礼を言いたいくらいだとも」


「あ、あ、あぁ……」


 怖い。

 ただただ……怖い。

 迫力も、威厳も、何も感じられないこの男がひたすら不気味で、そして怖くてたまらない。


「ああ、すまない。少し昂りすぎたようだ。なに、そう怖がらないでくれたまえ。安心するといい教皇よ。私はあなたに何もしない。ああ、誓って何もしないとも。私はあなたに過去と向き合わせるだけだ。第二劇目以降は……そうだな。今回はカットさせて頂こう。私も我が主の奮戦と、そのドラマを鑑賞したいからね」


 男がそう言うと同時に、再び私の周囲を濃い霧が包む。


「さぁ、ラウンズの方たちは最高で第三劇まで到達して見せた。それを統べる教皇が第一劇を超えられるか……恐怖に縛られているようでは難しいと思うが奮戦を期待するよ。くくくくくくく。ははははははははは」


 そうして私の周囲を取り巻く霧は一層増し、一寸先すらも見えぬ白の世界が訪れた――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る