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 結局、先輩はそれ以上私の小説に対して感想を言わなかった。私も求めなかった。

 四時ごろにカラオケ打ち上げ会は終了となった。先輩がバイトだったからだ。

 ガタン、と自販機のペットボトルが打ち付けられるのを境に先輩は行ってしまった。私はコーラを取り出してごくごくと飲む。

 人の通りが激しくなって体感温度がじわじわと高くなっていく。それを、喉を過ぎたコーラが癒した

 底の厚いスニーカーに銀色のボタンが印象的な黒のスカート。ピンクのカーディガン。先輩の後ろ姿を見て思う。擬態している、と。

 もしかしたら私たちの方こそ皮を被っていて、先輩のあの姿こそ一皮剥けた姿なのではないかと思った。流石にそんなことはなかった。

 下風が吹き荒んでいた。

 家に帰ると雨が降った。ぽつりぽつりと降り始めて、一時間も経つ頃にはざあざあ降りになった。

 梅雨入りをしたそうだ。これから大学へ行くのが面倒くさくなる。

 私はそれから大学の課題を済ませて、自分の将来設計について考え始めた。自分のノーパソを適当にいじりながら、無駄にバッテリーを消費させていた。そろそろ真面目に公募に出さなきゃいけない。先輩に渡した小説をどこかの公募に出そうか、それともまた一から書き始めて締切に間に合う公募に出すか。そのどちらかだった。

 先輩の小説は六万字ほどだったので応募するには字数が足りない。十万字に届かせるために加筆修正するものではないと思った。あれはあの長さでちょうどいい。先輩の歌の巧さについて触れるべきではない。あの小説の先輩は、ロクでもなきゃいけない。

 そうすると新しいものを描かなきゃいけないのは必然だった。では、何を書こう。──何を書けばいい?

 つい最近まで、先輩に渡す小説で終わりだと思っていた節があった。と言うのも、それで私の著したいことは全て出来ていると思っていた。いわば青井雛という作家の完成形。

 でも、でも、今日魅せられた先輩の歌声を聴いて、私には何もないことを悟ってしまった。

 本当に、私には何もなかった。空っぽだった。何もなかったから、何もないことし書けなかった。何も持っていない先輩、何者でもない主人公。私の小説には、今まで芯のある主人公は存在しなかった。

 なぜならそれは私が何も持っていなかったからだ。思想に傾倒することもなく、ロックに生きることもなく。

 私に中身がないから、中身のある人間を書けなかった。

 なら本当に私には何もないのか、何か私を構成するものはないのか。考えた。

 ──秋風諷真だった。

 雨は一瞬の隙も逃さず降り続いている。ぽつ、と粒が窓に打ちつける。続いてさっきのよりも少し大きな雨粒が後を追うように窓にぶつかった。ぽつ、ぽつ、ダッダッ。

 私はぼーっとしていた。

 私が小説を書き始めたきっかけは? ──秋風諷真という憧れの人に小説を読んでもらうためだ。秋風が小説を書かなくなる理由になりたかった。秋風諷真は、好きな小説がないから自分で書き始めたと言っていた(あとがきで)。

 だから敬愛する秋風に、「もう小説は書きません。好きな小説家が出来たので」と言わせたかった。それが私の存在意義だと思っていた。それが私の生きている理由でもあった。

 しかし、今のところ私と秋風諷真の間に物語は発生していない。それが現実だった。

 確か、彼がデビューしたのは三年前だった。私が高校一年生の頃だ。それも二月とか三月とか。

 読んだ時は衝撃だった。これ以上の小説は考えられないと思った。それからだ。──私が秋風、秋風、と言うようになってしまったのは。

 宗教的なものだと思う。秋風諷真が教祖で、私たちファンは迷える羊だ。

 秋風諷真の描く人物は、何も持っていない。だから私もその手の作風に憧れて、一生懸命同じものを書こうと思っていた。しかし、違った。勘違いをしていた。彼ら彼女らは確かに何も持っていないクズみたいな人間だったが、教養があった。音楽の趣味も良くて、本もよく読んだ。

 私は秋風諷真の衝撃にやられたあまり、他の作家の本を手に取ることをやめてしまった。それが私の空虚さの全てなのだと思う。

 私のノーパソは、秋風諷真の本のレビューを映していた。高評価の山と一部の辛辣な低評価。気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い。

 ──私は、私は誰よりもファッションだったのだ。西宮先輩の生に執着のないキャラを演じることよりもずっと。秋風諷真のファンを装うただの一般人として、熱狂的なファンにおめかししていたのだ──。

「はははははははははははははははははははは、はは……はははははは。ははっ」

 右目からつう──、と涙が垂れた。何の涙かわからなかった。自分の小説のキャラの涙なら、手に取るようにわかるのに。

 私は頬に溶けた涙を拭う。涙は口元まで伝っていて、悔し涙の味がした。

 私は、小説は自分を削って書いている。だから私生活で嫌なことがあると筆の進みは速いし、上手く書けた──気がしていた。

 そんなはずはない。自分の生身を削った文章なんて、雑味しかないだろう。要は削りカスなのだから。

 私は──秋風になりたい。秋風諷真になって、秋風の小説にあなたが書いた小説に意味はないよって言いたい。なぜなら私がその小説を書くから。

 そんな願いが肥大化した今、私と秋風諷真の差を思い知った。

 今も雨は止まない。

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