第7話 ライアーライアー
「殿前くん、ちょっといい?」
部室を空にする前に顧問の弓月智景がやってきた。
スーツ姿はしっかり馴染んでおり珈琲豆のような色合いのロングヘアーをきゅっと一本結びにしてるのが、家庭教師のお姉さんを想起させ親近感が湧く。
黒いリボンと薄化粧が乗った顔立ちは幼く、僕らはフランクに話しかけることが多い。
「チカゲちゃん、ウチらもう帰るんですけどー?」
「ちょっとだけ!お願い!!」
「僕はいいですよ、眞姉も愛華も昇降口で待っててよ」
「怪しいにゃ~」
「行こ、姉さん」
姫宮姉妹を退散させて、蛍光灯の明かりが目立つ部室に二人きり。
足音が遠のくのを確認した智景は内鍵を閉め、サッとこちらに寄ってくる。
「で、どうでした!?」
目を輝かせ早く教えてくれと願う眼差し。
僕は正直に言った。
「うーん、個人的には悲しい話だと思いました」
「そう?」
「最後、あのツバサくんが女の子に耽るような人間になっちゃって、それでも彼女は愛して、歪かなーって」
「それが彼女にとっての復讐だったんじゃない??」
智景は真剣な顔で割り込んでくる。
「どういう意味ですか?」
「あのツバサ―――真っ直ぐでどこまでも穢れのない少年が色欲の赴く限り快楽に傾倒、溺れ死ぬなんて思ってもみなかったでしょう?」
「まぁ外面は完璧超人ですからね、最後まで悪い噂も立たなかったですし」
「そう!それでも他人を私欲のために抱き続けた・・・恋人がいるのに!」
智景の呼吸は荒くなり、雨音よりも激しくなってくる。
「そんな彼を変えたのは誰?最後まで上の立場から操って支配してたのは?」
「他ならぬ主人公の力があったからでしょ?」
語気がどんどん強くなっていく。
その勢いに気圧されジリジリと追い詰められる。
「あれはある意味で、彼女にとってのハッピーエンド、幸せな話なの」
「今までいじめてた女はツバサに骨抜きにされて、大人しくなったじゃない?」
「そのチャンスを与えて転がしてたのは彼女、最高の復讐劇だと思わない?」
「弓月先生、僕が書きたいのは純愛なんです、あんなインモラルな―――」
「純愛だったでしょ??物語の主人公がヒロインと愛し合ってたんだから??」
いつもの感じじゃない。
これは昨日の旧校舎の様子と同じで彼女は何かに取り憑かれている。
遂に背後の棚にまで押し遣られ、智景は抱えていた物を机の上に置くとまた昨晩のように―――。
「本当はツバサくんの生き方、羨ましいって思ったでしょ?」
「っ・・・」
湿気に混じる雌の香り、誘蛾灯を前にした虫のように引き寄せられて身体のコントロールが利かなくなる。
「そりゃ男なら誰だって」
「君にも出来るよ、彼みたいな生き方」
「けれどあくまであれはフィクション、君は君なりのやり方をとればいい」
「好きな人は出来た?彼女みたいな?それとも先生が代わりを務めようか?」
優しい息遣いと艶めかしい声色に耳が支配される。
そして夢のシチュエーションが蘇ったように、あの充血が始まった。
「大丈夫、凛久くんは凛久くんだから、いっぱいいる女の子とデートを重ねて一人選べばいい。それって贅沢な純愛でしょ?きっと大作になるって。悪いことじゃないって」
甘い囁きが凛久を洗脳し、その凶刃は彼の弱き部分に伸び始める。
男性が掴まれれば屈服してしまうのは胃袋でも心でもない、とどのつまり
「眞ちゃん、可愛いよね?きっと凛久くんのことが好き」
「愛華ちゃんはそれ以上に君をエッチな目で見てる。分かるんだ、同性だから」
「英玲奈さんはあまりここに訪れないけど、口を開けば君の話になる」
「亜希ちゃんもそう、凛久くんに期待してていつか脚本を書いてくれないかなって言ってた」
「ね?君の周りにはこれだけの女の子が居るんだよ?」
「もうどうすればいいか分かるよね?」
ふるふる震える身体、自然と力が籠る握り拳、葛藤する奥歯。
「大丈夫、先生もちゃんと瑠衣くんに協力してあげる、後悔なんてさせないから」
本当はこんなはずじゃなかったのに、ただノートの感想を話し合うだけだったのに、
魔性の魅力に抗えなくて、伸びてくる蛇のような舌先を、
僕はまた、いとも簡単に、呆気なく、堕とされてしまった。
♦♦♦♦
「チカゲちゃんとリク、遅くない?」
降り頻る雨雲を気怠そうに見つめる眞。
私は読んでいた文庫本を閉じ、スマホを弄り始めた。
が、集中できない。
注意が散漫というか、胸に言いようもない不安が訪れている。
あのノートのことが頭から離れない。
もし仮に、彼の小説『禁色』に内容が似ているのであれば凛久はどう思う?
感銘を受けるのか?
第一どういう目的で智景は渡したんだ?
(あるとするのならば―――)
愛華も姉に倣い煩い雨空を見上げる。
(考えすぎだよね)
あの凛久に限ってまさか何か一線を越えるような行動は出来ないだろうし、ノートに感化され享楽に浸ることなんて絶対に無い、長年一緒にいるから分かるんだ。
「もう少し待つ?」
「アタシ見てこようかな」
「その前に、さっきは大丈夫だった?あの場じゃ流石に聞けなかったし」
先程の喧嘩?の場面、和解したのかどうか一部始終を見てないから分からないがどうなったのだろう?
「んー?ちゃんと謝ったよ?」
「謝ったって・・・姉さんは魁人先輩とその・・・」
姉妹とはいえ踏み込めないこともあるし言い淀むが、
「―――じゃないとリクとアイカ、くっつけないでしょ?」
「え?」
不意に響く地の底から這い出たようなドス黒い声。
本当に姉が言ったのかと驚き彼女を見る。
(っ)
物凄い、怒りや憎しみが籠った凄まじい睨み。
人にこんな殺意をぶつけられるのかってぐらい、今にも取って食われそうな鋭い眼光。
「ん、どしたの?」
瞬間、けろっと表情が戻る。
「(見間違い・・・?)別に」
「いやさ、魁人のヤツあまりにもしつこくてさ~!あでもこのことはアイツには絶っっっ対内緒ね?リクの前でも蒸し返すの禁止!」
変わらない、いつもの明るい姉だ。
それでも目の前の事実に未だ疑いは残る。
(眞だって凛久のこと、好きなはずなのに)
胸の奥がキューンと攣り息苦しくて胸を撫でた。
「大丈夫?」
「なんでもないわ」
魁人は高校で出会ったと話していた。
一年の始めからすっかり仲良くなりよく遊びに出掛けたと聞いていた。
中三の頃に一度紹介され軽薄そうだが悪い人ではなくて、眞の性格とも合いそうだなとは感じていたがまさかまさかそんなことがあったなんて。
(明日から見る目変わりそう)
尚強まる雨足に妹としてどう対処すればよいのか分からない疑問を流したくなる。
足元の排水溝に全部を吐き捨てられれば、また昨日みたいな居心地の良い文芸部に戻れるだろうか?
「ねぇ、あんまさ、気にしないでよ?二人ともその・・・合意の上だから」
「・・・うん」
「やっぱアタシ見てくるよ!ごめんだけどちょっと待ってて!」
心成しか物悲しそうな空気を含んだ足音が背中に響き、直ぐに聞こえなくなった。
ギュゥゥゥ・・・
姉の立場に立った私は、救われない心にただ、咽び泣きたくなっていた。
そして、金輪際この話題は振り返らないし、記憶の片隅から消そうと決めた。
♦♦♦♦
妹に、とても大きな嘘をついてしまった。
人気のない校舎、残っているのは一階の共有スペースで内練をしている運動部か、一部の文化部のみ。
一階から四階までの階段を息を切らしながら上る眞に後悔なんてなかった。
(だってアイカは、この気持ちもっと昔に伝えてたじゃん)
二人は覚えてないかもしれないが、小学生の時にアタシの家で愛の告白を交わしたんだ。
それは幼馴染にとっての幸せ物語のスタートラインであり、ピークに回収される伏線。
間近で目撃した読者の脳裏には未だ鮮明に刻まれている。
(でももう、読者じゃいられない)
例え作品の根幹を壊そうとも、介入させてもらう。
今回凛久に恋愛をテーマとして書かせようとしたのも、愛華との仲を深めてもらうためだ。
彼女が今朝勇気を出したのは予想外だが、それならそれで打って出る。
好きに理由なんてない、
不器用で不気味な計画を抱く彼女は長い廊下を駆け抜けて、やっと部室に辿り着いた。
(明かり点いてる)
擦りガラスの向こうにはまだ暖かみのある光が広がっていて、よくよく覗くと蠢く影も認められた。
(えっ)
中から聞こえる話し声、ドアをノックする前に気付いた違和感。
モザイクの黒い物体は奥の棚にへばりつくよう固まっている。
そしてその天辺がずり下がると、もう一つの黒い塊が浮き出てきた。
(いやいや嘘でしょ?)
よくない妄執が一瞬で眞の脳内を侵食し、叩く寸前の拳を下ろす。
見続けたい欲と、止めなければいけない欲が、天秤にかけられた。
(っ)
滝のように流れ始める汗、乾く口内、耳鳴りが鳴り響く。
ドックン!ドックン!
心臓の鐘の音が最高潮に達した時―――――――――、
アタシは――――――――――――・・・。
♦♦♦♦
今回はここまでです、読んでいただきありがとうございます。
ほぼ毎日更新でやろうと思いますので、明日もお楽しみに。
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作者Twitter https://twitter.com/S4EK1HARU
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