第6話 バニラアイス・シンドローム

「わり、俺先帰るわ」



 放課後、部活動終了のチャイムが鳴る前に魁人が帰り支度をする。


「おつかり~」

「お疲れ様です」

 ウチの部は良くも悪くも自由活動なので魁人や他の部員が来ない日も多く、こうして途中で帰る日も少なくない。


「凛久、とりあえずまた連絡するわ」

「はい、お願いします」

 そのまま急ぐように文芸部から走り去っていった。


「・・・またコレですかねぃ」

 眞はギロリと目を光らせ小指を立てる仕草をとる。


「こんな雨の日に?」

 驚異的な集中力で本を読み進める愛華は窓の外を一瞥し、再び活字に目を落とした。

 窓の外は灰色のカーテンがかかっており、誰かと出掛ける気も起きないくらいに地面を濡らしている。



「そいやリク、朝言ったよね?カイトには気をつけろって」



 不意に彼との約束を指摘してくる眞。


「大丈夫だよ、ただ参考話を聞くだけだから」

 そう、何事も使いようなんだ。

 僕が魁人から女性との付き合い方の仕組みを教わって、それを彼のように使うのならば眞の言い分も理解できる。

 しかしそれ以外なら何も言われる筋合いはないだろう。


「でも―――」

「眞姉は魁人先輩に何かされたの?」

「・・・」

「なっ」

 驚いた、こういう場面では嘘をつかず白黒ハッキリ言う彼女が都合悪そうに黙ってしまった。


「・・・ふーん、何かあったんだ」

 僕は俯きながら平静を装ってチクリと呟く。


 愛華も初耳だったのか、尋ねるように眉を顰め眞を見遣った。



「そりゃさ、なかったら言わないでしょ」

「!!」



 彼と彼女は一線を越えたんだと認識した凛久は奥歯をギリリと噛み締めて、ゆっくり席を立ちあがった。


「ちょっとトイレ」

 そしていてもたってもいられなくなり部室から飛び出した。


「あ待って!!」

 眞はその背を追いかけ、一人蚊帳の外の愛華は部室に取り残されることに。


 まるで嵐が過ぎ去ったかのように、大きな地震が終わったかのように、全身にヒリつきだけを残し・・・。


 ♦♦♦♦


「リクってば!!」


 背後の追い求めるような叫びに耳を貸さず男子トイレに駆け込む凛久。

 この辺りは女子が所属する部活が多く男子トイレは沈黙に包まれているから現実逃避するには最適だった。



(なんなんだよ!!)



 換気中なのか窓は全開になっており、雨音に激しい呼吸を馴染ませて個室に入る。


 どうしてか分からない嫉妬と喪失感、また魁人にしてやられた、先を越されたっていう男としてのプライドが矮小な童貞の心を刺激する。


 一昔前ならば、眞に彼氏がいるというのを知ったのならば祝福する気持ちの方が大きかったかもしれない。


 しかしこれはそんなレベルの惚気話じゃない。


 妙な助平心が開花させられたせいで顔見知りが誰かとそういうことをしただとか、付き合ってるということに過敏になっている。



 姫宮姉妹には縁のない話だと思ってたのに、現実はいつも予想を越えてくるんだ。



(魁人先輩が・・・眞姉と・・・)


 あの軽薄で容姿だけしか取り柄のないような男に抱かれた?

 そんな邪推をしてしまう自分が嫌いになるが、これこそが男の性なんだ。

 どうでもいい女ならどうでもいい、でも思った以上に眞は大切な存在だったらしい。


(僕と智景先生みたいに、二人も・・・)


 激しい嘔吐感に襲われ洋式便器に蹲るが出るものも出ず、便器の水溜まりに滴り落ちるは数滴の涙。



 こんな気持ちになるのならば、嘘をつかれる方がマシだった。



(なんて自分勝手なんだ!)

 そう思ってもこの異様な感情の時化は静まらない。

 焦燥感と倦怠感が入り交じる最悪なコンディション。


(どうすりゃいいんだよ・・・)


 自分の気持ちにまだ整理がつかず、あの場から敗走したことに忸怩たる念を抱く。

 明日彼と顔を合わせた時どんな面持ちで挨拶すればいい?



 殿前凛久にとって、


 初めての精神的敗北の瞬間が今ここに、訪れた。



 ♦♦♦♦



「リク?」



 個室の外から聞き馴染みのある声に呼ばれ、僕は情けない雫を手首で必死に拭い、声の震えを悟られないよう浅く静かに深呼吸をし、波が落ち着いた瞬間に答えた。


「なに?」

「ちゃんと話がしたくて、ここ開けて?」

 狭く薄暗い空間に眞の必死の想いが木霊する。

 凛久はそれでも考える時間が欲しくて、黙ることしかできなかった。


「・・・」

「さっきのカイトの話、嘘なんだ」

「・・・は?」

 ドアの向こうに立っているのか足元に影が見える。

 吐き出された声が障害物に反射しくぐもったように響いてくる。


「だから開けて?」

 いつもの快活さはどこにいったのか?

 しおらしく悲しそうな願いに僕は、


「・・・」ギィ


 いじけながらも応えることにした。



「・・・ごめんね」



 開いた先に佇む見慣れた顔。

 まるで不幸があったかのように目を背け口をモゴモゴと蠢かしている。


「嘘って・・・」

「リクの気を引きたくて、言ったことなの」

 眞は一歩足を踏み込むと、個室に僕を押し戻し背後の鍵をしっかり閉めた。



「来週のアイカとのデート、取り止めにできないかな」



 彼女は昨日の智景と同じくらい近い距離で僕の両肩に手を乗せ、そんな無茶なことを言ってくる。


「駄目だよもう約束しちゃったし」

「お願い」

 たじろぐ凛久。

 眞の胸先が当たるのが耐えられない。


「どうしてそんなこと言うの?」

「・・・リクはアタシがカイトと何かあったって思って、嫉妬したから怒ったんだよね?」

「・・・」

「アタシも同じ」

 フッと表情が柔らかくなり、困り眉で微笑みかけてくる。

 嬉しいような悲しいような複雑な心情が入り交じった表情。



「アタシね、リクのことが好き」



「っ」

 薄々感づいていたことでも、面と向かって言われると気恥ずかしさが目立つ。


「アイカもリクのこと、きっと好きだと思う」

「でもリクは一人しかいないわけだし、お互い好きだとしょうがないでしょ?」

「だから抜け駆けしないようにって暗黙のルールを敷いてた」

「実際リクは中学の時他の子に片思いしてたわけだし」

「いつかどっちかが実ればいいねなんて、悠長に構えてたけど―――」

 肩に籠められた力が一層強くなる。


「アイカがああ言った以上、アタシにもチャンスを頂戴!!」


 白桃のように染まる頬に高まる叫び。

 もし愛華が廊下で聞き耳を立てていたら聞こえてしまいそうなほどの悲痛な願い。


「アタシはお姉ちゃんだから我慢できる、二番目でいい」

「あの子とリクが交わしたもあるから、もし付き合うのならキッパリと諦める」

「けどそれまでは、もう普通の関係じゃいたくない、いられない」

 切なそうに顔を顰める眞。

 僕は思い切って尋ねることにした。


「・・・なんで僕のことが好きなの?ただの幼馴染なのに」


 どんどんと近づく鼓動の音。

 彼女の乳房は潰れたパンのようにもっちりと柔らかに押圧され、曲がったネクタイの裏に潜んでいたボタンの隙間から血色の良い谷間が映し出される。



「そんなの・・・リクだからに決まってるじゃん」



 姫宮眞は妹よりも一歩前に、歩みを進めた。



 ♦♦♦♦


 智景とは違う感触、不器用に遠慮がちで尻込みしているような甘い交わり。

 脳が蕩けてしまいそうなほどに興奮している。

 二日連続でこんなこと、あのノートのお陰だろうかなんて考えるが実際のところは分からない。



「・・・初めてだった」



 震える唇に達成感を孕む瞳。

 僅かばかりに彼女のほうが背が高く、見下ろしてくる視線は愛おしそうに潤みきっていた。


「アイカにも悪いし、リクにも悪いよね」


「そんなこと」


「いいの―――アタシはリクの、都合の良い女でもいいよ」


 まるであのフィクションをなぞるかのように移りゆく展開。

 背筋に走る悪寒に心騒めく。


「ほんのちょっぴり、好きって気持ちがあれば嬉しいから」


 両頬をしっかり押さえられ、目の下を擦られる。


「このこと、アイカにも誰にもナイショね?」


「うん・・・」


「ふふっ、二人だけの秘密」


 眞は個室のドアを静かに開けると、深呼吸をし態度を切り替え表に出た。


「心配させちゃってごめんね、カイトとはただの腐れ縁で何もないよ」


「信じるよ」


「初キスはどうだった?」


「・・・すごかった」


「アタシも!さっ、戻ろっか!」


 いつものように明るくなって、暗い雰囲気はどこかに吹かれてしまったらしい。



「・・・」



 僕にだって嘘をついた罪悪感はある。

 でもそんなことで一々立ち止まってたら恋愛なんて出来ないはず。





 最後までこの嘘と向き合い、背負い、生きていくんだ。





 ♦♦♦♦


 今回はここまでです、読んでいただきありがとうございます。

 ほぼ毎日更新でやろうと思いますので、明日もお楽しみに。


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