ホラーによる癒しについて

 昔、ホラー系の小説を執筆していると、なぜホラーなど書くのだ?

と聞かれたことがある。

 自分なりの解としては、癒しではないかという説を持っており、ホラー小説を読むのが好きな人に、ホラーを読むのが癒しだと言っていた人もいた。

 読む側の癒しは、確か非日常を体験すること。恐怖による緊張から、解放されることではという話だった。


 対して書くことに着目して、執筆がなぜ癒しになるかと考えてみる。

 自分の中にある恐怖や、不安を形にするという執筆という行為は、不定形であったそれらに形を与えるプロセスであり、未知から既知にするということだろうか?

 不定形な不安や恐怖といったものに明確な形を与えることは、自分の中にしか存在しない主観から、誰もが見れる客観となる。自分の中から存在しないそれらを切り離すこととなり、結果、毒抜きデトックスにつながり癒しになるというわけだ。


 これはわからない出来事に対して、妖怪や、妖精という概念を作り出した行為に似ている。

 決してコントロールできない自然に神という神格を与えるとかもそうかもしれない。


 ハワード=フィリップス=ラヴクラフトも、もしかしたら自分の恐怖を形にしようとしたのかもしれない。

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