第7話 影を見る

「これ、よかったら」


「……どうも」


 洋平は近くにあった自販機で買ったお茶を美羽に手渡す、ベンチに座った彼女は軽く頭を下げお茶を受け取った。

 音切美羽おときりみうは聡の一つ下の妹で、洋平と同じ高校に通っている。

 紺色のブレザーとチェック柄のスカートを身に着けており、茶髪のショートヘアと大きな三白眼は強気な印象を周りに与える。

 洋平は少し美羽の事が苦手だった、親友の妹という事に加え一つしか年が違わないため昔はよく三人で遊んでいた。

 だが年齢を重ねるにつれ、少しずつ遊ばなくなり洋平と聡が中学校に上がる頃には全く会わなくなっていた。

 洋平は同じ高校に美羽が入学した事を知っていたが、少し懐かしく思っただけで特別会おうなどと考えた事はなかった。


「こんな所にいていいのか? 確か今は火葬中じゃ?」

 

 斎場入り口に置かれていた案内によれば、今は火葬を行っているはずの時間だ。公園が火葬場から離れていないとはいえ、妹が兄の火葬中にこんな所にいる事が洋平は疑問だった。


「結構時間かかるみたいですし、それにあそこの雰囲気……苦手なんで」


 貰ったお茶を飲む美羽は兄が死んでから、家の中に漂う雰囲気を思い出していた。

 

 

 聡が死んだ事で音切家の日常は完全に崩壊した。

 息子を失い、両親は毎日気分が沈み込むようになった。食事は喉を通らず、何もする気にもならない、ただ頭の中を息子の死という大きな悲しみの感情に支配されていた。

 家族での会話も減り、家の中にはただひたすらに重く冷たい空気が流れる。母親は息子の事を思い出し、唐突に泣くようになり、父親もそれを励ましながら泣いていた。


「何て言ったらいいんですかね、とにかくあの重苦しい雰囲気が嫌で。まあうちは兄貴中心に回ってたみたいなものなんで、みんなが悲しむのも無理ないかなとは思いますけど」


「……聡は良い奴だったからな」


「そうですね……ほんと良くできた兄貴でした」


 美羽のどこか他人事のような、冷めた言い方が洋平は気になった。

 話し始めた時から、彼女はあまり悲しんでいるようには見なかった。泣くわけでも、落ち込んでいるわけでも無いような冷めた態度を崩さない。


「美羽ちゃんは聡の事、嫌いだったのか?」


 その問いに美羽は顔を上げると、少し小馬鹿にしたような笑みを口の端に作った。


「久しぶりに会った相手に、ずいぶん思い切った事を聞くんですね」


「ご、ごめん! その……俺」


「別にいいですけど」


 美羽は怒るわけでも無く、先ほどと同じ笑みを浮かべたまま洋平を真っ直ぐに見た。


「嫌いでしたよ」


「え?」


「私ずっと嫌いでした、兄貴が。明るくてスポーツができて、みんなの中心にいる兄貴が嫌いだったんですよ。お父さんもお母さんも兄貴が好きで友達もいっぱいいて、親戚なんかも家に来る度に褒めて……」


 洋平の記憶の中の美羽は、兄の事が好きな妹という印象があった。

 だがそれがどうやら誤りであったという事に、洋平は気づかされた。


「……ああすいません、洋平君は兄貴と仲良くしてくれてたんですもんね」


 洋平は何も言えなかった、美羽が吐き出した言葉はもしかすれば自分が言っていたかもしれない言葉だったからだ。

 聡というあまりにも大きな存在、友人と妹という立場の違いはあれど二人の視点は非常に近い。

 彼女もまた洋平と同じ凡人だった。


 運動や勉強が特別できるわけでも無い、両親は兄妹に分け隔てなく愛情を注いでいるつもりだったが、美羽からすれば自分よりも優れた兄の方を両親が愛しているのは目に見えて明らかだった。

 

 美羽の長所を一つ上げるならば、その容姿だった。

 確かに強気で近寄りがたい雰囲気はあるがその容姿は高校では評判で、全学年で誰が一番かわいいかという、男子学生の議論の中で必ずその名前が挙がるほどだった。

 だがそんな容姿を持った美羽が家族の中で確固たる地位を築く事ができないほど、聡は大きな存在だったのだ。

 

 洋平は美羽の言葉を聞き、考える。

 果たして自分は聡の事を胸を張って友人と言っていいのか、時を重ねる中で自分とは大きくかけ離れた存在の友人に嫉妬や嫌悪の感情を抱いた事は無かったか、と。


「もう一度聞きますけど、兄貴は良い奴でしたか?」


「……ああ」

 

 洋平は自分の中の黒ずんだ感情から目を背けた、妹とはいえ自分を庇い挙句の果てに神の贄にされた友人を悪く言う人間に同意する事が、洋平には不義理に思えて仕方なかったからだ。


「なら良かった」


「……聡は美羽ちゃんとも仲良くしたかったんじゃないのか」


 洋平は聡が妹にクレープを買って行くと言っていた事、それを渡せない事を謝ってほしいと言っていた事を伝えようとした。

 

「あの日もクレープ買って行こうとしてた、あいつは最期まで美羽ちゃんの事を……」


「……やめてください、最期の言葉なんて聞きたくない」


「でも……」


「ほんといいですから」


「……分かった」


 洋平はもう何も言えなかった。

 美羽に背を向け、その場を立ち去ろうとした。


「思い詰めなくていいですよ」


「え?」


「せっかく生き残ったんですから」


 振り返った洋平に美羽はそう言い終えると、顔を背けた。

 これ以上何も話す事は無いと言うように。


 洋平は何も言わず公園を後にした、一人残された美羽は大きくため息を吐きうつむいた。


「……嫌な奴」


 そう呟き、彼女は少しの間その場から動けなかった。





「おーい、元気?」


 歩く洋平の気分は重い。

 自分の暗く黒い部分を見たような、嫌な気分だった。長い付き合いの友人とはいえ、洋平は聡とは赤の他人だ。

 それに引き換え美羽は生まれてからずっと、聡と比べられて生きてきた。同じように劣等感を感じたとしてもそれは洋平の比ではない、美羽が兄の事を嫌いだと言い切るのも無理からぬ話だった。


 だがそれを大っぴらに言うような美羽に、洋平はあまり良い感情を抱かなかった。


「ねえってば、ヘコんでんの?」


「うるさい」


「ヘコんでる、ヘコんでる」


 洋平はマガズミとまともに話せるような心境では無かった、だがマガズミはそんな心境に配慮する素振りは無い。

 

「そんなヘコんでるアンタに朗報です」


「……何だよ」


「選択者が近くにいます、キリング・タイム二回戦開始って感じかな?」


「はぁ!?」


 洋平は辺りを見回すが人影は無い、耳を澄ましてみても鳥の鳴き声や車の音しかしない。


「近いって言ってもまあまあ距離はあるよ、ついさっき力を使ったみたいだね。どうする? 戦う?」


「……当たり前だ」


 洋平は走り出した、マガズミに案内され選択者がいるであろう場所へ向かう。

 人体を貫く感覚が蘇る、右手の僅かな震えを気のせいだと、自分に迷いなど無いと何度も何度も言い聞かせていた。


「一応聞くけどよ、相手って必ず殺さなくちゃいけないのか?」


「なに寝ぼけた事言ってんの? 殺し合いって言ったでしょ、情けなんかいらないの、どうせ選択者なんてろくなもんじゃないんだから」

 

 着いたのは先ほどの公園から徒歩二十分ほどの住宅地、マガズミが止まってと言い洋平は足を止める。

 閑静な住宅街にある大きな一軒家、洋風の門を開き玄関に近づいた。傷一つ無い木目の扉を開ける為、洋平は扉に付いているハンドルに手を伸ばした。


「何だ……!? これ」


 ハンドルがあった場所はグズグズに溶けており、鍵もハンドルもその役目を果たしていない。

 扉は僅かに開いている。


 ゆっくりと扉を開け中に入る、家の中は不気味なほど静まり返っていた。洋平は恐る恐る玄関の中に入り、更に奥へ行くために靴を脱ごうとした。


「アンタ何で靴脱いでんの?」


「何でってそりゃ、家の中に入るなら脱ぐだろ普通」


 耳元で囁いたマガズミに合わせるように声を潜め、そう答えた洋平をマガズミは笑った。


「安心しなよ、土足で入って怒る奴はいないから」


 マガズミの言葉を訝しみながら洋平は廊下を進む、フローリングの廊下には泥の靴跡が残されており、壁に飾られている花の絵は不自然に曲がっていた。

 靴の後を追って廊下を進み、洋平はリビングへ続く扉を開けた。


「うっ……」


 洋平は小さく呻き鼻を塞ぐ、扉を開けた途端二人の鼻を凄まじい異臭が襲った。

 あまりの臭いに洋平は涙を浮かべる、マガズミも口元はニヤついているが鼻を覆っている。


「酷い臭い、かなりえげつない能力みたいね」


 くっくっと笑う、マガズミと比べて洋平に余裕は無い。

 あまりの臭いで息がしづらい、部屋には食べ物が腐ったようなひどく気分を害する臭いが充満している。


「……誰だ?」


 か細い声に気付き、洋平はキッチンの方へ目を向けた。

 キッチンカウンターの向こう側に男が立っていた。グレーの色褪せたスーツを着た中年の男の頭髪は薄く、頬がこけギラギラと血走った目をしていた。


「おかしいな……息子はいなかったと思ったが……いやあいつなら隠し子の一人や二人いてもおかしくは無いな……そうだそうに決まってる」


 ブツブツと一人で喋りながら、男は宙を見つめている。

 あまりの薄気味悪さから、洋平は何も言えず立ち尽くしていた。


「ボケっとしてる場合じゃないわよ、あのおっさんが選択者。つまりアンタの敵」


「ああ……がそうなんだな?」


 血走った男の目が洋平を見た。


「そうか……そうか、なら殺さないとな」


 男はゆっくりとカウンターから姿を現した、先ほどまで見えなかった男の胸から下が洋平たちの前に現れる。

 そこで二人は、この悪臭の原因が男の手の中にあった事を知った。


 服装や体型からの性別が男性だという事は分かる、だがそれがどんな顔をしていたのかは思い描く事すらできない。

 男が髪を鷲掴みにして引きずっているそれの顔が、溶かされ完全に破壊されていたからである。

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