第6話 偽りの別れ
「本当に……何でも?」
奇跡を願ってやまない、弱弱しい者の声が部屋に響く。
静かな夜だった、見る者を狂わすような美しい月が夜空に浮かび、人の作った明かりなど必要ないとでも言いたげに夜を照らす。
もし誰かを殺すのなら、あるいは自分が死ぬのなら、こんな夜が良いと思ってしまうような静かで気持ちの良い夜だった。
「ええ、望むのであれば何なりと」
夜に溶け込んでいくような声が響く、奇跡を起こすだけの力を持った者の声が響く。無機質で感情を感じさせない声、だがその声は弱弱しい者にとって紛れも無い天啓だった。
「あなたは何を犠牲に、何を望みますか?」
奇跡を奪い合う殺し合い、足を踏み入れてしまえば二度と戻れない。
だが人は、目の前にぶら下げられた奇跡を無視できるほど強くない。
「叶えたい願いは……」
こうしてまた、一人。
ショッピングモールの惨劇から三日、心の傷が癒えぬまま洋平は聡の葬儀に訪れていた。
あの事件の犠牲者の中には、聡だけでなく他のクラスの生徒もいた。同級生を無惨に奪われた生徒たちの心理状態を考慮し、学校は一週間の休校となった。
そのため葬儀には親族の他にクラスメイトや部の先輩、後輩など多くの人間が参列していた。
受付を済ませ会場に入ると、会場内にできたいくつかの輪の中には入らず、洋平は部屋の隅でなるべく目立たないようにして式が始まるのを待った。
「よお、大丈夫か?」
声を掛けてきたのはクラスメイトの
少し浅黒い肌、端正な顔立ちと柔道で鍛えた肉体美から校内の人気は高い。
「あ……ああ、俺はどこも怪我なんてしてないからな」
「なら良かった、本当に……何て言ったらいいか」
雄一は洋平の体以上に心の心配をしていた、事件の詳細は分からないが事件現場の凄惨さは雄一の耳にも入っている。ドラマや映画でしか見た事の無い、それら創作物の中にしかあってはならないような光景が広がっていたと。
聡と洋平の仲の良さは、雄一も知っていた。
事件に巻き込まれ友人を失い、悲惨な現場を目の当たりにしたとなればそのダメージは計り知れない、洋平は心に大きな傷を作っていると彼は考えていた。
「ありがとな」
堂々とした体格に似合わない細やかな心、相手を思いやる優しさを雄一が持っている事を洋平は知っている。
「……力になれる事があったら言ってくれ」
「分かった」
雄一はそのまま元居た輪の中に帰っていく、雄一の心遣いを洋平は嬉しく感じていた。
それから程なくして始まった式は滞りなく進む、だが洋平は祭壇に置かれた聡の顔を見る事ができない。棺に花を入れる時も顔をわずかに逸らしながら入れる、涙する家族や友人たちを見ながら彼はずっと謝り続けていた。
全て自分のせいだと、自分のせいで聡の死を悼む心をその本人に届けられない事を。
式が終わり、洋平は外の空気を吸いたくなり会場を出た。
火葬には出ないため、そのまま帰っても問題ないがすぐ家に帰る気分では無かったので近くの公園で少し時間を潰す事にした。
天気が良く、緑の香りを含んだ風が舞う気持ちの良い公園に人影は無く、洋平はこれ幸いといった具合にベンチに腰掛けた。
「線香臭い、陰気臭いでろくなもんじゃないわね。葬式って」
ベンチに座った洋平の隣で、マガズミは鼻をつまみ顔をしかめている。
正直に言えば洋平も葬式は苦手だった、何度か親戚の葬式に行ったことはあったがどうしても慣れない。
大往生や高齢者の病死などならば、ある程度は仕方ないという雰囲気があった。だが亡くなった人間が若ければ若いほど、会場の空気は重い。
今回のように殺されたともなれば、残された家族の苦しみや悲しみは洋平のものとは比べ物にならない。
「あの聡は……作り物なんだよな?」
「そ、他の死体から少しずつ肉体をもらってアタシが作ったの。上手いもんでしょ」
「そうか」
マガズミは洋平がもっと自分に怒ると思っていた、他の遺体を繋ぎ合わせこねくり回し、泥人形のように友人の死体を作ったのだ。
友人の死を冒涜したとも取れる行為、更には『上手いもんでしょ』という自慢げな言葉に噛みついてくると思い、マガズミは構えていたが今の洋平にはそんな言葉尻を捉える余裕は無かった。
聡の死を悼んだ家族や友人たちの涙や思いを、あろう事か聡ではない何かに使わせてしまった。人と呼べるかも怪しい肉の塊、それを我が子のように友人のように弔わせてしまった事が洋平を苦しめていた。
「仕方ないんじゃない? あいつの死体は無い、空の棺に泣くよか少しはマシでしょ」
その言葉に答えずうつむいていた洋平は、自分に向かって近づいてくる足音に気付き顔を上げた。
目の前にはスーツを着た男が二人立っていた。
二人は刑事で、洋平とは病院で一度会っており本来ならばそこで話を聞きたかったが、あまりにも憔悴した洋平に事件の事を聞くのは酷だと思い、話を聞く事を先延ばしにしていた。
「……たしか病院にいた」
「今いいかな?」
二人が事件の話を聞きに来た、という事は洋平にも分かる。
その問いに頷き、洋平は立ち上がった。
「菅野だ」
「立花です、よろしく」
和夫は着古し色褪せたグレーのスーツを着ており、年は五十代くらいで顔に刻まれた深いしわと鋭い目付きから対峙した相手に近寄りがたい印象を与える。
優の印象は和夫とは正反対で、まだ新しめの黒のスーツと短く整えられた髪と穏やかな顔つきから非常に話しやすそうだ。
「捜査中に見かけたから声を掛けたんだけど……学校の時間じゃないの?」
「今日から休校なんです、それで友人の葬儀に」
優は歩いている途中、道に葬式がある事を教える看板が立っていた事を思い出した。
「そっか……そんな時に悪いんだけど、今日は事件の事を聞かせてもらっても良いかな?」
「……はい、大丈夫です」
優は事件のあった日の事を聞いていくが、洋平から特に目新しい情報を得る事はできなかった。
一通り形式ばった質問をし終え、メモを取っていた手帳を閉じる。
洋平に礼を言おうと思い、優は口を開こうとした。
「君は今回の事件の犯人、何だと思う?」
それまで一言も喋らず、話を聞いていた和夫が洋平に質問を投げかけた。
普通の人間からすれば、何を言っているのかと逆に聞いてしまいそうになる質問に洋平はすぐには答える事ができなかった。
事件の犯人は若い男で大量の刃物を用い、人の多い時間帯を狙って凶行に及んだというのが世間一般の認識だ。
だが洋平は知っている、あれがただの人間ではなくその枠から外れた者の仕業である事を。
「……質問の意味が分かりません」
洋平は二人に真実を話すつもりは無かった、仮に話したとしても事件で混乱しているか頭がおかしくなったと判断され、まともに取り合ってくれないのは目に見えていたからだ。
「そう……か、変な事を聞いてしまったな。すまない、忘れてくれ」
和夫は洋平に頭を下げ、振り返る事無く公園の出口に向かって歩き出した。
「ちょ……菅野さん! 洋平君、今日はありがとう!」
そう言って優も頭を下げると、和夫の後を追って走り去ってしまった。
その背中を洋平は、ただ黙って見送る事しかできなかった。
「菅野さーん、置いてかないで下さいよ……」
優が後ろから声を掛けても和夫は振り向きもしない、何かに集中していると和夫は周りの声が聞こえなくなる事がたまにあったため、優は置いて行かれた事に驚きはしたがそれに対して怒りの感情などは湧かなかった。
「立花、お前この事件どう思う?」
「どうって言われても……」
死者五十七名を出した未曾有の大事件、無差別に買い物客を襲い犯人の男は最後に自身に刃物を突き立て自殺、というのが警察の見解だ。
被害者の体に残された傷は、様々な種類の刃物によるもので男はかなりの数の凶器を所持していた事は、男の周りに散らばった十を超える刃物が証明している。
「通り魔的犯行と言ってしまえば簡単だがそれだけじゃない、この事件は妙な事が多すぎる」
「犯行開始から男が死ぬまでの映像が残ってない監視カメラ、鮮やかすぎる被害者の傷、あまりにも短い犯行時間とそれに見合わない被害者の数……確かに分からない事が多いですね」
「極めつけは通報者が口走った『怪物に襲われている』という言葉……上の連中はパニックを起こした通報者の言葉として片付けたが……」
「何か引っかかるんですか?」
「少しな、それにお前は犯人とされる男がどうやって死んだか……聞いたか?」
「確か自分の心臓を一突きでしたっけ? でも男の体に残された傷と一致する刃物が無かったんですよね」
菅野和夫という男は実に現実的な性格をしていた、捜査をする時も証拠を集め、現場を何度も訪れ、先入観や偏見を持たず実直に捜査を進める事で幾度となく事件を解決してきた。
そんな男の脳裏にわずかに浮かんだ考えがある、そんな馬鹿な、ありえない、そうやって否定する事は簡単だ。だが真っ白なシーツに一か所だけ黒いシミを見つけてしまった時のような、そんな胸のざわつきが和夫の中にある。
今までの自分を否定するような、どれだけ残酷な手口であっても犯人と被害者はあくまで人間、そんな当たり前を崩してしまうような考えが浮かんでしまった。
「なら徹底的に調べましょう」
「珍しくやる気なのか?」
「珍しくは余計ですよ、それにどうせ自分が納得するまで捜査するつもりなんでしょう?」
いい部下を持った、そう思い和夫は笑う。
二人は事件の話を聞くため、目撃者の元へと向かった。
公園に一人残された洋平は、和夫の言葉を思い出していた。
『君は今回の事件の犯人、何だと思う?』
洋平にはその答えが分かっている、犯人は人間ではない。
神と名乗る得体のしれないものにすがり付き、超常の力を使って他者を傷つける。
洋平はマガズミの事を化け物と呼んだが、彼に言わせればあの男も化け物に違いなかった。
「また難しい顔してる、どうせアンタみたいなのがあれこれ悩んだって意味無いよ?」
マガズミの言葉は正しい、洋平がいくら悩んでも事態は好転しない。
悩めば悩むだけ精神が疲弊する、それを分かってはいても彼は考えずにはいられないのだ。
先ほどの理屈で言うならば、自身もまた神を殺そうとする化け物なのではないかと。
「あ……」
何かに気付いたような声を聞き、洋平は声の方を見た。
そこには見覚えのある人物がいた、そしてその人物は洋平が会いたくなかった人物の一人だった。
「……美羽ちゃん」
そこにいたのは聡の妹、
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