第3話 量産型人間

 雨が降っている。

 強く強く、世界を水の底に沈めようとしているかのように雨は降り続けていた。


 時刻は夜の十時過ぎ、人の姿が無くなった道を一人の女が歩いていた。女の年は二十五、肩まである茶髪はよく手入れされており、グレーのスーツが良く似合う女だった。


 女は運が悪かった、休んだ同期の仕事を意地の悪い上司に押し付けられ、それを片付けていたらこんな時間に帰る羽目になってしまった。

 女にとってそれは腹立たしい事だったが、明日は有休を取っていたため何とか耐えることが出来た。


 明日は何をしようかと考えながら女は夜道を歩く、このまま雨が降り続けるなら家で映画でも見ようか、そんな事を考えながら歩いていた時だった。


 女は気配を感じ、足を止め後ろを振り返った。

 頼りない街灯が照らす夜道には人の姿はおろか、猫の子一匹見えない。

 女は自分の勘違いだと思い、再び歩き出した。


 だがやはり感じる、まだ何かが自分の後ろを付いてきている。

 女は歩く速度を上げた、歩きながら女は最近起きていた連続殺人事件を思い出した。


 ありえない、勘違いだと言い聞かせながら歩く女。

 ニュースを見てどこか遠くに感じていた事件が現実味を帯び、自分の後ろにいる感覚に襲われた。


 ヒールが折れるほど足に力を込めて歩く、自分に仕事を押し付けた上司、休んだ同期、こんな時間まで仕事をしていた自分、女は自分が全ての選択を間違えたような気がした。


 歩き続けもう少しで大通りに出る所まで来ると、急に後ろにいた気配が消えた。

 女が思い切って後ろを振り向くと、そこには誰もいなかった。


 女は自分の恐怖がいもしない誰かを作り上げたのだと思い、情けなさと安堵から思わず笑みを零した。

 女は再び歩き出す、大通りの明かりが見え始めた。遅い時間とはいえ大通りに出れば人もいるだろう、そうすればいもしない誰かに怯える必要は無い。


 女は友人に今日の出来事を、笑い話にして話そうと考えていた。


 次の瞬間、女の体が正中線に沿って二つに切り分けられた。

 安堵の笑みを浮かべながら、斬られた事にすら気づかず女の右半身が地面に倒れる。次いで左半身もその後を追うように、濡れたアスファルトに落ちて行った。


 最後の抵抗として、自らの体を切り裂いた犯人の鼓膜を悲鳴で振るわせることも出来ずにその短い生を女は終えた。


「サイッコーだな、この力」


 フードを深くかぶった男が笑う、大雨の中で傘も差さず体を濡らす男の両腕は、人の物とは思えない異形の形をしていた。

 

「何でも切れる、良い気分だ……!」


「私としても喜ばしい限りです」


 フードの男の後ろからもう一人、スーツを着た男が現れた。

 黒縁の眼鏡をかけたスーツの男はニコリともせず、無機質に手を叩く。


「ですがあまり目立つのは避けた方がいいかと」


「硬い事言うな、こんなすげえ力……手に入れて使わない方が無理だろ」


「それは失礼」


 男は足元に転がった女の半身を見る、男の胸に高揚感と全能感が広がっていく。

 頭の先から爪が入り、首、胸、腹を通って股から抜けていく感覚、肉や骨を自らの爪が抵抗なく掻き分け人体を両断する感覚は、男にとって身震いするほどの快感だった。


「明日はもっとたくさん殺すぞ」


 そう言って笑う男を、スーツの男は感情を感じさせない目で見ていた。


「頑張ってください、選択者たるあなたに神の加護があらん事を」


 男は地面に流れ出した女の血を踏みつけ、その場を立ち去った。





「また……雨か」


 洋平は横になったまま目を開けた。

 昨日と変わらない天井、屋根に当たる雨音、そして気だるい体、見慣れた朝の光景に洋平は少し安堵していた。


 ベットから体を起こし、まだ少し寝ぼけている頭を軽く回した。


「ボンディア~いい夢は見られた?」 


 マガズミは床に座って洋平の部屋にあった漫画を読んでいた、脇に積み上げられた漫画の数はマガズミが夜通し漫画を読んでいた事を洋平に教えた。

 洋平は自分がまだ夢でも見ているのではないかと、そう思いたかった。だが目を擦っても、頬を叩いても、漫画を読み続けるマガズミの姿は消えない。


「……お前、なんでまだいるんだよ」


「いやねーアタシも別の奴の所行こうかなーって思ったんだけど、漫画があったからさ、ついつい読んじゃった」


 マガズミは軽く舌を出して精一杯可愛さを振りまくが、洋平は冷めた目でしかその姿を見る事ができなかった。


「しっかしアンタの持ってる漫画、意外性が無いって言うか何というか、外れは無いけど新しい出会いも無いって感じのラインナップ」


 マガズミの言う通り、洋平の部屋にあった漫画はどれも有名な物ばかりで買っておけば間違いないという物ばかり、新たなジャンルを開拓するには不向きだった。


「だったら読むなよ、そんだけ散らかしてよくそんな事が言えたな」


「ま、続きが気になってたからいいけどね」


 洋平は神も漫画を読むんだなと思いながらベットを降り、マガズミを置いて洋平はいつものようにリビングへ向かった。


「おはよう、今日も早かったのね」


「まあ、うん」 


 朝食を用意する京子を横目に、洋平は洗面所へ向かった。


「おはよう」


 洗面所には、いつもいないはずの先客がいた。

 整えられた口髭、五十代には思えない肌の張りとセットされたオールバックは男を若々しく見せつつ、年相応の渋さを滲ませている。


「……おはよう、珍しいね父さんがいるなんて」


 洗面所にいたのは洋平の父、浩二こうじだった。

 

「そんなに不思議か?」


「忙しいって聞いてたから」


「仕事が思ったよりも早く片付いたんだ」


 浩二は洋平に場所を譲り、顔を拭きながら洗面所から出て行った。一人になった洋平は大きくため息をつく、自分が知らず知らず肩に力を入れていた事に今になって気付いた。


 浩二は口数が多い方では無く、どちらかと言えば不愛想な人間だった。

 だが大手商社に勤め、家族を経済的な面で支えている浩二を洋平ははっきりと言葉にした事は無かったが尊敬していた。


 だが父親としての接点があまりにも少ない、学校行事も来たことが無ければ遊園地などに一緒に行った記憶も無い。

 だからこそ洋平は、思いがけず久しぶりに会った浩二を前にして上手く肩の力を抜いて話す事ができなかった。


 リビングに洋平が戻ると浩二は椅子に座って新聞を読み、京子はいつもと変わらない様子で食事を並べていた。


 洋平はテレビを点け、浩二の前に座る。

 テレビでは中年のアナウンサーがいつもと同じ、感情の無い声でニュースを読み上げていた。


『また新たな犠牲者が出ました、被害者は……』


「……また? ちょっと洋平、あんたもなるべく早く帰ってきなさいよ? 遅くなるならせめて連絡して」


「分かったよ」


「それからあなたも夜に帰ってくるなら連絡入れて、昨日は本当にびっくりしたんだから」


 浩二が帰って来たのは昨夜十一時頃、物音で目を覚ました京子が見たのは風呂に入ろうと寝室で準備をする浩二の姿だった。

 悲鳴こそ上げなかったが、その驚きは相当だった。


「ああ、すまん」


 そうして始まった食事は洋平にとって少し居心地の悪いものだった、あまり噛まずにご飯を飲み込み、舌を痛めながら味噌汁を飲み干した。

 食事を終え、部屋に戻るとマガズミはまだ漫画を読んでいた。


「行くの?」


「お前いつまでいるんだよ、こんな所にいたら母さんとかに見つかるぞ?」


「問題なっしん~」


 漫画を読み続けるマガズミを放置し、洋平は制服に着替え準備を進める。

 いつも家を出る時間より十五分も早く用意が終わった。

 

 洋平が階段を降りると、昨日と同じように京子が傘を持って待っていた。


「気をつけてね」


「分かってるって」


 靴を履いた洋平が傘を受け取ろうと振り向くと、京子だけでなく浩二も見送りにやって来た。


「……気を付けて行け」


「……行ってきます」


 少しぎこちない挨拶を交わす二人を、京子は微笑ましそうな目で見ていた。洋平が出て行った後、京子が背中を軽く叩くと浩二はほんの少しだけ口角を上げ、何も言わずにリビングへ戻る。

 その後を追う京子の顔は、いつも以上に晴れやかだった。



「中々ダンディな父親じゃん、母親も悪くない。それなのになーんでアンタはそんなになんも無いかねえ?」


 部屋に置いてきたはずのマガズミは、いつの間にか洋平の隣にいた。

 マガズミの放った言葉は鋭く洋平の心を貫いた、浩二は優秀な商社マン、京子も美人とまでは言わないでも、愛嬌のある気立ての良い女性だった。


 だが洋平には何も無かった、勉強も運動も並で愛嬌があるわけでも無い、誰かに褒められるような目標も夢も無い、ただ何となくで生きているだけの人間だった。


「この黒髪! 不細工でもイケメンでもない顔! 中肉中背ボディ! マジ笑える、THE普通って感じ? ほんっと量産型」


 洋平の体を触りながらマガズミはゲラゲラと笑う、洋平には特徴が無い。唯一あるとすれば人よりも若干切れ長な目が特徴だが、それも大きな個性とは言えなかった。


「うるさい」


 洋平はイライラしながら道を歩く、その時ふと隣を歩くマガズミが気になった。


「……濡れないのか?」


 その言葉はマガズミにとって意外だった、さんざん煽り散らした相手が濡れるかどうかを洋平が心配するとは思っていなかったからだ。


「相合傘なら別の相手を探して、アタシはアンタの傘には入れない」


「そうなのか? 初めて会った時のサイズならまだしも、今だったら入れるだろ?」


「大きさの話じゃない、生き方っていうか存在としての違いよ」


 洋平はマガズミの言葉を深くは考えず、学校へ向かった。




「おっす、昨日はどうだった? ちゃんと見つけられたか?」


「ああ、ばっちり見つけたよ」


 聡はいつもと変わらない様子で声をかけてきた、洋平もマガズミの事には触れず返事をする。


「じゃあ早速で悪いんだけど……」


「丸々写さないでくれよな」


「さっすが! 終わったらすぐ返す!」


 聡はプリントを持って自分の席に戻り、凄まじい勢いで洋平のプリントを写し始めた。

 そうやっていつも通りの洋平の日常が始まる。


 だが、洋平の頭にはマガズミの言葉が居座り続けていた。

 願いを叶えるための戦いキリング・タイム、その参加に必要な贄について、洋平はもし自分に何か願いがあったのなら一体何を望んだのか、何を犠牲にしたのか、出るはずの無い答えを探し続ける。

 

 そのせいで上の空気味だった洋平は、教師の質問に答えられずクラスの注目を何度か集めてしまった。


 

「洋平、悪いんだけど買い物に付き合ってくんね?」


 放課後、聡に頼まれ二人で近くのショッピングモールに行くことになった。

 洋平が昨日の今日で怒られるかもと思いながら京子に連絡すると、思ったよりもあっさりと了解の連絡が帰って来た。


 ショッピングモールに着くと聡が欲しがっていた剣道用品を買い、二人は最近話題になっていたクレープを食べていた。


「俺の奢りだ、遠慮せずに食ってくれ!」


「じゃあ遠慮なく」


「うめえ! おい洋平、これめちゃくちゃうめえぞ!」


「さすが話題になるだけはあるな」


 楽し気にクレープを食べていた聡の手が止まった。


「なあ、なんかあったのか? 今日なんか変だったからよ」


 聡の言葉に洋平の手も止まった。

 もしかしたら聡なら、自分が捜している答えを教えてくれるのではないか。そんな淡い期待が洋平の中に生まれた。


「……聡にはどうしても叶えたい夢ってあるか?」


「あるぜ」


「その夢を叶えるために犠牲が必要でもか?」


「もし何かを犠牲にしなくちゃいけなかったとしても、俺は迷わない。俺にとっては何よりも価値のある夢だからな」


「……そうか」


 やはりこれが差なのだろうと洋平は思った、聡の様に夢や目標の為に決断し進めんでいける人間と自分のような何も選べない人間との差だろうと。


「やっぱすげえよ聡は、俺にはお前みたいに夢とか目標が無いからさ」


「なら今からでも見つければいいんじゃねえか? 案外すぐ見つかるもんだろそういうのって」


 根拠の無い楽観的な聡のアドバイス、だがそれが洋平にとっては何よりの救いだった。

 洋平は自分にとって聡がかけがえのない親友だと再認識しつつ、クレープの残りを頬張った。



「さてと……始めるか」


 体を雨で濡らしたフードの男が、ショッピングモールへ足を踏み入れた。

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