第4話 選びし者

 食べ終わってから聡は、妹にも買って帰ると言ってもう一度クレープ屋の列に並んでいた。

 階下を眺めながら洋平は聡を待つ、ショッピングモールは夕飯の買い出しの主婦や学校帰りの学生たちで賑わっていた。

 京子が寄り道を快諾したのは、こういった人の多い場所なら誰かに襲われる危険も少ないと考えていたからだ。


「君! そこから下りなさい!」



 騒ぐ声が聞こえ、洋平の視線は階下の広場に向かう。

 ショーなどをやる小さなステージの上、そこにフードを被った男が立っており警備員が下りるように注意している。



「おい! 聞こえないのか!」


 二人の警備員の声が響く、周りには携帯電話を構えた野次馬が集まって来た。

 うつむいたままの男は口元に笑みを作る、それと同時に男の腕が異形の物へと変わる。

 巨大化した腕は赤黒く脈打っており、爪にあたる部分には様々な種類のナイフが生えていた。


「何あれ? なんかの撮影?」


野次馬たちは危機感の欠片も無く写真を撮る、警備員たちは男の姿にたじろいだが何かトリックを使ったのだと判断し、これ以上の混乱を防ぐために取り押さえようとした。


 近づいてきた警備員に向かって男は手を振り下ろす、警備員の体は薄い紙を切るように驚くほど簡単に断ち切られた。

 もう一人の警備員も驚いている間に体を横に両断されてしまった、体を裂かれた警備員の体から流れ出た血を踏み、男が野次馬に向かって歩き出して初めて一人の女性が叫び声を上げた。



「な……何だよあれ」


「初めてでしょ? 自分以外の選択者を見たのは」


 階下の惨劇を見る事しかできない洋平の隣にマガズミが現れ、次々と切り裂かれていく客たちを眺めていた。


「あれは選択者、アンタとは違う選んだ人間」


 血飛沫を上げながら引き裂かれる人間、逃げ惑う人々を一方的に蹂躙する異形の男。

 あまりにも現実離れした光景は、悲鳴と慟哭を引き連れて確かにそこにあった。


「すげえ声が聞こえたけど何かあったのか?」


「今すぐここから逃げるぞ!」


 戻って来た聡に手短に何が起きたかを伝え、二人は走り出した。

 

 このショッピングモールは二階から外に出られない、二人はどうしても一階に下りなければならなかった。 

 階段を下り、二人は一階の服屋に駆け込んだ。


「ほんとにバケモンじゃねえか……」


 聡はハンガーラックに掛かった服の隙間から様子を伺う、男は死体の山を築きながら隠れている人間を探し出し殺しまわっていた。


「警察には? 誰か通報したのか?」


「今してみる」


 洋平はポケットに手を入れたが携帯電話が入っていない、反対のポケットやバックを漁るがやはり携帯電話はどこにも無かった。


「……携帯がねえ」


「参ったな、俺も充電切れだ」


 外との連絡手段が絶たれた二人には、逃走か隠れてやり過ごすかが求められた。


「どうする? ここに隠れてやり過ごすか?」


「出口はすぐそこだ、俺たちが走れば外に出れる。やるなら距離のある今しかねえ」


 聡は出口を指差した、今なら逃げれるというのもあながち間違いでは無いだろう。

 呼吸を合わせ、一瞬でも男がこちらから視線を離すタイミングを待つ。


「今だ」


 男が後ろを振り向いた瞬間、二人は服屋を飛び出し入り口に向かって走る。男は二人の存在に気付いた。

 だがまだ距離はある、どうあがいても男は二人を止める事は出来ないはずだった。


「逃げんじゃ……ねえ!」


 男は足元にあった死体に爪を突き立て持ち上げると、二人に向かって勢いよくそれを投げた。

 若い男の死体はかなりの速さで飛び、それは洋平に当たる軌道を描いていた。


「しゃがめ!」


 聡の声で洋平はとっさに床に伏せた、頭すれすれを死体が通り抜け壁に激突した。

 壁に叩きつけられた死体は弾け、周囲に肉片と大量の血液を飛び散らせた。

 洋平は頬に飛んだ肉片と血を震える指で取る、摘まんだ肉の鮮やかさを見た洋平の体は恐怖で固まった。


 大きな影が洋平に落ちる。

 もう異形の男はすぐそこにいた。


「死ね」


 腕が振り上げられる、洋平は死を覚悟した。


 だが死ななかった、洋平の体を切り裂くはずだった爪は洋平を庇った聡の背を切り裂いていた。

 聡は走りながら持ってきていた消火器を、男に向かって投げつける。咄嗟に男がそれを爪で払うと、切れ味の良さが災いし思いがけず消火器を切ってしまった。


「ぐっ……!?」


 溢れた消火器の中身が男の顔に掛かる、顔を拭うとすでに二人の姿は無い。だが血の跡は点々と続いている、男は狩りを楽しむようにその後をゆっくりと追った。





 二人は隙を見て逃げ出したが、出口はあの男に阻まれてしまったため仕方なくショッピングモール内を逃げていた。

 平気そうな顔をしているが聡の額には脂汗が滲み、背中に走る激痛は並大抵のものではなかった。


「ちょっと……やべえ……かも」


 聡が倒れ込む、激痛と出血で視界はぼやけ足に力も入らなくなっていた。


「聡!」


「俺は……いい、行け」


「馬鹿野郎! 逃げるんだよ」


 洋平が聡に手を貸し、二人はゆっくりとだが前進し始める。だがすでに聡は自らの力で立つ事すら出来ない、追い付かれると判断し洋平は近くにあった雑貨屋に隠れた。


「おい! しっかりしろ、なんで俺を庇ったんだよ!」


「バーカ……ダチを庇うのは当たり前だろ?」


 聡の命はすでに風前の灯だった、洋平は近くにあった売り物のタオルを傷を塞ぐように押し付ける、だが出血は止まらずタオルはすぐに赤く染まっていった。


「もう長くないね」


 マガズミは聡を一目見て、そう呟いた。


「そうだ……お前何とかできないのか!? 神なんだろ!?」


「無理、てか別にどうでもいいし」


「ふざけんな! こいつは巻き込まれただけじゃねえか!」


 くくっとマガズミが笑う。


「キレる相手間違ってない? そいつはアンタのせいで死ぬのよ」


「なっ……!」


「夢も希望も才能も人望も何もかもあるそいつは、居ても居なくても変わらない糞みたいなアンタを庇って死ぬのよ、馬鹿ったらありゃしないわ」


「てめえ!」


 思わず洋平はマガズミを殴りつけた、確かに拳は当たったが痛みなど毛ほども感じていないように笑っている。


「無理無理、今のアンタじゃアタシを殺せない。痛みを与える事すらできやしない」


「この……化け物が!」


 悔しさを滲ませる洋平のズボンの裾を、血に塗れた手が掴んだ。


「俺を置いていけ、お前だけなら……」


「駄目だ! 二人で生き残るんだよ!」


「悪いんだけどさ……美羽に謝っといてくれよ。クレープ……駄目にしちまったって」


「そんなの自分で……おい……おい!」


 かろうじて生きてはいる、だが聡にはもう口を動かす力すら残っていなかった。


「ねえ、このまま終わるつもり? あいつをどうにかしたいって思わないの?」


 洋平は何も答えない。自分に何が出来るのか、どうすれば死にゆく友人を助ける事ができるのか、何一つ分からなくなっていた。


「……何でも願いを叶えてくれるんだよな?」


「もちろん」


「なら聡を生き返らせる事もできるんだよな?」


「出来るよ」


「なら……」


「ならアンタは何を贄にするの? 何を犠牲にするの?」


「それは……」


「ま、あんたが差し出せるのは両親が精々なもんよ。他になーんも無いみたいだし? あと一応言っておくけど贄に差し出したモノは返ってこないから、絶対にね」


「そんな……」


「選びなよ、両親か親友か」


 選べるはずが無かった。

 あまりに理不尽すぎる選択を、マガズミはいとも簡単に迫った。


「無理だ……俺……」


「じゃあ死ねば?」


 砕けそうな心を抱えた洋平に、マガズミは追い打ちをかける。


「アンタだけなのよ、この場で何も選んでないのは。そいつはアンタを助ける事を選んだ、あの男も願いの為に何を犠牲にするか選んだ、何も選ばず犠牲に怯えて動けないのはアンタだけ」


「くっ……」


「結局アンタは全部台無しにする、アンタは死んで、両親を悲しみのどん底に叩き落とし、親友を無駄死にさせる。それが嫌なら選びなよ」


「……俺は」


 洋平は選ぼうとした、両親か親友かそのどちらかを切り捨てようとした。

 だがどちらかを選ぼうとするたびに、家族との、親友との思い出が溢れる。

 それは洋平の口をつぐませるには、十分すぎるほど美しい思い出たちだった。


「選べない? だったらアタシが選んであげる」


 マガズミは、ほんのわずかに息のある聡の頭を掴んだ。


「おい……何を」


「百歩譲ってアンタの手柄にしとくよ、アタシに選択を委ねるっていう風に選択したってね」


「やめろ!」


「これがアンタの選択」


 マガズミの手の中に聡の体が吸い込まれ、消えた。

 何一つ残ってはいなかった、血の一滴も服の切れ端も何一つマガズミは残してくれなかった。


「……ふざけんな! 返せ! 返せよ!」


「うるさいなあ、アンタが選べないから私が選んでやったんじゃんか。感謝して欲しいくらいなんですけど?」


「あんな理不尽な選択があるかよ!」


「世界ってのは理不尽なのよ。理不尽を他人に押し付けて生きていくしかないの、アタシは別にあいつを悪だとは思わない、あいつの理不尽にアンタらが潰されたってだけの話」


 怒りが湧いた。

 感じた事の無い今まで抱いた事の無いような怒りが、自分の内で煮えたぎるのを洋平は感じている。


 誰だ。

 この事態を引き起こしたのは誰だ。

 自分から親友を奪ったのは誰だ。

 洋平の頭の中に問いかける声が響いた。その声に洋平は答える、もう答えは目の前にあった。


「贄は捧げられた、後はアンタの願いだけ」


「アンタは何を望む?」


 洋平の口がゆっくりと開く、その問いに対する答えは決まっていた。



 二人の血の跡を追いながら、男は鼻歌混じりに隠れていた人間を殺しまわっていた。

 人間の死体を二、三体ほど店の中に投げ込みパニックを起こして飛び出してきた人間を殺す、男はそれが楽しくて仕方なかった。


「上機嫌ですね」


「あんたも来てたのか、ダマキオさんよ」


「お気になさらず、あなたはあなたの思うままに」


「ああ、そうさせてもらうぜ」


 男は血の跡を追い、ついに洋平たちが隠れた雑貨屋の前まで来た。

 血の跡は店内に続いている。


「いるんだろガキども! 今出てきたらなるべく楽に殺してやるぞ!?」


 返答は無かった、男は下卑た笑いを浮かべ店内へと歩を進める。 

 商品棚をなぎ倒しながら店内を突き進む、男の興奮は最高潮に達そうとしている。 

 今までの他人に虐げられ、部屋に閉じこもっていた自分ではない。


 他人を意のままに踏みにじれる自分になったのだ、もう他人に怯える必要は無い。 

 そう思うだけで、男は世界が驚くほど輝いて見えた。


「さーて……どこだ?」


 店の奥へ進むと、少年の背が見えた。

 紺色のブレザーを着た、先ほど自分が切り損ねた背中が。


「友達は死んだのか?」


 自分に背を向けたまま、少年は何も答えない。逃げもせず、怯えもしない、その背中が男を苛立たせた。


「おい! 聞いてんのか!?」


 やはり返答は無い、男は怒りのままに腕を振り上げた。

 次の瞬間凄まじい衝撃と共に男は店の外まで吹き飛ばされ、壁に叩きつけられた。


「くそっ! 何が……!?」


 男の胸から血が流れ出している、外にいたダマキオは姿を現した洋平を見て理解した。

 洋平に男は勝てないと。


「良い感じじゃん。さあ、押し付けてやんなよアンタの理不尽をさ」

 

 笑うマガズミに左腕は無い、その左手は形を変え洋平の手に握られていた。

 鞘も鍔も柄も無い、どこを持っても使用者の手を切り裂く抜き身の刃となって。


 無言のまま刃を構えた洋平の手からは血が流れ続けている、男はその異様な武器に驚くがすぐさま体勢を整えた。


 胸の傷は痛むが大した傷ではなく、体は動く。

 勝てる、男はそう信じて疑わなかった。


 男は走り出し、洋平もまた男に向かって走り出す。

 ぶつかる寸前に振り下ろされた男の爪は、洋平の左腕を切り落とした。


 勝った、男の胸に喜びが広がる。

 だがこの場で男が勝ったと判断した者は他に一人もいなかった。


「う……うあああああ!」


 左腕を切り落とされた洋平は怯むことなく前に出た、そして油断していた男の心臓を刃が貫く。

 男は地面に倒れ込むとわずかに体を震わせ、驚くほどあっさりと息絶えた。

 オダマキは消え、洋平とマガズミの二人が残された。


 マガズミに刃が突き付けられた、洋平の目からは涙が零れる。


「……アタシと契約した以上、アンタはアタシを殺せない。今はね」


「だから願ったんだろうが、この戦いを勝ち残ってお前を殺すって」


 マガズミは笑った、洋平の決意を褒め称えるように笑った。


 これは選んだ者たちの戦い。

 たった一つの願いの為に殺し合う、人と神の物語。


「なら始めようか、アンタとアタシのキリング・タイムを」


 神によってか、人によってかは分からない。

 だが確かに賽は投げられた。

 少年は戦い続ける、神の心臓に刃を突き立てるその日まで。

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